「七転び八起き」は実話っていう自分がイヤ!!第五回

人には様々な人生が待ち受けているもの。でも、続き過ぎると「マジで、もういいか?」と自分に問うレベルです。今まで語ることのなかった超個人的体験談を綴ります。


〜第五回 「就学前児童検診日」〜


何の前触れもなく、その日は来た。


急に母が私と一緒に「今日は出かけないといけない日よ」と言われて、手をつないで「どこか」へ行った日だ。


私の頭の中は、もう「!?!?!?」、と同時に

「恐ろしいことが待っている」と思い、私は行くのを嫌がった。

だって、いつも「怒るしかない母」が「私の手をつないで」なんて、それまで一回も手をつないだことなんてないのに、これは「絶対、怖いことがその先に待ってる」と思う他なかった。

普段は、母の近くか側という指導の元、歩いていたように思う。

事故には遭わないように、でも、「手はつながない」


行く前に、母は「あんたと手をつなぐのは嫌だけど、今日行くところにはそうして行くのがいいと言われている」というようなことを言った。

余計、わからなくなった。


それまでの、母と「手をつなぐ」というチャレンジは見事に砕かれていた。

私から、母の手を取ろうとして、

「気持ち悪い!!何してんの!」

と言って、振り払われたことなら記憶にある。


その母が「手をつながなくてはならない」と思わざるを得ない事情が、私には「とんでもない」ことのように思えたのは仕方ない。


さらに、

「今日は、何か聞かれたら、ちゃんと答えなさい」

私は喋るのがとっくに苦手になっていたし、「『ちゃんと』って何?」と思っていても、尋ねることが出来なかった。

小さくうなづいた。

「今日これからは、はっきり『はい!』って言いなさい!!」

この段階で、もう半泣き。

私は、母の強い口調、そして、苛立ってきりきりした空気感が苦手だった。



今でも、固まる。

そういう人に出会うと。

いわゆるヒステリックな女性。

もう、そのオーラがあるだけでムリ。



そもそも『はい』っていう言葉が言えなくなったのは、私のせいじゃなく、何とか「嫌いな保育園」にも行き、先生の前でも「何もない」かのように振る舞い、気を使って生活していた。

その頃には、図工やお絵描きの時間が好きになっていた。

自分の世界には、誰も「入れない」から。


園児ながら、「他の子が『なぜ朗らかなのか』、ようくわかってきた」のもこの頃だ。

「子供は、気を使わずに、子供らしくいればいい」のだ。

それを奪われた代償が「言葉」なのに、今日は、都合で「はい」と言えという。

ちょっとないわー、信じられへん、と感じつつ、

逆らえないこともようくわかっているので、どんどん落ち込んでいった。

着く時間も決まっているらしく「言いなさい!!」と母はもっと厳しくなっていった。

練習する意味が分からず、急に自分に取って最高に苦手な「返事」を要求され、おそらくべそかいたので、叩かれるか、つねらるか、したと思う。


頭の中はぐちゃぐちゃになるし、もっとわけがわからなくなった。


ひとしきり儀式は済んで(結局、泣くこと)、しくしく言いながら、手を引っ張られて連れられて行った。

そこには、自分と同じくらいの子とその母親が集まっていた。

ものすごい数に思えた。

「何しに、こんなに集まるんや!?」

集団の中に入るのが苦手だったのだ。


また、その門の前で入るのを、私は嫌がった。


ここは、ほとんど恫喝のように「まだ、怒らす気か!!」とか言われて、嫌々入った。


わけのわからないまま、体重や身長を計り、服の脱ぎ着も見られた気がする。


途中、内科の先生がいて、私は「聴診器」を知らないから、後ずさっていたら、

(わー、やっぱり怖い物があるやんかー、と頭の中では思っていた)

その先生が、

「何も怖がることはないよ。健康かどうか診ているだけだからね。お母さんから、今日何するか聞いてないの?」

ものすごく優しい「口調」と「声」だった。

私は、そんなふうに優しく話されたことがないので、すごい!!と思い、「すうーっと話しが入ってきた」のにびっくりしたのと、話しがわかりやすかったので、緊張感がほぐれた。

私は、その先生の前にある椅子に座り、診察を受けた。

看護師さんも優しかった。

その場を離れる際、泣いたかもしれない。

優しくされることに、私は慣れていなかった。

でも、相手が私に関して「どうしたのか」となると都合が悪い。

「黒色のお絵描き」の件で学んだことだった。

私は、何事もなかったように、その場を移動しなくてはならない。


帰りは、来たときと違う小さい門から出た。

終わってから、気持ちが落ち着いてみると、とにかく私は「小学校というものに入学出来るらしい」ということがわかった。

その頃には「看板」で何かの建物であることを指すことくらいはわかっていた。

姉は毎日どこへ行ってるのか、そのとき初めてわかった。

私はさっきのお医者さんのおかげで、少し救われていたので、勇気を出して聞いてみた。

「お母さん、私は、ここへ通うの?」

「そうよ、あんた、どうしたの?」

どうも母は、いつも泣いてばかりいる私が、はっきりモノを言ったので、びっくりしたらしい。

私は続けて、

「先にちゃんと言ってくれたらよかったのに」

「お姉ちゃんもここに通ってるの?」

などと言った。

母は、姉は違うところへ通っていること、そして、

「偉そうに」

と言ってにらみ、また私を黙らせた。

でも、その後に、

「喋れるようになったのは、やっぱり小学校に入る心構えみたいなものが出来たのかしら??」

といい、

私は、そんなわけないじゃない、アホちゃうかと思っていた。


少し振り返り、何にも考えていないようなたくさんの「親子達」。

ばっと来て、ざっと帰って行く、この感じ。

すごく統制の取れた空気をみて、不安ではなく「疑問」を感じた。


中には、生き生きした「はつらつとした」同級生もいた。

その子がとても「人」らしかった。

子供より、大人の方がアホかもしれない、と確信して帰った。

大人になるということは、「盲目になること」なのかと疑うようになった。

もちろん、母は、帰りに手をつないだりなんかしない。


つづく


第六回は、「小学校生活」


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