某コミックのような話
先日、無性に餃子が食べたくなって、とある中華料理店に入った。
といっても特別な餃子ではなく、どこにでもある、ありきたりの餃子を「メインで」食べたくなったのだ。
さて、席について少し考えた。
この店には餃子があるだろう、しかも、ごく普通の、私の求めるものが。
現に香ばしい「あの香り」がしているではないか。
考えたのは、何を注文するか。
餃子を食べにきたのだから、餃子をただひたすら頼めばいいじゃないか。
と思うだろうが、そこまで単純な話ではない。
誰にでもあるのかもしれないが、何かを無性に食したくなった時、そこに奇妙なこだわりはないだろうか。
そもそも「メイン」ではなく「サブ」にとられがちな餃子をメインで食べたくなった時、どういう頼み方をすればよいのだろうか。
餃子定食...ビールに餃子...
どれも悪くはない、しかし、その時の私の気分とは多少違っていた。
その時「餃子セット」という文字が目に入った。
普通のようだが、ラーメンに餃子のセットを「ラーメンセット」ではなく「餃子セット」としているところが気になった。
よし、これにしよう。
さて、メニューは決まったものの今度はラーメンの味だった。
大盛りの具が麺の上にてんこ盛りになっているラーメンが多い昨今、この店は珍しく「昔ながらの」とでも冠していそうな3種類のラーメンのようだ。
悩んだあげく「塩」を選択したが、これが結果的には成功だったようだ。
いや、これがベストマッチというわけではない。
そしてこれが流行るだろうとは、私にも思えない。
けれど、その時の私には最良の選択だったようだ。
食べながら私は「引き立て役」という言葉を思い出していた。
「昔ながらの」塩ラーメンは、私がメインで食べたかった餃子の格好の引き立て役になってくれた。
こういう話を聞いた事がある。
時代劇などで「斬られ役」が上手であるほど劇が引き立つのだと。
醤油でも味噌でもない、シンプルな味の透き通ったスープをすすりながら、私は斬られ役の名演技を思い出していた。
店を出た時、メインの餃子の満足度もさることながら、私は塩ラーメンとは何なのだろうという考えにとらわれていた。
余談になるけれど、食べ物店の店員の印象が薄ければ薄いほど、そこの店の料理がうまかった。
...という経験が、私の中では多い。

著者の小金井 正美さんに人生相談を申込む
著者の小金井 正美さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます