どこまでも続く私のなかへ

著者: 山崎 理恵みりえ

蜷川実花×すみだ水族館クラゲ 万華鏡トンネル

に行ってきた。




トンネルじだいは、短いものなのだけれど、

万華鏡というだけあって、天井、壁面に鏡状のものが張りつけられている。

そこへ、実花さんの色鮮やかな映像が、本当に万華鏡のように映し出されるのだ。

壁面の水槽には、クラゲたち。

そのバックに流れる映像。


目。

耳。

鼻。

3感の刺激。


実際にいると、写真に撮れるほど色鮮やかではない。

それでも、そのなかにいると、

豊かな色のなかにすうっと沈んでいくような感覚になる。


この世界に、ずっと佇んでいたい。


しんと、自分の内側に入っていく。


色。

色。

音楽。

色。

音楽。

香り。


ゆらぐクラゲ。

色を映し出す無数の鏡。






空間がゆれる。

ゆれる。


時がゆれる。




ふうっと、思い出す映像。


幼い子供だった頃、


母の三面鏡のなかに映る、無数の自分を見るのが好きだった。

鏡の奥に小さな私がいて、その奥にまた小さな私がいて、

私はどこまでもどこまでも、その奥の奥に存在していくのだ。


どれが私?

どれも私?

どこまでが私?

今存在する無数の私は、私が三面鏡の前からいなくなれば、

その存在を消す。


でも、今はこうして、どこまでもどこまでも私は存在する。


なにか不思議で、なにか泣きそうになり、なにか笑いそうになる。

私は、ひまがあると、三面鏡の前に立ち、時間を忘れて、無数の私を眺めていた。



ひょっとして、鏡の中の無数の私は、今もどこかで存在しているのかもしれない。

そうして、それぞれの私を生きている。

パラレルワールドのなかで。


私たちは、毎日夢を見る。

夢から目覚めたとき、別のワールドの私として目覚めているのかもしれない。

そうじゃないと、誰が証明できる?

宇宙は不可思議で壮大で、その仕組みを、人間がすべて知ることは、たぶんない。



著者の山崎 理恵みりえさんに人生相談を申込む