重圧から逃げた3年間

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次話: 勘違いした4年間


自信→確信→過信


高校2年の春は昨年とは一転して、主戦投手として春季大会を迎えた。


公式戦初登板となった、大会3回戦で

7回参考記録ながら公式戦初登板でノーヒットノーラン。


そして次の試合は、秋季大会で出番すらなくコールド負けしたあの大体大浪商との再戦。


ここでも完投勝利をあげ、冬場に得た自信は、やがて確信へと変わっていった。


そんな自信そのままに、当時の大阪の最高峰・名門PL学園との対戦を迎える事になる。


中学時代から知らない者はいないスーパースター軍団、昨年の甲子園にも出場したテレビの中の人もいる。

特にエースも4番も2年生だったため、そのまま残っていた。

(のちにレギュラーのうち4名がプロ入りする)



そんな最強軍団との対戦に、ほんのつい一年前までは、

練習すらまともに付いて行けなかった2年生がマウンドに立つ事になる。


世間は昨夏の決勝戦の再戦だ。


多くの注目を集めた。


自信が確信になった途端、彼らを目の前にし自信はもろくも崩れ去った。


初めて肌で感じた威圧感という言葉。


後にも先にも「雰囲気に飲まれた」のはあの試合のみ。


最強軍団の醸し出す圧倒的な存在感の前に


7回途中ノックアウト・・・


ところが、周りの評価は対照的で終盤までもつれた試合を評価した。


実際圧勝しなかったのは履正社戦のみ。


他は圧勝での大阪制覇だった。


「あのPL学園を終盤まで追い詰めた」

「まだ二年生だから先が楽しみだ」

「夏の大会までに伸びれば面白い存在」


などなど、高まる期待とはよそに肌で感じた僕の感覚は素直だった。


格が違う・・・


よく例えとして、10回対戦したら3試合は勝てる。

などと表現する事がありますが、この試合に関しては

10回やって1回も勝てない、と感じた。


むしろ10回やって7回まで持ちこたえれる可能性がせいぜい1回。


今になるとそれが妥当な見解だろう。


正直終盤まで抑えれたのが不思議なくらい。




しかし、単純な僕は”周囲の評価を受けて”どんどん「過信」して行く事になる・・・


その頃感じた違和感には一切目を背け、ただただ”過去の結果”に酔っていた。


夏はいけるんちゃう?

過信→崩壊


春季大会が終われば、高校球児にとって最高の舞台「甲子園」が始まる。

その予選を闘う為に6月は最後の準備期間でもある。


そこで事件は起きた。


練習試合で、1回4失点ノックアウト・・・


築き上げた信頼が一気に崩れ、掴んだ確信が過信だと確信した瞬間だった。


なんとなく気付いてたけど、目を背けた結果がもたらした必然。


そしてその後、ある事件からしばらく練習にも参加出来ない日々。


周囲の期待とは裏腹に身内の期待を裏切る日々。

そんな複雑な状況の中で、当時高校二年生の僕が

正常な心を保つのは実に困難だった。



そして1年前もらった時のような背番号の重みを感じる事無く

容赦ない再び二ケタの背番号が妙に軽く感じた。


そうこうしながらも、二度と来ない高校生の夏は始まる。


しかし、ここでも実力以上の結果を出してしまう事に。


この年は、かなりハイレベルで、春に大敗した名門PL学園の他にも強豪がひしめいていた。


大阪だけでドラフト一位が何人出るか?

そんな戦国大阪大会だった。


そして春の選抜でベスト4まで勝ち進んだ関西創価高校がなんと3回戦の相手だった。


「全国ベスト4」の関西創価対「3回戦コールド負け」の履正社・・・


下馬評ではもちろん関西創価。


それに優勝候補筆頭。


しかしなんと、僕らは勝ってしまった。


6回から4イニング登板し、無失点の好リリーフを見せる活躍。


しかしそれは、相手の自滅によって出た偶然の結果に過ぎなかった。


と、自分だけはちゃんと分かっていた。


「たまたま」だった事を。


そんな事など御構い無しに勝ち進んで行く夏の大会。

そしてベスト8も無事勝ち進み、甲子園まであと”二つ”というところまでやってきた。


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