ドラえもんになろう!

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著者: 内堀 友裕

何事も無難に当たり障りなく難なく過ごしてきた。


運だけでここまできたのかもしれない。



ん?才能があったのか?

そ〜ゆうわけでもない。



ドラえもんがいたらなぁとか考えたことってあるよね?

のび太羨ましいなぁとか

でものび太みたいな人に頼ってばっかて人は世の中結構いるけどドラえもんみたいに人の幸せ願って人の為に動ける人ってなかなかいないよね。

そんな人が世の中にたくさんいたら絶対幸せな人っていっぱい出てくるんじゃないかな?

これから話すことはドラえもんに出会いドラえもんになりたい僕のこれまでとここからの話。



僕は大阪生まれの大阪育ち。

かと言ってトークがむちゃくちゃ上手いわけでもなく関西弁を喋る人とゆう感じ。笑


昔から活発で小さい頃から近所の家に勝手に入りおにぎりやお菓子など食べさせてもらったり、、(これは子供だから許されたこと、笑)

近所の人からは誰からも知られるスーパー有名人。



そんな僕が妹もでき3歳になった頃



突然の両親が離婚。。。



そこまで住んでいた街を離れ



新しい場所で生活を始めた。



僕は母子家庭で母は女手1つで僕と妹を育ててくれた。


母が仕事で家を空ける時はおばあちゃんがよく来てくれてご飯等を食べさせてくれた。


よくよく考えれば僕はすごくおばあちゃん子だと言ってもいいと思う。



幼稚園に入り小学校に入り




小学4年生の頃


母に男ができた。



昔から男を取っ替え引っ替えしていた母を見ていた僕は小学生ながらも「またか。。」と思っていた。


そんなある日母が結婚したいと言い出した。


だがそんなことおばあちゃんが許すはずもなく



そこから母は変わってしまった。





お金の使い方が荒くなり

借金まみれに。

だがそんなこともつゆ知らず関係ないとばかりに借金は増えていくばかり




小学校を卒業間際


いきなり家に知らない男が鍵を開け家に入ってきた。

すごく怖くて震えた。

死ぬんじゃないかと思った。


その男は壁にポンッと1枚の紙を貼った。


すぐに意味が理解できた。


この家を差し押さえにする予定だからあと1ヶ月後に全額支払わないと差し押さえすると書かれていた。

とてつもない泣いた。


母はどう考えているのか。

すごく気になったが荒れてる母に反抗する勇気は当時の僕にはなかった。


中学入学式当日

入学式を終えた僕はすぐに家に帰った。


なぜかと言うと

その日は溜まっていた家賃を全額払いに行く日だったからである。


当然母が全額払える訳もなく

おばあちゃんが年金を少なくしてでもいいと、僕達のことを考え泣く泣く100万を銀行から借りそれで家賃を支払った。


母はそこまでしてくれるおばあちゃんにありがとうとゆう言葉を言わず

ケンカの毎日でおばあちゃんに「お前なんか死ね」と自分の母に対してこんな言葉を投げかけるようになっていた。

小学校1年から中学3年までしていた野球がそんな家族のストレスをかろうじてだが消しさっていった。


こんな貧乏生活を続け中学3年の途中。


父に会う理由が母にでき

12年ぶりに父と再会することとなる。

僕は全力で泣いて父も大きくなったなとお互い泣きに泣いた。


高校に入る時も全て父は助けてくれた。

「お前たちに何もしてやれんかったからこれくらいはせめてさせてくれ」

この言葉はすごく嬉しかった。


高校に入ったとは言ったが自分の入りたい学校ではなかった。

そこは工業高校で僕は普通科に行きたかった。

頭が悪かった僕は行く学校がないとまで言われていた。


そこで機械も全く興味がなかった僕だがとりあえず卒業するまで3年間頑張った。

今振り返ると男ばっかのむさ苦しい学校だったが男ばっかだからこそ本気でぶつかれたし最高の友達もできた。

就職率100%の学校だった為

就職も見事に果たした。

そこもよかったし

頭が悪い中だが大手の株式会社に入社することができた。


社会人になりすごく充実した日々、

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