過敏性腸症候群 3回目

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2011年から




 S県から帰ってきた私は荒れていました。


 そして翌年の2011年3月。私は電車の中にいました。


 母は職場にいながら、私のことを心配していました。


 テレビは連日、東北の状況を放送していました。


 どうしてこの時、東北に行かなかったのか。


 母に、「私の子供なら行ってほしかった」としみじみ言われて


 内心「お腹のことが心配過ぎて無理なんだ」と思ってました。



 



 そして同年10月、母はクモ膜下出血で急逝しました。


 48時間も持つことなく、そのまま逝ってしまいました。


 母の口癖は、私が子供のころから「疲れた」「もう休みたい」


 だったので、



 良かった、と、思っています。



 私が母の寿命を縮めたことは間違いありません。


 元気明るさや、思いやりとはかけ離れたところにいつもいて


 何もしてあげられないまま母を送ってしまった。



 今は、父の寿命を縮めないように、勤められている気がしないので、


みんなの読んで良かった!