普通のサラリーマンだった僕が10km以上走ったことないのに1週間分の自給自足の荷物を全て背負って灼熱のサハラ砂漠で250kmを走って横断することになった理由

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僕はそんなのは御免だ。初日を終え、今の所足にはマメひとつない。トレーニングの成果もあってか、筋肉痛もない。至って順調だ。


いつものようにあの曲のイントロのギターのリフが聞こえ始める。


今日もスタートは定時から遅れている。大体、定時定時と五月蝿いのは日本人だけかもしれないな、と思っていたら、カウントダウンが終わっていたようで周りの選手達が走り始めた。


さあ、今日も慎重に。


僕の右足はできるだけ平らな地面を探し、二日目の第一歩を踏み出した。



___サハラマラソンスタートまで、あと307日。


2014年6月2日。


運命の日は予想しない形でやって来た。そしてこの日を語るにはある人物を紹介しなければならない。



松本千春。


こんな名前だが女性ではない。僕よりひとつ年が上、ひょろっとして背の高いお兄さんだ。彼も大森ハウスの住人のひとり。自身が立ち上げた会社の経営をしながら、他の会社の運営やサポートもしている。


大森ハウスに来てから半年間、同じ場所で仕事をし、食事をしているのに、ほぼ彼と話をすることはなかった。無愛想だし偉そうな感じがするし、なんとなく近寄り難かったからだ。


2014年3月のある日のことだった。


千春さん
いましょうさん、今日空いてる?


いつものように部屋でパソコンに向かっていると、千春さんから突然声をかけられた。


"いましょう"と言うのは僕のニックネームだ。いまだしょうた、なので、いましょう。東京に来てからは皆がそう呼ぶ。30歳を過ぎてから新しい呼び方をされるのはなんだかくすぐったいものだ。だが、悪い気はしない。


空いてますよ、と答えると午後からセミナーをやるので撮影で入って欲しいとのことだった。なんとも急な話だと思いながら、その話を受けた。


千春さんはその前に用事があるからと先に大森ハウスを出た。後から赤坂の待ち合わせ場所に行くと主催者の女性を紹介された。山口友里恵さんという方だ。みんなからゆりっぺと呼ばれるその女性に特に何の印象も持たなかったが、一緒にいた他の女性の話によると、千春さんのアドバイスを受けてこの一年で女性として劇的に変化をしたということらしい。それを自分だけではなく、もっと多くの女性に伝えたい、知ってもらいたい、体験してもらいたい、という想いで Our Garden という女性限定のコミュニティを創設したのだという。(ちなみに当時は Our Garden という名前も決まっていなかった。)


撮影をしながらセミナーの話を聞いていたが、男の僕にとっても非常に深い学びのある内容だった。そして講師をしている千春さんに対して感じることがあった。それは以前から彼に対して疑問に思っていることだった。


どうしてそんなにも世界の美しさを見れるのか?


ということだ。


これはいわゆるポジティヴな面しか見ようとしないとか、屁理屈をこねてるとか、そういうことではなく、どんな状況においても千春さんはそこに美しさを見出せるのだ。例えそれが最低最悪の状況だと誰もが思うような状況であってもだ。


セミナー後、食事をしながら今日の振り返りをするということで、僕もそこに呼んでもらえた。


食事も後半になり僕は思い切って千春さんに聞いてみた。


いましょう
どうしてそんなに世界の美しさを見れるんですか?


少し黙ってから、千春さんはこう言った。


千春さん
うん、なんでだろう。そうだなぁ、、、。そりゃ本当に苦しいときも辛いときも全然美しさが見えないときもあるけど、それでも思うんだよね。『それでも美しさがあるとしたら?』って。


その瞬間に僕は雷が落ちたような衝撃に襲われた。


どこかで僕は、松本千春は凄い人間で、彼だからこそできることなのだろうと、そう思っていた。自分には無理なのだと。あの人はできて、自分はできない、という絶対評価。


しかし彼の答えはそんな僕のパラダイムを完全にぶち壊した。


大切なのは方向感なのだ。


今、自分はどこへ向かっているのか。


「それでも世界が美しいとしたら?」


この質問は僕の宝物になった。


松本千春を『良質な質問を人々に与える人』と僕が評するのはもう少し後のことである。



この彼もサハラマラソンの完走者だ。その彼がこの日、facebookでとある投稿をした。


久しぶりにランのレースに出るので、それに向けてのトレーニングをしているという近況報告。そして、最後にこう書いてあった。



ここからはご案内。

いや、猛烈なプッシュです。

来年のサハラマラソンエントリー、スタートしました。


今年の日本人参加者は過去最高で42人。

僕が出たときは13人なので6年で3倍。

今年は僕らの周りだけでもゆうに10人を超えるので、もっとになりそうです。


いざ、勇者たちよ!ポチッとボタンを押しましょう。

というか気になっている輩、さっさと出やがれ!!



これを読んだときに、そうか僕は来年のサハラマラソンに出るんだな、と知った。


決意でも、決断でもなく。ただただ普通にポチッとエントリー。


お金も、時間も、体力も。

全てがなくて、見通しも何もないにも関わらずだ。


僕がポチっとした直後、第30回サハラマラソンのエントリーは締め切られた。30回記念大会ということで全世界からエントリーが集中し異例の速さで枠が埋まってしまったとのことだった。


ちなみに最初にサハラマラソンの存在を知ったのは"M"からだった。"M"もサハラマラソンの完走者で、そのときの体験談を塾の中で熱く語ってくれたのだ。その話を聞いた僕はいつか行ってみたいなぁと思った。そのときの"いつか"は果てしなく遠い遠い未来のように思えたし、もし参加を決めるとしたならば、「うおおーーーー!俺はサハラマラソンに出るぜーーーー!!!」みたいな熱血の決断になるだろうと想像していた。


しかし、運命の日は驚くほど静かに訪れ、そしてあっけなく過ぎて行った。



___サハラマラソン 3rd ステージ 36.7km。


2015年4月7日。


断崖絶壁。ちょっとフラっとしたら落ちて確実に死んじゃうよね、なんてコースに度肝を抜かれながら2日目までをクリア。この2日で自分のペースで着実に進むことに味を占めた僕は、今日も highway to hell で盛り上がり駆け出して行く走者を横目に、いや前方に見ながら、一歩一歩を大切に歩を進めて行く。


前の人とどれだけ離れようと、後ろから誰かに抜かれようと関係ない。とにかく怪我のないように、安全に安全に。


ふと気がつくと周りに誰もいない。代わりに後ろからぶひぶひと何かの鳴き声がする。


振り返るとそこにはラクダ二頭が迫って来ていた。ターバンを巻いた現地民らしき人に連れられたラクダだ。


"M"から聞いたことがある。レースの最後尾にはラクダがついてきており、ラクダに追い抜かれると失格なのだという。


僕はラクダから離れるため慌ててスピードをあげた。


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