通算5度にわたるリストラ。海外まで追いやられ日本にやっと数年ぶり帰国も心臓病でまたしてもクビ!起業してリストラにリベンジをかける!

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なぜこんなにクビになるのだろう?


私は非正規社員を経験したのは、直近の1年間のアルバイトくらいだ。それ以外は全て正社員だった。大学を優秀な成績で出て英語、中国語がペラペラなのに常に企業から「お邪魔虫」扱い。それにしても正社員転職7回でクビ5回はひどすぎやしないか?もうすでに50歳を超えている。


ちょっと経歴を公表しよう。

大学を卒業して、インドにヒッピー旅行に行ってしまったのが1987年、帰国したが当時第二新卒という制度はなかった。正社員しかない時代に就職活動しても全く引っかからない。そこで旅行会社でアルバイトしながら正社員になる道を見つけた。それがすべてのスタートだった。

1.海外専門旅行会社・・・5年

2.外資系製造工場設備販売・・・1年半(クビ)

3.名古屋の家の販売・・・・・3ヶ月(ブラック)

4.旅行会社・・・・・・・・・3ヶ月(ブラック)

5.製造系人材会社・・・・・・7年(クビ)

6.大手総合人材会社・・・・・7年(クビ)

7.人材会社・・・・・・・・・3ヶ月(ブラック)

8.上海メッキ剤販売会社・・・1年半(クビ)

9.大手製造派遣会社・・・・・1年(クビ)


なんと!過去の人生経験で働いた会社はリストラかブラックの為の自主退社しかない!俺が悪いのか、会社が悪いのか?それにしても転職しすぎ!!

しかも非正規は最後の大手派遣会社のみだ。これはわたくしが心不全で入院したら上司が安全配慮義務を怠ったということを上から責められ、契約を打ち切られた特異な例である。


ふと考えた。私に組織というものは合うのであろうか?もともと学校というのが子供の頃から嫌いで、高校時代から暴れまわっていた性格である。学校の上下関係というのは家柄、学校の成績、体格などではっきり決まってしまい、それ以外のイレギュラーを受け入れない組織である。悪いけれど子供が学校で暴れるのは無理もない。簡単に言えば「監獄」と一緒だ。だから私は英語の授業中に後ろの席でエレキギターを弾いていたりした。そのくせ成績はクラスの1,2番。先生にとってはすごくとっつきにくい生徒だったろう。


会社に入ってもこの性格は変わらなかった。よく経営者とぶつかりあった。ただ私の方針は顧客至上主義なので、経営者が「このお客から利益をぶんどれ」とか「接待で徹底的に飲ませろ」「女を抱かせろ」とかいう奴が多く、「それが大人の世界だ」と豪語する経営者もあり、心から戦いたかったのかな?と思う。非法なことをして金を分捕ろうというアコギな商売が堂々と行われた時代でもある。しかしその方法はお客様のためになるのであろうか?私は間違っていると思った。だから経営者には憎まれていたのかもしれない。


貴様は人間失格だ、とも言われた事がある。彼らどうしようもない経営者の土俵の土はなんとしても踏みたくなかったんだとつくづく思う。そう考えると上記で「ブラック」「クビ」と書いたが、結局は「ブラック」=「クビ」イコールの法則なのだなあと思う。


なぜ経営者や上司とぶつかるのだろう?


答えは簡単だ。自分視線から見て「こいつらは無能だ」と判断したからであろう。無能でも経営者は経営者だ。上司に関しては先輩後輩の関係は日本の会社文化の場合容易に覆られない。ようは「既得権益」が有利な社会なのだ。

しかし、他のSTORYを見ていて「早稲田に入っても馬鹿は馬鹿」というのは確かに正しい。昔天才バカボンで「早稲田」=「馬鹿田」、「慶応」=「低脳」と茶化した場面があったが、日本のヒエラルキー制度をとことんまで揶揄した結論だったろう。だから「経営者でも無能は無能」なのである。

一概に経営者と書いたが経営者の中にはオーナーと雇われと2つに分かれていた。基本的にオーナー側の方が仲良かったなあという感じがする。雇われ側の方が冷たく卑劣な行為をしていたような気がする。要はてめえも雇われの身の癖に「お前たちは一段下だ。」と踏みつける態度をとる。これは本当にかなわなかった。

オーナーの方が暖かったというのは意外かもしれない。大抵は逆だろう。いや、一生懸命仕事をこなしているとダイレクトに評価するのはオーナー側である。逆に雇われ側は自らが数値のことに頭を痛めているので部下をいじめたくなるのだろう。人間なんて感情の動物だ。

クビになった経緯をいくつか紹介しよう。これから社会人になる方々にも参考にしてもらいたい。


外資系設備会社

1992年この会社に入社した。入った感想は「刑務所の中のようだったなあ」と覚えている。

すなわち予測したとおりだった。この会社は3つの会社を統合してできたものだった。1つは土台である日立制作所。ここからの出向者と外資の設備会社、そして僕らこの3つの会社が統合してから入社したものと三つ巴状態だった。当然3つの派閥があり、それぞれに管理者である取締役が置かれた。3つともにらみ合った状態で仕事をしていて、ISOを取得するのに部署の足の引っ張り合いまで平然としていた。ムードは最悪。売上は日々低下、外資系でなければいつ潰れてもおかしくない会社だった。


私はその中で頑張っていた。神奈川静岡担当であった。売上は同じ同僚の2倍は上げていた。あるとき2000万の注文書をもって帰ってきた。「ヤッターぜ!」こちらは得意満面で万歳三唱!上司も喜んでくれたが、遠く向こうの方から厳しい視線を感じらざるを得なかった。そう、敵対関係にあった日立のOBたちであった。


まさかその翌日にこんなことがあるとは予測もしなかった。


翌日、全社員が会議室に集められた。そこで社長(アメ公)がみんなの前で演説した。つまり業績悪化で全体の20%の人員をするので今週末までに早期退職希望者は退職届を持って来いとのことだった。「何だ、退職は任意だし俺関係ねえ」と思って会場を後にしようとしたところ、別の取締役が「阿部くん、ちょっと来てくれ」というのだ。


みんなの読んで良かった!