22歳で無計画に会社を辞め、無資金で学習塾を開いた、【無謀女子な結末】は○○
星が落ちてきたわけでも、
胃の弱いお局様に意味のないことをねちねちと言われ続けたわけでも、
前頭部がまるで発光しているような上司に
セクハラされたわけでもない。
ただ、
【☆彡1、ただ、あきた】
30年前、その頃ちょうど男女雇用均等法なるものができた時代だった。
女の子は短大に行くのがふつうで、その後事務OLになるのがあたりまえだった。
短大を卒業して勤めたところは、会社の頭のいい人たちが集められている企画部、というところだった。
上司たちは、おしゃれでリベラルだった。
彼らはいつも忙しかったけれど、女子社員の仕事はひまだった。
会社に行きながら、日がな読みたい本を読んでいた。
上京して一人暮らし。家賃、食費、洋服代、付き合い費。そんなものを払うと、いつもかつかつだった。
それでも、一部上場会社で、上の状況を考えると、辞めたいと考えるものはいないだろう。
けれど、23歳の私は、辞めたいと思ったのだった。
そんな周囲の声をふりきって、22歳の私は、会社を辞めた。
なんの計画もなく。
資金もまったくなく。
勉強できたから、学習塾でもやろうかな。
そんなテキトーな感じで。
【☆彡2、学習塾を開いてみるものの】
実家に帰って、まず教室は自宅にした。十畳の部屋があったので、そこを使うことにした。
ホームセンターで板を買い、苗字をもじった塾名をペンキで書いた。
山 塾
外壁にかけて、看板の完成だ。
机と椅子は、お金がないからりっぱなものを買えない。
ホームセンターで板を買い、父に、
寺子屋風の、細長い机が3個。私を入れて、12,3人はすわれる。
これで、準備万端。
と思ったが、
かんじんの生徒がこない。
宣伝しなくちゃね。
でもお金はない。
ちらしを自分で作ることにした。
友達の知り合いの印刷やさんで、安く印刷してもらう。
隣の家が新聞販売店だったので、そこの新聞に入れてもらう。
新聞にちらしが入った日、電話を待った。
待った。
待った。
が、電話は1本もかからなかった。
次の日も。
次の日も。
床屋と美容院にちらしを置いてもらうことにした。
父と母のそれぞれの行きつけの店に、頼んでもらった。行きつけだから、頼めば断らない。
でも、積極的に勧めてくれるわけでもない。
電話は、2週間たっても、鳴らなかった。
今のように、ネットが普及しているわけじゃない。
うまくいくわけないざんす!!!
そうかもしれない。それが正しいのかもしれない。
でも、でもね、心の声は言ってる。
私の全身が、だいじょうぶと言っている。
ならば、私は、私を信じる。
周囲の声なんて、パーンチ!!
【☆彡3、生徒がやってくる】
父にお金を借りてちらしをもう一度いれた五日後、(開業して一か月たっていた)
1人の生徒がやってきた。
どうやら、床屋のおばさんが言ってくれたらしい。
そのおばさんは、詮索好きで、私の同級生の男の子が床屋に行った時、聞いたらしい。
中学、高校の時に、男子たちにコンピューターと呼ばれていたのを、初めて知った。
そんなで来た生徒を、ていねいに教えた。
すると、その子の親の知り合いの子供が、もう一人きた。
その子も、ていねいに教えた。
そうすると、もう一人きた。
もう1人きて、もう2人友達できて、
生徒は、8人に増えた。
おしゃべりでうろうろしやすい男子もきたけれど、
わからないから、おしゃべりする。うろうろする。
わかるように説明してあげればいいのだ。うるさいのは、生徒のせいじゃない。
それを制御できない講師のせいなのだ。
そうこうしているうちに、お金もちの家から、
きた仕事は、断らない。
小学3年生の女の子に、時計の読み方を学校の教材を使って、教えた。
わかりにくいようだったので、
すっごい不思議だねえ!
楽しく思えるように、全身を使って教えた。
一方教室のほうは、もともと僻地で、人数が少ない。
学年で3、4人くれば御の字。学年ごとに集団クラスは作れない。
同じ学年でも学力に差がある。
おおまかに学年でまとめながら、個別にみる。見ていない学年は、一人でできるテキストをわたして、やっていてもらう。
今はやりの個別授業+自学学習を自然にやっていた。
開業して3か月で、じゅうぶん暮らしていけるようになっていた。
【☆彡4、やったことのない数Ⅲ数Cも】
そのうち、
薬科大学入るために、数Ⅲ数C見れるざますか?
文系だったので、数Ⅲ数Cはやったことがない。
でも、きた仕事は、断らない。
と、心の声が言うからだいじょうぶだ。
教科書を買い、参考書を買い、やったことのない数Ⅲ数Cを勉強する。
最初は3時間の予習が必要だったけれど、そのうち20分もあれば大丈夫になった。
OL時代より稼げた。自宅で家賃がないぶん、好きな服が買え、好きな本が買えた。
通勤時間、むだな拘束時間がないので、たくさん本が読めて、小説を書いたりもした。
【☆彡4、22歳の無謀女子は○○】
22歳の私は、
周意のざますさんたちの声、自分の中にもあるざますさんたちの声をスルーして
自分の心の声、体で感じるものに従った。
結果、
猫のように、
自由に、好きなことをして、暮らすことができたのだった。
そうして、4年たった26歳の私は、うまくいっていた学習塾を辞めた。
人生は、挑戦の連続だね。
学んでいくのは、受験生だけじゃない。
いつまでも、子供のようにあきたら辞め、あきたら辞め、いつも新しいことに、チャレンジしていたい。
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