クラスで下から2番目、が上から2番目になり、大学合格を手に入れるまで

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中学の時に、クラスで下から2番目だった私は、這い上がるようにクラスで上から2番目になった。
高校在学中も成績は優秀だった。評定も5点満点中4.5以上は毎回キープしていた。4.5を切りそうになると、ドキドキしたものだった。
クラスメイトと切磋琢磨して、分からないところを一緒に考えたり、ノートを見せ合って情報を交換したり、その時間がとても好きだった。
私は優等生になっていた。
先生達からも信頼されるようになり、クラスでまとめ役を頼まれたりもした。
学校の勉強を頑張るのには理由があった。大学受験の時に、推薦を貰う可能性を最大限に広げるためだった。
受験には色々な選択肢があった方が焦らないに違いない、と思ったのだ。
とても賢かったなと今でも自分で思う。
大学では英語を専攻して、更に極めたいと思った私は進路を文系に絞った。
高校の3年間というのは実にあっという間に過ぎるもので、あっという間に進路を決める時が来た。
「フジはどうするんだ?」
「…指定校推薦、受けてみたいです。」
指定校推薦とは、大学からある一定の評定を獲得している生徒に向けて推薦入学のチャンスを与えてもらうものだ。
主に私大が中心。ちなみにどこの大学が指定校推薦対象になるかは、秋にならないとわからない。高3の夏は、勝負の夏。秋になってから考えよう、では遅すぎる。夏休みから推薦だろうが、自力受験だろうがどっちに転んでもいいように勉強に追い込みをかけていく必要があった。
私が求める英語教育…
学費や通学を考えると、地元の西南学院大学が1番だった。オープンキャンパスに張り切って行ってみた。
全然楽しくなかった。笑 自分の気持ちが全く上がらないのがわかって、悲しくなった。
父とは夏休みに入ってからずっとその話だった。
「お父さん、どうしよ。」
「ももちゃん、あんた英語なら同志社ばい。同志社受けてみらんね。」
「は?笑 絶対通らんけん!」
父は同志社を推した。京都に修学旅行に行った時、伝統的な街並みの中にある同志社大学はカッコいいものだった。
赤レンガで、大きなキャンパス。
「受かるかどうかは分からんたい。とりあえずやってみらんね。」
父が何故そんなに同志社を推すのかは分からなかったが、父の言葉に疑いを持ったことはそれまでなかった。
「同志社か。そうか、いいかもな。」
何となく心が躍った。あのキャンパスに自分がいることを想像してみた。
思い切って、模試の志望校に同志社大学、と書いてみた。

D判定。


学校で優等生の私も、日本の何万といる受験生達の中では埋もれてしまう。
赤本とやらを広げてみたが、英語のレベルが桁違いだった。現代文、古文はまぁまぁ、世界史も暗記をすればどうにかなる。
英文科を目指す私が、英語で点数を取れなかったら話にならん!
久々にめげそうになった。それまで自信があった英語…自分の甘さに気付いた。
夏休みは勉強に励んだ。塾に行くのは嫌だったので、1回きりの講義に積極的に参加したり、学校で勉強したりした。
夏休みが明けた。
指定校推薦の発表があった。
自分の目を疑った。
"同志社大学 英文学科" 
「えっ…マヂ?」

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