問題解決の楽しみ。励む事がある幸せ。〜現28歳、精神病と2度のホームレス経験、社会参加への飛躍へ!

著者: 山口 こ子
騒音問題が解決しない。

管理会社への3度の連絡、二度の110番通報。
各対応は、管理会社へソフトな文言のポスティングのみ。「深夜は営業時間外なので対応が難しく、通報が解決に一番近いというケースもある」と言い、その後連絡はないが、「丁寧な対応ありがとうございます。警察の相談してもみます。」と、礼を言う。
110番は連絡すると深夜でもすぐ来てくれるが、室内で私の感じている不快な重低音のリズムが男性警官によると、「外部にても室内にても確認できない。私の耳が悪いんという可能性もあるし…。(山口が壊れやすいほど神経質すぎるという事実もあるし…と、内心自答する。)110番でも良いが、時間と建物の構造の関係により騒音元の特定が難しい場合は、管轄の警察署の生活課に相談するとよい」とアドバイスをくださり、私の個人情報のみを記録し帰って行く。(110番した時に限り、マンションエントランスの人の動きもいつもと違うことを察してか、重低音は急に小さくなり、警官が私の部屋にいる内に次第に消えた…………。)「遅い時間にお世話様でした。ありがとうございました。」と礼を言う。(金曜の深夜のことである。)

(納得いかない)…と、言っていられない。
「諸々、問題解決は根気がいる作業である。」
「問題解決は時間と相談者の選択がものを言う。」
「そして問題解決への執念…。改善後の爽快さの想像…。」
(執念…嫌な言葉だ。私が神経質しぎるだけなのだろうか、近隣はいかにこの私が重低音に頭を抱えている時間を過ごしているのか)

「本当に向き合うべき、問題の本質は何か」
「そしてその解決への近道はどこか」

と、今年に入り、実体験を通し、「問題解決の軸」を、自分なりに暮らしを通し学んでいる最中である。

病気の快復の問題
家計の安定の問題
労働の復帰の問題
住環境の改善の問題

社会人としての自尊心と人との信頼関係の問題
私の生きやすさと社会との関わりの問題

今夜は騒音に敏感になりすぎ過呼吸に襲われ涙が止まらない、気が狂いそうだ。耐えきれず頓服の安定剤を飲む。過激で攻撃性を含む自分の発作が怖い。(家を失いたくない。人の私を見る目を変えたくない。同じ一般人として紛れていたい。ただ普通に生きたい。…どうか)
なんと恐怖に弱く、欲深い、脆弱で強欲な精神、脳機能であるか。大人しくあれ…

精神病の診断という医療機関の証明の恩恵は社会保障上大きなものではあれ、一度でも発狂した人間への社会の風は冷たいこともある。精神病特有の自意識、妄想の過剰さも相まって、制度では改善しにくい、実に人間的な曖昧な課題が多々あるのである。精神病と性格の曖昧さによる人格への疑い、賛否。投薬による副作用の個人差の曖昧さ、症状と副作用の曖昧さよる投薬、精神科に通うこと自体への疑い、賛否。鬱は伝染(うつ)るからと言う曖昧な情報による疎遠、精神病など他人事だったのにと関わることへの未知で曖昧な影響への懸念による疎遠、メンヘラを公開し気を引き愛情や承認の欲求を得たいのかと言う疑い、賛否。…これらは今私が簡単にあげた例の一部であり、まだ精神病であることで、社会と関わる際の不安要素や実感覚は見えない、精神病であるからこそ見える化しにくい当事者の心にしまいこまられたままの課題は多々あるだろう。(精神分析学、心理学の研究は当然、日々進展しており、私が情報収集についていけず勉強不足ということもあるため、実感したことのある社会参加上抱えがちになる私の課題を上記させていただいた。おそまつさまでした。)

私は1年半前、近隣との騒音問題トラブルをきっかけに、あてもなくホームレスになったことがある。発狂し、パトカー二台、警察官がたくさん来て、一晩であるが管轄警察署にて保護となった。事の大きさに、管理会社も「精神病の人を簡単に受け入れ契約する不動産屋はないでしょうね」と言い放ち、即刻退去を言い渡した。(それでも、不動産屋としては良心的で、敷金も、日割りの家賃もきっちり返金してくれた。普通に暮らせたなら、よい管理会社であったろう。)…そうでしょうね…住居は借りてる側の権利が強いという知識はありつつも、自分の精神状態を考慮しても、発狂した住居に居座ることもできず、ほとんどの荷物を実家に送らせてもらい、トランク一つで人生初のホームレスになった。27歳夏、お盆前のことである。

(その時、お世話になった方たちの恩は決して忘れない。私はその時家を失った代わりに手にしたものがある。助けの手を求め、声を上げること、手を伸ばし、差し出された手をにぎらせてもらうこと、それはどんな状況でも、自分が前に進もうとすれば背中を押してくれる人がいると、強く実感できた経験である。精神病で子供の頃から疎外感に苦悩して来た身には、手にしたことのない発見と喜びと希望であった。)

精神病の課題と一応医療機関の診断上、社会的に列記とした「病」を抱えて生活する者の課題と、目の前の問題解決について。

精神病により、社会生活の公私の維持が難しい状態に陥った場合、一度目のホームレス経験で得た知恵を活用すれば、人(公的な組織、機関を含め)に助けを求める行動が必須であると判断できる。

しかし私は、28歳冬、二度目のホームレスを経験したのである。当時私はルームシェアをしていた。まさに症状と性格の曖昧さによる人格への疑いによる、疑い…疎遠。もちろんそれだけが縁の切れ目ではない、仕事や今後の互いの人生設計、目標設定の違いによる前向きな解散でもあった。出会いも別れも、感情は抜きにしても、いい経験だった。しかし問題は私の感情である。精神が付いて行かない。感情処理ができない。物件の契約者は相手方であるため、当然、出て行くのは私である。相手方の「契約者は私であり、保証人は親族である」と、居住権利の主張は正論で当然ある。次の物件が決まるまでの期間、居住する権利はルームシェアを互いに承諾したほどの関係上、つながりの主たるものが情であった関係上、権利など仰々しく言うほどもなく、当然可能な状態ではあったが、…私の精神はすでに崩壊していた。私はその時、契約と言う社会通念を思っても、相手の生活を思っても、私自身の精神状況を思っても、家を出ざるを追えなかった。私は再び自らホームレスを選んだ。

その後は、先ずは普通に今まで通り働き家を借りること!賃貸契約をするまでどこに休む場を設けるか、という確固たる見える問題解決に向けて行動し続けた。少しでも立ち止まれば涙が止まらない。
2度目のホームレス体験も紆余曲折あれど、たくさんの方のご好意に甘えさせていただき、且つ、その場その場で出くわす課題にまた、学ばせてもらうことができた、ありがたい日々だった。いよいよ、先ずの問題解決をし、家を借りることができた。契約者は私だ。保証人はなく、保証会社をつけた。社会的に私は再び住居を持った。

2月の寒い東京を、職場に、安ホテルに、友人宅に、トランクルームに…歩く歩く歩く…。
歩きながら脳裏に浮かぶは、家を借りああとのバーンアウトのことだった。一人で休む時間ができれば、過去の経験も踏まえ、私は目標が明確だったため快活に行動することができていたが走り続けてきた分、精神的に押し込めてきたものが溢れ出すだろうと懸念はしていた。

実際にそうであった。フラッシュバックとパニック…それへの恐怖。

さらに追い討ちをかけたのは、1度目のホームレスの時とは違い(当時は長続きしないアルバイトをいくつも掛け持ちして生計を立てていた…まさにワーキングプア、女性の貧困である)、私は一企業の会社員であり、一応1年間のの勤務を経て役職もついて、「私は社会人である」という意識、責任ある労働者として社会参加し、社会貢献にも多少なりとも実感が持て、サラリーも以前よりは安定し、福利厚生をうけることができる。働くことには喜びがあった。…しかしその喜び、仕事を精神再建の柱にしようとした束の間、仕事上で大きな問題に次々と出くわすことになる。内部事情のためここでは触れないでおきたい。(その事情をが大きな要因となり、未だ私は、見通しのない休職中である。)この問題は、解決に時間と根気が要りそうだ。休職中であるため、もちろん家計にも問題が生じている。問題は鎖のようにつながっているのだ。仕事での問題は精神不安定に大きく拍車をかけた。

春の変わりやすい天気、気温と気圧の変化も精神に影響する。そして深夜になると騒音も精神に影響する。

問題はいくつもある。
見えるもの、見えないもの。

しかし私は、必ず、問題を解決する。
自己の持つ時間と根気、そして各問題の解決のプロに出会い、意見と知恵を頂戴するのだ。

騒音問題も、インフォメーション対応から営業所、110番通報、そして管轄警察生活課相談へ…。まだ途中段階であるが、根気を持って解決の糸口を探し、辿ればたどり着くだろう。解決の形は最後のお楽しみだ。

私は楽しみである。

精神に病みを抱えながらも、発狂しかけながらも、合う主治医に出会えたのは大きい。医者も患者も人間で、合う合わないのがあるのは当然である。精神科あの場合、主治医との相性は治療に大きく影響すると思われる。私も10代後半から20代前半まで精神科を転々とした。副作用と医療費と主治医の相性とで、医者嫌い、薬嫌いとなり、自分は精神病ではなく健常である。少し感情の振れ幅が大きいだけだ。と、自分に言い聞かせて過ごした。それでもちろん発狂は大小あり、救急搬送…、転職…、生活保護を勧められることもあった。私はいま、恵まれている。あの頃とは違う、自分の心身を内観、観察する知恵を持ち、薬ともうまく付き合えている。以前よりは人に話せば答えてもらえるという経験を重ねてこられた分、主治医に的確に相談し、アドバイスをもらえている。…あと、主治医がちょっと男性としてタイプというのもある(笑)。

主治医は精神病治療のプロでる。
理由を深く探るのは、クリニックでなく。カウンセリングの分野でもある。クリニックではクリニックの分野(主に症状にみあった処方)でしか治療にアプローチできない。
症状の部分…クリニック分野(または経験や遺伝による、人格形成の部分…カウンセリング分野)とは長く付き合うものであろうと思い覚悟してはが、現時点で主治医からは治療には早く見積もっても半年と言われている。精神病治療、この問題解決には時間と根気がすんんんん…ごく必要であることは、この30年弱生きた心身を持って理解している。しかし、ここまでこの問題に真剣に向き合うことは初めてだ。
未知である。結果はどうあれ、問題解決に励むことは楽しみである。

個人で、社会で、問題が大小多少濃淡…様々あるが、解決、改善に向き合うこと、励むこと!励む事があることは生きる上で幸せなことに思われる。

「平穏無事」は私の常時、全てを含み、最大で最終の課題であるが、一生、その課題、問題解決に励み続けたい。きっと楽しく、幸せな一生であろう。

また、情けは人の為ならずにちなみ、自己の問題解決は自己の為ならず、と、自己の問題解決がいつか誰かの為に、強いては社会の為に、と思うことは社会人として私の指針でもある。

私も平穏無事であれ。
みんなも平穏無事で豊かであれ。

今日も、良い1日を♪
私もそうする。

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