笑顔の仮面を脱いで、本当の笑顔へたどり着くための働き方-笑いたくないのに、笑っている人へ-
「もっと安かったら、買ってあげるのにな。」
新宿にある色んな会社が入った雑居ビル。
その雑居ビルの一室の古びたソファーに僕は座っている。
「ホームページちょうどリニューアルしたかったんだよね。」
数日前にもらったその言葉に期待して訪れた営業先だ。
机の上には、うちのホームページ制作のサービスについて書かれたチラシが置かれている。
そのチラシを見ながら、説明をひとしきり終えた僕に営業先の社長が口を開く。
「もっと安かったら買ってあげるのにな。」
その言葉に、僕は、ひどくうんざりしている。
「またかよ…。」心ではそう思っている。
それでも僕の口から出たのは、
「いくらくらいをご希望でしょうか?」という言葉。
顔は笑っている。何も楽しくないのに…。
雑居ビルから出た途端、大きなため息が出る。
その瞬間、腹痛に襲われた。昨日の夜もこの腹痛のせいで、眠れなかった。
学生時代の友達2人と意気揚々と起業したのが、3か月前。
ホームページをつくって、電話やメールが来るのを楽しみに待ったが、
何も起こらないまま1か月が過ぎた。
「動かなきゃだめだ!」と思い、とにかく人に会いまくった。
交流会には、最低週2回出るようにした。名刺も300人以上と交換した。
その後、打ち合わせした人もいた。
だけど、うちのサービスを買ってくれた人は誰もいなかった。
「売る」ということに対しての自信は、日々無くなっていった。
そんな時、交流会で出会った人の中で、営業支援会社の人がいた。
その会社と業務提携した。
おかげで、人と会うことはできるようになった。いくつかサービスも売れた。
だけど、全部お客さんが希望する値段で売った。
僕らは、当時東京都北区の十条という「ザ・庶民の町」に住んでいた。
学生がたくさん住んでいるマンション。その一室に僕の自宅はあった。
その自宅のキッチンを事務所代わりに使っていたから、事務所代はかかっていない。
だけど、3人分の生活はとてもできる状態じゃなかった。
その焦りから、2割、3割は当たり前のように値引きした。
時には半額でも売った。
だけど、ますます生活は追いつめられていった。
夜中にお客さんからの電話で携帯が鳴り響く。
契約外の指示も飛んでくる。それでもできる限り対応した。
買ってもらった数少ないお客さんだから。
だけど、中にはどうしても技術的に対応できないこともあった。
そのことを謝りながらお客さんに伝えた。
その時に返ってきた言葉で、頭が真っ白になった。
「せっかく買ってあげたのに…」
それでも、僕は笑いながら謝った。
そのあたりから腹痛がたびたび出るようになった。
なけなしのお金を持って病院に行って検査をすると「ストレス性ですね。」という答えが返ってきた。
「ゆっくり休んでください。」とも言われた。
「休めるわけがない。」と言いたかったけど、笑顔で返事をして病院を出た。
腹痛をこらえて、事務所代わりにしている自宅に戻った。
「ただいま」と言っても、2人から返事はない。
値段を安くして売っているせいで、「忙しいのに利益は出ない」状態が続いていた。
そのストレスからよく口論していた。朝から晩まで一言も話さない日も頻繁になってきた。
その日も何も話さないまま、「お疲れ様」もなく、仲間は帰っていった。
それから数日後、その仲間の一人から思いがけない言葉が飛んできた。
「社長、辞めれば?」
ショックだった。何も言葉を返せなかった。
それでも、僕は笑っていた。
その次の日、3人で久しぶりの話し合いをした。「会社を潰すかどうか?」の話し合い。
その話し合いの日から、僕らは変わった。
一度もテレアポや飛び込みなどの営業らしい営業はしていない。
お金を借りたわけでもない。
広告を出したわけでもない。
僕らがあの日決めて、行動に移したことはただ一つ。
「伝えること」そして、そのおかげで、僕は心から笑えるようになった。
7年前のあの日。「会社を潰すかどうか?」を話しあった日から僕らは変わりました。
その日にした「話し合い」が、大きな転機になりました。
今まで何度も話し合いはしてきました。
交流会での出来事、営業先での出来事、お客さんとの出来事、それら全てを共有していました。
しかし、「今より良くなるための話し合い」は一度もしていなかったことに気付きました。
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