偏差値が低いパパと娘の中学受験
中学受験と特待生
2003年9月、子供が生まれた。
私は29才、妻は23才。生まれる時には仕事で出張中だったので、立ち会うことが出来なかった。
産婦人科医院に行って、子供を見た時の感想は、「元気に育ってくれればそれでいい」と思った。
それから数年後、子供のために何が出来るのかが分からないまま子供は大きくなっていく。
子育てのプランなんて考えてもいなかったし、とにかく無事に育ってくれたら。。。
「育ってくれたら」
これは他人事の時に使う言葉だ。
妻は頭がいい。
偏差値は60後半もある。
俺は40台だったと思う。
子供が小さい頃、妻は一生懸命に「本の読み聞かせ」をしてあげていた。
図書館では1人10冊まで借りられる。まだ赤ちゃんだった子供の分も合わせて合計20冊。
週に2~3回は図書館に通い、本の読み聞かせをしてあげていた。
そのおかげで、子供はどんどん読み聞かせをねだるようになった。
妻は図書館に通うペースが増えていき、20冊の絵本はたった1日で読み切るようになった。
でも、俺は何もしていない。
「育メン」という言葉が流行ってる最中、何も出来ていない。
そりゃ、あやしたり、オムツ変えたりとかはやってたものの、これが子育てか?というレベル。
ポストの中に1通のDM。
「こどもちゃれんじ」
その時、ふと思ったのは「うちの子も偏差値戦争に入っていくのか。。。」
うちはとてもじゃないけど、塾に行くことも、私立の幼稚園に入れてやることも到底出来ない。
俺の稼ぎでは夢だろうと思っていた。
幸いにして、妻がとっても倹約家。
だから何とかなっていた。
「勉強か。。。そりゃ、いい大学入ってくれたら嬉しいよ。」
誰もが思う気持ちは、俺は特に思っていた。
なんせバカだから(笑)
いい大学に入ることが目的でも目標でもないのは、社会人を10年以上やってりゃ分かる。
でも、ふとした時に学歴ってあったらいいだろうな~と思いもする。
昔からの疑問があった。
なぜだか私の周りはいい大学出てるやつが多い。
慶応、明治、青学、早稲田、学習院。。。
「なんで俺はこんな学歴がいいやつらと働いてるんだ?」
自分の大学名、言いたくないし、聞かれたくない。
別に大学が悪かったわけじゃない。楽しかったし、いい経験もいっぱい出来た。
でも、なんだろね、この微妙感。
きっとただの嫉妬なんだろうけど。。。
子供にはそんな感情持ってほしくないと思う。
社会人になった時、学歴で何かが決まるとは思ってない。
俺も今の仕事で幸せだし、何とか家族も食わせて行けてる。
偏差値が全てではない。でも、きっと偏差値が高い人にしか見えないこともある。
「ちゃれんじ、やってみようか?」
妻は「いいんじゃない?それほど高くないし」
子供に何かを教えるのは楽しい。子供が出来なかったことが出来ると嬉しい。
ちゃれんじのテストで100点取ってくれると感動する。
人生で子供に勉強を教えることは今までに経験がない。
そりゃそうだ。
だから、どんなやり方がいいのか、本を買ってみた。
「賢い子を育てる親の法則」的な本が数十冊たまっている。
いくら俺がバカでも足し算は出来る。
掛け算だって出来る。
だから大丈夫って思ってた。
「パパ、なんで1+1は2なの?」
え?
えっと?
偏差値うんぬんよりも根本的な何かが俺には欠けてた。
1の次は2、2の次は3。
誰もが信じて疑わない疑問に対し、子供は疑問を抱く。
偏差値が高い妻は、「1の次は2なの。だから1+1は2なの。」と答える。
その時初めて、子供は疑問を持つ場所が違うと理解した。
「〇〇が分からない」と聞かれた場合、大人は「そういうものだから」と答えてしまうが、
きっと子供は、もっと深い所の疑問を探っているんだろうと。
どうしたら、子供の疑問に答えることが出来るのだろうか。
「決まっているから」「そういうものだから」「公式だから」
社会に出ると、上司が「会社のルールだから」「そういう決まりだから」とよく言う。
確かにルールはルールとして必要だと思う。
でも、なぜルールなのかをしっかりと説明してくれる上司は少ないだろう。
新人が持つ疑問点を、上司はしっかりと答えてあげているだろうか。
1という数字の成り立ち。数字が増えていく過程。なぜ数字が必要だったのか。。。
指の数だったり、木の枝だったり、狩りをした時の分け方だったり。
大昔から「なんとなく」で理解してきたものが、子供の疑問を答えるために
今更ながら調べないと答えられない。
そこから、俺の子供への勉強指導が変わっていったと思う。
子供は「ちゃれんじ」が簡単だと言うようになった。
ちょっと調べると、ちゃれんじよりも「Z会」の方がちょっと難しいと分かったので、
小学校2年生からは、「ちゃれんじ」+「Z会」にしてみた。
俺はとにかく毎日机に座れ!と言ってきた。
優先順位も作ってあげた。
俺は一切やってこなかった「机に座る」という作業を、自分のことは棚に上げ、
とにかく机に慣れさせた。毎日座る場所なのだという刷り込みをしてきた。
そのおかげで、机に座ることが日常化してきた。
そして、その頃から「なぜ勉強するのか」を子供たちに話してきた。
「あやのは今、小学生だよね。小学校はあと何年行くと思う?」
『4年』
「そうだね。じゃあ、小学校の次はどこに行くか知ってる?」
『ちゅうがっこう』
「そうだね。よく知ってるね。じゃあ、中学校の次は知ってる?」
『わからない』
「中学校の次は、高校というところ、そして、その次は大学という所があるんだよ。
小学校は6年、中学校は3年、高校も3年、大学は4年あって、全部で16年間という
長い間学校に行くんだ。
そして、大学を出る時に「やりたい仕事」を選ぶんだよ。
あやのはどんなお仕事がしてみたい?」
『としょかんのおしごと』
「そうなんだ!本が好きだもんね。」
『うん!まいにち本読みたい!』(司書が毎日読めるとは限らんが(笑))
「もし、図書館で働きたい時に、お勉強があまり出来ないから出来ないよ。って言われたら悲しい?」
『やだ』
「学校のお勉強は好きな仕事を自分で選ぶためにも必要だし、好きな仕事をもっと好きになるためにも
必要なんだよ。だから、大人になっても、パパもママもずっと勉強してるんだよ。
だから、あやのも今の勉強をしっかりとしていくことで、好きなことが出来るようになるから
毎日頑張らないとね♪」
『うん!好きなことする!』
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