挫折した映画青年と、社会から疎外された少女の、再生の物語
僕には技術もなにもない。
才能や技術があるのは僕の周りに集まってくれたメンバー達なのだ。
彼らが僕の意見を巧みにすくい取り、具現化していただけだ。
その時から急に僕の人生はなにをやってもうまくいかなくなった。
僕は元から決して何でもできる人間ではなかった。
だが僕には映画があった。映画があったからこそ何かに失敗しても人から悪口を言われても平気でいろんなことに自分からチャレンジできた。最初は不器用でも大胆に挑戦していけば大抵はなんとかなってしまうものだ。
だが今は違う。ほんの些細な失敗ですら、僕の胸に鋭く刺さる。
傍から見たらなんでもないような本当に小さな小さな失敗でも、それは僕にとって無能であることの証明なのだ。
僕はいわゆるマーケティングというのがうまかったのだろう。
高校時代は一般に混じって様々な映画祭で賞を受賞したが、僕が作った作品がクオリティが高かったかと問われれば甚だ疑問だ。映画祭というのは映画祭ごと出品される作品に傾向があって、僕は今までの傾向を分析してはそれと真逆の作品をぶつけてきた。映画祭というのは一日に何十本と映画を観ることになるので、審査員は大変だ。そこで僕はなるべく尺は短くし、最初と最後に多少前後のつながりが悪くなってもインパクトのある映像を差し込むことで審査員の印象に残る工夫を施し、そして賞を勝ち取ってきた。
校内で上映するときもそうだ。
僕はまず観客ありきだった。
校内で映画を上映するとなると観客は高校生になるのだが、そうなると彼らが求めてる映画といえばホラーでもサスペンスでもラブストーリーでもなく、コメディだ。昼の休み時間にフラッと友達と上映会に来て、大勢で一緒に観ていて、しかも出演者が同級生となるとどれだけシリアスに話を作ろうと思ってもまず笑いが起きるし、そもそも彼らはそんな作品を求めていない。
自主制作映画をやる人間は往々にして「夢と現実が交錯する」「老人と子供の奇妙な交流」「ひょんなことから出会った若い男女が旅をする」などといった、「それは一体誰をターゲットにしているか?」というような作品を作りたがる。技術力も大してないうちから、プロの映画作家でも苦心するテーマを描こうとする。
そういった作品を作ること自体は構わないが、それを明らかに求めていない相手に対しても堂々と見せる姿は僕には理解できなかった。
自分のやりたいこととやれること、そして伝えたい相手が一直線上に並ぶことは非常に稀だ。まずは自分のできることを確実にこなし、それを求める相手に的確に提供する。
校内ではコメディを中心に作り、映画祭ではシリアスな作品を出品していくことで僕はうまいことバランスをとっていた。
だが、そうやってマーケティング重視な映画を作り続け、当時はそれなりに評価をされたかもしれないが、少し離れた位置から自分の作品を冷静に見ると、一本の映画としてはどれもクオリティが低いと言わざるをえなかった。
こうして高校時代の自分を俯瞰すると、自分がいかに空っぽであったかが分かってくる。
絶対的な自信としてあった映画は、一転して負の遺産へと形を変えた。
負の遺産は、僕のありとあらゆる行動にブレーキをかけた。
何をやってもうまくいっていた高校時代。「自分は凡人ではない」と証明する高校の日々から、大学は「自分は凡人に過ぎない」と確認する作業の連続だった。
何をしてもうまくいかない。そのたびに自分の無能さを痛感しないといけない。
僕は行動するのが怖くなった。人と話すのが怖くなった。
行動すれば失敗するかもしれない。人と話せば幻滅されるかもしれない。
でも行動も、人との会話もしなければ、誰も傷つくことはない。
大学にも行かずただひたすら家に引きこもり、一日中天井を眺めていた。
心の奥底では「このままではいけない」という思いがあるものの、失敗することが怖くて踏み出せない。
半年近く家にひきこもった後、さすがにこのままではいけないと思い、とりあえずバイトを始めることにした。
そこでも僕はダメな使えない人間だった。
居酒屋、ファミレス、本屋。いろんなバイトを転々とした。世間的には簡単な作業とみなされるバイトであったが、全く仕事ができなかった。
単純な作業が覚えられない、人の指示が瞬時に理解できない、お客さんからちょっと難しいことを言われるとテンパってしまう。
ピンボールのように弾かれに弾かれてバイトを転々とし、最後はコンビニのバイトに辿り着いた。
コンビニはいい。決められたことを喋り、行動すればいい。それにコンビニには色んな層のお客さんが来る。僕は高校の時からの癖で、日常でなにか面白いことがあればどんな些細な事でもノートに残す癖があるのだ。色んな人種が集まるコンビニはネタの宝庫で、すぐにノートを使いきってしまう。店に来た変な客、そこで起きた出来事、僕や他の店員とお客さんとの何気ない会話など、後々どこかで映画の脚本を書くときに使えるかと思い、なんとなくアイデアを貯めていった。
だがそれらのアイデアは一回も脚本というちゃんとした形で活かされることはなかった。
進級ができるギリギリの単位で3年生になった。
バイトも1年半が過ぎた。
この頃の僕は心が荒みきっていた。
ほとんど意味もなくアイデアを書き留めたノートも20冊近くなった。ノートが増えるにつれて「俺はこんな面白いアイデアをいっぱい抱えてるんだ! 日々何も考えず生きている他の連中とは違う!」という無駄なプライドだけが肥大化していった。だが、そんなにも面白いアイデアがあるにもかかわらず、ロクに一本もちゃんとした脚本が書けなかった。大きく膨れ上がったプライドに反比例するかのように仕事はできず、自分が馬鹿にしている連中よりも何一つとして有益なものを生み出せていなかった。その現実に僕の心はボロボロになっていた。
そんな頃だ。バイト先のコンビニに、僕の運命を大きく変える女が入ってきたのは。
僕が3年生になった年の初夏、高校1年生の女の子が入ってきた。
名前はエミちゃんといった。
エミちゃんの最初の印象は最悪だった。
エミちゃんは典型的なギャルで、髪の毛は頭皮の中に埋まってる毛根すら金に染まってるんじゃないかというほどの鮮やかな金。マッチ棒が3本ぐらいは乗りそうな、極限にまでカールしたまつ毛。アイシャドウは塗りすぎで目がパンダになってるし、これまたファンデーションか何かを塗りすぎているのか肌の質感がおかしいことになっていた。常に気だるそうな雰囲気を醸し出し、目を合わそうとしないのはおろか、こっちが何か言っても返事をしない。
小学生でもできるような単純な計算もできず、しょっちゅうお釣りを間違えて渡していた。学校も本当に毎日ちゃんと行っているのかどうか怪しかったし、家庭環境も色々と複雑らしく、バイトが終わってからまっすぐ家に帰っているような感じではなかった。
ただ格好やメイクこそギャルなものの、エミちゃんは身長が150センチ程度な上、相当な童顔で態度は最悪なもののどこか可愛げがあった。おじさんたちが思わず「こら君! そんな格好は今すぐやめてまじめに学校で勉強しなさい!」と説教してしまいたくなるタイプとでも言ったら分かりやすいだろうか。
エミちゃんは僕と同じく夕勤で、それゆえ僕はエミちゃんの教育係を命じられた。
「橋本(エミ)さん、それじゃあ今日は初日ということでまずは袋詰の補助からやってもらうので- (ここから僕が1分程度説明をする)」
「結城君、ごめん、説明よく分かんなかったわ。今言ってたことってマニュアルにないの? あるならそれ読んどくからさ。これからも他の仕事のこととかいちいち説明してもらわなくていいから」
「・・・」
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