重圧から逃げた3年間

1 / 3 ページ

次話: 勘違いした4年間

重圧から逃げた3年間


お久しぶりです。

以前、中学までのお話だったのでその先少し、またストーリーとして残そうと思います。


中学三年間を”終わりよければ全て良し”状態で終え

意気揚々と高校野球の世界へ足を踏み入れた。


そしてその後


不甲斐なかった高校一年生。

手応えと評価を勝ち取った高校二年生。

諦めと悪あがきの中で苦しんだ高校三年生。



ただただ納得出来なかったが大学進学。

孤独と楽しさを取り戻した浪人時代。

手応えを掴んだ大学一回。

ケガと挫折と謹慎を味わった大学二回。

空白の半年がもたらした大学三回生。

集大成の大学四回生。



こんな風なSTORYになるのかなと、ざっと書いてて感じました。

どの時期が欠けても今の自分は無かったし、今の考え方にはならなかったでしょう。

あそこで結果を出してたら・・・

あそこで結果出せてなかったら・・・

どちらも今の自分を創る大切な要素だったんだなぁとしみじみ思います。





高校野球・現実は、井の中の蛙だった


有終の美を飾った僕は、チーム内競争が激しい強豪校へ入学した。




そんな中でも当時は「誰にも負ける気はしなかった」

事実、入学後、いや正確には入学前から三年生の試合にも出ていた。


「俺が甲子園連れて行ったる!」


しかし、中学とは違い連日のハードな練習に身体も気持ちもついていなかった。


はっきり言えば、サボる事しか考えてなかった・・・

正確には練習に付いていけないからサボるしかなかっただけだったが。


入学当初は大きい目標があったが

徐々に目標など薄れていき「今日を耐え忍ぶのみ」というような

目の前の目標しか見れなかった。


ただただ組織に従うだけの期間。


ついていくのがやっと・・・


まずはこの状況に慣れなければ。

著しくマイペースな僕にとって、これは最大の苦痛でもあった。


「こんな姿、見られたくない」


これは小さなプライドかもしれないが、僕を形成する大事な要素でもあった。


行動はまだまだ伴わないが、心だけは折れてなかった。



折れかけた心を繋いだもの


とはいえ「俺はこんなもんか・・・」という諦めにも似た感情と

謙虚ではない弱気な面も多々顔を覗かせた。


客観的にみたら、別に大した選手じゃない。

やっぱ高校野球ってレベル高いんやな。

そんな諦めの付きそうな言葉で必死に今を取り繕っていた。


しかし、結果は"勝手に"付いてきた。


折れかけて心をつなぎ止めたメンバー発表。


与えられた「背番号17番」


「背番号、もらえて当然やろ」


そんな強気な自分と弱気な自分が混在する中で

本当は滑り込みだったけど「背番号」という結果は

単純な僕をつなぎ止めるには充分だった。


なんでお前がメンバー入るねん!

という声を影で言われる程、良く思わない人もいたようだったが。


心では「俺が決めたんちゃうわい」と思いながら右から左だ。


しかし、秋季大会は強豪・大体大浪商に出番すらなく、まさかのコールド負け。


前年の大阪大会準優勝から一転、三回戦でコールド負け・・・



チームの不調はよそに、その頃ようやく森田一也が息を吹き返した。


滑り込みながら、メンバーに入った事。

練習環境にも慣れてきた事。

このような事実も重なり


この冬は、やったるで!!!!


と、やる気だけは入った。


それまでは毎週のように入ってくる試合のなかで

ただただその試合に向けた準備をする日々。


そんな日々も終わる、シーズンオフ。


野球人の冬。


それは自分を見つめ直すには最高の時間。


半年以上経過し、練習にも慣れて目標も見つかった高校一年の冬。


そんな気持ちに比例するかのように、確かな手応えを掴んで行く事になる。


ストーリーをお読みいただき、ありがとうございます。ご覧いただいているサイト「STORYS.JP」は、誰もが自分らしいストーリーを歩めるきっかけ作りを目指しています。もし今のあなたが人生でうまくいかないことがあれば、STORYS.JP編集部に相談してみませんか? 次のバナーから人生相談を無料でお申し込みいただけます。

著者の森田 一也さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。