僕の全てを形成しているジャッキー・チェンと、そのきっかけとなった漫画家の話

著者: たつま つた

ジャッキー・チェンが大好きだ!!!


友人のラテアートアーティストじょーじに描いてもらったジャッキーカプチーノ


中学1年生のころに『プロジェクトA』を見て、ジャッキー・チェンを好きになった。好きになったというより、風邪を引いた。風邪を引いたというより、取り憑かれた。

その後、2日に一度のペースで近所のレンタルビデオ店に行き、ジャッキー映画一本と、その他の映画一本を借り、狂ったように映画を見るようになった。

もちろん、そのころソフト化されていたジャッキー映画はあっという間に見尽くしてしまった。

ジャッキーの影響で休み時間の校内鬼ごっこで窓の外の縁を伝って逃げたり、小さな窓を通って屋上へ出たり、2階から飛び降りたり、自ら階段から落ちたり……

まさにジャッキーで形成された中学生だった。


それからというもの、ジャッキー映画が公開されると初日(できれば公開前)に見に行くのは当たり前。

ジャッキー関連のイベントに足を運び『プロジェクトA』や『スパルタンX』『ポリス・ストーリー』など、生まれる前の映画を劇場で見ることができた。

イベントでジャッキー啓蒙ユニットのスクール・オブ・ジャッキーのお二人とも知り合い、その伝手で多くのジャッキー好きの方々と知り合うことができた。


今でも思考の根本にジャッキーがいる。

そのためショッピングモール等に行くと「ジャッキーが暴れやすそうな場所だなあ」とか、拙いアクション映画を見て「ジャッキーならここをこうするだろうな……」など、常に思っている。

また、都合よく旅好きの人間であるため、香港には二度訪れている。特に一度目は"ジャッキー映画のロケ地とジャッキーの家を周るだけ"の旅をするなど、まあ大ファンなんだと思う。




「家族が悲鳴を上げれば上げるほど、観客は歓声をあげる」

こんなジャッキーの言葉がある


家族にしてみればたまったものではないが、何よりも観客を楽しませることを考えていなければ、こういった言葉は出てこない。

自らの体を犠牲にしてまで観客を楽しませる根っからのエンターテイナー

自分の撮りたい映画をとことん拘って作り上げる映画人の鏡

ブルース・リーが作り上げた、シリアスなカンフー映画の時代を打ち壊し、カンフー映画をエンターテイメントに変えた独創性


そんなジャッキーに憧れて、僕は映画の道を歩んでいくことを決めたのだった。

僕を映画好きにした元凶。

僕の人生を決めた元凶。

それが、ジャッキー・チェンだ。



そんなジャッキー・チェンが大好きな僕だが、そのきっかけになった人物がいる。


漫画家のみずしな孝之先生だ。

(みずしな先生のTwitterのカバー写真が、一番上に載せたじょーじの作品という偶然に驚いた)


彼の著書、ミズシネマに、ジャッキーの魅力がこれでもか!というほど書いてあったのだ。

そんなみずしな先生が最も推していた作品が、『プロジェクトA』だったのだ。


そんなに言うなら見てやろうじゃないか!と決意した中学時代の僕は、まんまとジャッキーにはまった。

もちろん、日本で大人気のジャッキー・チェンだから、それ以前にも『酔拳2』や『ナイスガイ』をテレビ放送で見たことはあった。

だが、"ジャッキーっぽいアクション"は好きだったものの、"ジャッキーとはどういう人で、なぜ体を犠牲にしてまで観客を楽しませようとするのか"を知らなかったため、すごいなー程度の感想だった。

『プロジェクトA』の時計塔落ちスタントを見てから、この人は何なんだ!?という気持ちが強まり、こんなことになってしまったのだった。


みずしな先生、僕の人生を決定づけるきっかけを与えて頂いて、ありがとうございます。



そんな僕は、今となっては

1990年生まれの神奈川県在住の男の中で最もジャッキーを愛する男

を自称するようになった。

周りの人にそのことを言うと、「多分そうだと思う」という呆れ半分の返答があるくらいには

たつまつた=ジャッキー

という図式が定着してきた。


人生最大の夢は、ジャッキーと会うことだ。

そう、こんなことを言っていながら、まだジャッキーと会ったことがない。

昔は事務所や撮影現場に行けば会えたのだが、現在では国賓クラスの大物なので、そうそう会うことはできない。

だが、人生で一度くらいは会えるチャンスがあるはず。たぶん。


どうかこの僕をジャッキーに会わせてください!!




ジャッキー本たちと、香港のジャッキーショップで購入したもの。(左上はジャッキーの直筆サイン)

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