「高木教育センター」の、ありふれた日々
「追いついたら普通のクラスに戻します」
実際に、私のいたローガン中学校はそうなっていた。
ところが、日本でそういう話をすると
「差別だ!」「人をバカにしているのか」「そんなことしたら傷つくだろう」
と総攻撃をくらう。だから、
「大丈夫。勉強だけが人生ではないよ」
と意味不明なことでごまかしていく。社会に出たら、ごまかしが効かないのに責任回避なだけなのに。
私はブログに父のことや特攻隊のことをよく書く。個人ではどうしようもない戦局の中で、自己犠牲を受け入れた先人には頭が下がる思いだ。しかし、その同じ事態をアメリカから見ると
「そんな聖人君子のような人間が存在するわけがない」
という哲学なので、
「狂気の自爆テロだ」
と見えるのだろう。
第七章
「怒りの根源」
私はアメリカにいる1年間に、怒った記憶はない。
「私はこんなに良い人間だったのか」
と自分で驚いたほどだ。
ところが、日本ではそうはいかない。親に怒鳴りつけ、姉に怒鳴りつけ、生徒に怒鳴りつける。なぜ、こんなことになっているのか。それは、ユタ州にいたときは
「怒る人より、怒らせる人が悪い」
という教育を教会が行っているからだ。人間はイエス様のように完全ではない。無限の忍耐力などない。だから、できるだけ相手を怒らせるような言動は慎むべきだ。そういう哲学が徹底されていた。
ところが、日本では備品を壊そうが、暴力をふるおうが、イジメで友人が自殺しようがやりたい放題。そういうはみ出し者も受け入れて更正させる。教育させる。そんな偽善が横行している。
誰が、そんなイエス様のようになれるものか。だから、怒鳴りつけるしかなくなる。感情的になると、ストレスが溜まる。集中できなくて交通事故や、うっかりミスにつながりやすい。ロクなことがないのだ。
たとえば、経費を節減して月謝を据え置き塾生の保護者の方の経済的な負担を軽減したいと考えている。そのような時に、塾生の方が落書きやら乱暴に備品を扱って破壊すると清掃や修理をしないといけない。その経費を確保するためには、月謝を上げるしかなくなる。
選択肢は二つしかない。そのような生徒を塾から追い出すか、月謝を上げるかだ。もちろん、その前に塾生に話しをする。しかし、過去そんな説教がうまくいったためしがない。それどころか、怒鳴りつける。あるいは、実力行使で止めるしかなかった。
「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:33〜34)
普通の人間は、十字架の拷問を受けている最中で、こんなことが心から言えるでしょうか。イエス・キリストは100%、痛みを感じる人間であり、神の子です。この方に「私の心にお入り下さい」と祈ってみましょう。人を赦せないあなたを、赦してもらうことができます。
こんなことは普通の人間には出来ない。つまり、私には出来ない。悪い生徒に弁償してもらおうとしても、月謝さえ踏み倒していく。そういう悪い生徒が集まるから、塾は自己防衛のために月謝の銀行引き落としが拡大中だ。
私は、よく
「厳しすぎる」
と言われる。しかし、たとえば患者の世話をしている医者や看護師がミスをしたらどうなるのか。命に関わる。塾長の仕事もそんなもの。試験の合否は命に関わるとは言わないが、それくらいの思いで勉強している子は多い。
「悪気はないのに・・・・」
などと言う釈明は聞く気はない。真面目にやっている子が犠牲になってしまうからだ。
ほらね、私は人を赦せないクリスチャン失格です(笑)。
第八章
「敵は家族にあり!」
ハンバーガーは牛肉から出来ている。日本では仏教の影響が強いため、殺生を嫌い屠殺場の労働者は不浄と差別されたようだ。今も、牛を一撃で殺す場所に行くと女性などは
「かわいそう!ヒドイ!!」
と叫ぶのだろう。しかし、そういう仕事をしてくれる人がいないとマックは食べられない。牛丼は食べられない。ステーキは食べられない。すき焼きは食べられない。
私は、自分が通風になってから肉はあまり食べない。しかし、雑食性の人間には肉は必要なのだろう。
私は一部の人に、屠殺場の労働者のように見られていることを知っている。一生懸命に塾生の方の成績を上げる仕事をしている。偏差値が届かないと「ムリ」とも言う。しかし、そういう仕事を外して「高校生活」「大学生活」という果実は得られない。
塾のことを言ってはいない。塾がなくても、やることは同じだ。誰も指導をしなければ、合格はできない。完全な独学など例外中の例外だ。
名古屋のある専門学校で英語を教えている時に、テキストに部落差別に関する記述があったので少し言及したことがあった。すると、授業が終わってみんなが教室から出ていったのを確かめてからBくんが教壇に近寄ってきた。
そして、こうつぶやいた。
「さっき、先生が話していたことね。ボク、そういう地区出身なんですよ」
と言って去っていった。私は突然のことで、何と返して良いか分からなかった。彼は勉強があまり出来ないから専門学校に来たのだろう。しかも、社会から差別されてきたらしい。
大変な人生だと同情した。
「衣食足りて礼節を知る」
と言う。衣食に関わる仕事が、なんで差別されるのか。受験指導をしていると、様々な子に出会う。Bくんは勉強に向いていなかった。英語など出来なくても生きていける。必要でない仕事の方が多い。
ある日、彼の席に彼がいなかった。それで、
「Bくんは、どうしたんだ?」
と尋ねたら、クラス中の生徒が変な顔をした。そして、ある子が
「彼は死んだよ」
と言った。私はとても驚いた。それで、講師室にもどって他の先生に尋ねても変な顔をした。口に出来ないということは、犯罪か自殺かロクなことではないので他言無用ということなのだろう。
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