30歳何の取り柄もない主婦が改めて自分の人生を振り返った結果、たった1つ好きな事に気がつくまでの話
比例して美容師になる夢も消えて行った。
「あの時学校に行けてたら、こんな思いしなくて済むのに・・」
そう思っては、父を憎み、そんな自分に嫌悪する。
甘ったれて感傷に浸っていたかったのだろうか、いつまでも同じ思考のままぐるぐる回り続けて、気付ば20歳を迎えていた。
20歳を過ぎても定職につかずに、アルバイトを転々とした。
完全に思考は停止。
その日暮らし最高!今日が楽しければ何だっていい、そんな気持ちで夜が明けるまで遊び歩いた。
そんな矢先だった。
祖母がちょっとした怪我から認知症になり、母との介護生活が始まった。
介護疲れで母はどんどんやつれていった。
父との関係も急激に悪化、言い争いが絶えなくなった。
父に対して憎しみしかなかった私は、母に加勢するようになった。
子供というのは不思議なもので、大事な母親を守りたい一心で父に挑んだ。
湧き上がる恐怖をこらえ、父を論理的に説き伏せる。興奮した父は聞く耳を持たない。
逆鱗に触れた時、体が宙に舞った。「もう終わりだ」痛みと共に家族が壊れていく。
しばらくして父は家に帰らない日が増え、連絡がつかなくなり失踪した。
何十年も続いた不協和音はある日突然鳴り止み、その静けさが更に恐怖を掻きたてた。
嵐の前の静けさ。
その後残された私達は、より一層悪夢のような日々を過ごす事になる。
家族会議の結果、私が一家の世帯主になった。
その頃私は24歳になっていた。
「私が大黒柱!しっかりしなきゃ!」
一生懸命働いても、女性の給料なんてたかが知れている。
ましてや高卒だ。学もなければ、人脈もない。
悔しくて夜になると、枕に顔を押しつけて泣いた。
この頃は長年付き合っていた彼氏と別れ、まさに踏んだり蹴ったり状態。
結婚は当分無理と考え、腹をくくって仕事に没頭した。
■予期せぬ悪夢
時は流れて、この後出会って半年で今の主人と結婚する事になる。
転勤が多かった主人についていく為、結婚半年ほどで故郷を離れる事になった。
過保護だった母は、空港でいつまでも泣いていたのが印象に残っている。
この別れから3カ月後、また故郷に戻るなんて誰が予想しただろうか。
新天地に到着してすぐ、妊娠が発覚した。
母は電話口で泣いて喜んだ。
初めての土地、つわりが酷く不安な毎日を過ごしていた私は、よく母に電話をした。
たわいのない会話ばかりだったが、いつからか母は電話に出ない日が増えた。
問い詰めても「疲れて寝てた」そう答える母。
何故だか引っかかる。だが確かめる術がない。
昔からカンが鋭かった私は、母が何かを隠しているのはすぐに分かった。
丸1日電話に出ない事があった。
兄に連絡すると、「母は体調を崩して入院している。年だから大事をとって精密検査してもらってるから」と伝えられた。
夏の終わりが近づいた頃、母から珍しく電話がかかってきた。
ちょっと早めに里帰りしないかとの提案だった。
主人の出張ついでに故郷に帰る予定があり、滞在中に答えを出す事にした。
電話口の母は嬉しそうに「早く会いたいな!」と何度も何度も言っていた。
久しぶりに元気そうな母の声を聞けて、私も安心してその日は眠りについた。
故郷に着くと、やはり家に母は居なかった。
その頃兄は病院に勤務していて、母は兄の病院にいた。
久しぶりに会った母は、以前よりだいぶ痩せこけてフラついた様子だった。
「歳なんだから、無理しちゃだめだよ!母さん!」いつもより厳しめに母を叱った。
娘に叱られても、母は嬉しそうに「ごめんね」と笑っていた。
なんだ、普通じゃん。良かった。その時はそれ位しか思わなかった。
滞在も明日で終わりという時に、兄に誘われ母の見舞いに行った。
病室では母が待っていて、今日は病室じゃなくここに行くからと別の部屋を案内された。
嫌な予感がする。
数分もしないうちに、兄が医師と共に入ってきた。
挨拶をかわし、子供は安定期に入ったのか、順調に育っているかなど世間話をすませ、急に神妙な面持
ちで私に告げた。
「お母さんの病気の説明をします」
は?何言ってんの、この人?と思った。
だって母はただの過労でしょ、説明も何もと思っていた。
医師は母の病状を詳しく教えてくれたけど、全然耳に入って来なかった。
理解していない私に医師は更に丁寧に教えてくれた。
母は
・スキルス性の胃がん
・ステージ4
つまり末期だった。
なんでだろう、なんで母なんだろう・・あんなに苦労してきたのに、こんな仕打ちある?教えて神様。
涙が止まらなかった。
母は検診なんて、何十年も受けた事がなかった。
理由は「何か見つかって迷惑かけるの嫌だから」
体調不良が続き、とりあえず兄の病院へ来たらガンが見つかった為、即入院。
それは私が故郷を離れてすぐの事だった。
抗がん剤治療を始めたが、身もだえる程の痛みに私と連絡が取れなかったと詫びた。
しかし、私の懐妊の報告を受け、せめて安定期に入るまでは隠し通そうと兄と二人で決めたそうだ。
やっと幸せな人生を歩める、親孝行が出来る、そう思っていたのに、またしても絶望の淵に落とされる事になった。
■幸せと引き換えに
主人に母の病状を説明し、そのまま故郷に滞在することになった。
母は外泊許可が下りると自宅に戻ってきたが、そんな生活も長くは続かなかった。
妊婦健診の帰りに、母の見舞いによく行った。それほど病院の距離は近かった。
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