アスペルガー症候群の僕が社会に過剰適応した話2

前編: アスペルガー症候群の僕が社会に過剰適応した話
後編: アスペルガー症候群の僕が社会に過剰適応した話3

 繊細だった子供時代

 振り返ってみると、自分はとても「繊細さ」を持った子供であったと思います。最も古い記憶は、幼稚園に通っていたときの記憶ですが、よく泣いていた気がします。しかし今改めて、なぜ泣いていたんだろう?と考えてみると、単に繊細さ、というわけではない、認知の偏りが自分の中に存在していたような気がするのです。


 例えば、こんなことがありました。うちの幼稚園では、園児が家から持ってきた絵本のうち、1つだけを先生が帰りの会に読んでくれるのが常でした。その場で絵本を読んでもらえるということは、園児たちにとってある種の優越感を感じさせるような、そういう意味を持っていたと思います。そこで、僕も意を決して、自分のお気に入りの絵本を幼稚園に持っていったわけです。持っていったからには皆の前で読んでほしいわけですから、午前中、早い段階から先生にアピールします。「僕今日絵本持ってきたよ」ということを何度か伝えるのです。そのときは先生が「そうなんだね。じゃああとで読んであげるね」と言ってくれたので、もう今日の帰りの会という機会はもらった、と思っていたんですよね。ところが、その日、帰りの会で選ばれたのは別の子の絵本でした。僕はショックでしたが、そのときはまだ変に冷静な納得感もありました。「まあ、いろんな子が我先にと絵本を持ってきているわけだから、いきなり選ばれないのも当然かもな」なんて感じていたのです。


 しかし、帰りの会が終わって、教室を出ていく園児1人1人に教室の出口に立ってさよならの挨拶をする先生と会話をしたとき、先生が「今日読んであげられなくてごめんね。次は読もうね」と言ったのです。


 その瞬間、僕はどうしようもなく泣きたくなって、大泣きしてしまったのです。皆さんだったら、同じように感じるでしょうか?定型的な方はどのように感じるのでしょうか。今冷静に考えれば、先生からしたら、午前中からアピールしてくれていた園児に申し訳ないという、ある種軽い気持ちで、その一言が出たのだと思いますし、大きな意味もないし、たまたま僕と会話の機会があった際の、言いやすい一言であった、ということでしかないと思います。ですが、当時の僕にとっては、「裏切られた(=約束を守ってもらえなかった)上に、かわいそうと思われた」という大きな屈辱感を感じる契機となったのです。とはいえ、先生からしたら、約束したつもりもないし、僕が泣き始めた理由もよくわからない(強いて言えば、自分の絵本が読んでもらえなくて、悔しくてないた、くらいに思っていたと思います)という感じだったはずですが。


 このような記憶は自分の中にいくつかありますが、当時はよく、泣くことが多かったように思います。そしてその理由は、今思えば、認知の偏りによる、言葉通りの解釈をしがちな子供であったからと考えています。例えば今回の例で言うと、「じゃああとで読んであげるね」という一言によって、先生に自分の絵本を読んでもらえるという約束をしてもらえた、と解釈してしまったのです。


 一方で、独自の感性を持っていたとも言えるかもしれません。小学校2年生のとき、写生会というイベントがあり、校庭のど真ん中に消防車がきて、それを丸一日かけて書き写すという課題が課せられました。ほとんどの生徒は横から消防車を書いていたのですが、なぜか僕は真正面から消防車を書きました(今となっては、なぜそのようにしたのか皆目見当が付きませんが)。その結果、地域で表彰され、賞状と盾をいただくという経験をしたことがあります。母親は大層喜んでいた記憶があります。


 絵を描くといったことや、工作をやる、ということはとても楽しく感じていました。アスペルガー症候群の人には過集中という、没頭しがちな側面があるそうなのですが、自分にとっては一人で行う作業に没入するという経験が、まさにそれにあたるのかもしれません。


 あるいは、皆で外遊びをするときにも、特徴的な傾向があったように思います。そのあたりの話はまた次に書ければと思います。


せみ太郎

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アスペルガー症候群の僕が社会に過剰適応した話3

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