あなたらしいWEBデザイン ~それぞれの大切な想いや夢を形作る WEBデザイナー ~

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著者: 井上 喜文

あなたらしいWEBデザイン

~それぞれの大切な想いや夢を形作る WEBデザイナー ~




ごく普通の家庭で育ちました。


当時は自動販売機もコンビニもない 自然がたくさんの佐賀県唐津市の山。


祖父が営んでいたミカン畑。


父と母、祖父と祖母、僕と弟と妹。





両親は共働きで 小さい頃はよく


祖父に山の斜面の並んだミカン畑へ連れて行ってもらいました。


天気の良い日は 畑のなかで走り回ったり 遊んだり


実ったミカンをそのまま 食べたりしながら遊んでいました。





その場にあるもの 田舎道を通り過ぎる車なんてすぐに覚えてしまって、畑から家までの1キロの帰り道も3歳くらいのときには自分で分かっていました。


祖父が作業中。目をはなした隙に一人で家まで帰ってしまい、祖父や家族は僕が迷子になったのかと大騒ぎになってた(笑)


そんな自由気ままな子供だったかもしれません。






父は毎日、福岡市内の会社で経理のサラリーマンとして働いていました。



この山の家から最寄り駅まで車で。 駅からは電車で2時間近くかけて。



朝も早くて、帰りも遅かったから夕飯を父と一緒に食べられるのは、週末くらいだったかな。母は保育園の保母さんで、両親二人は小さい頃から働いていました。




僕は気ままに遊んでいたから、両親、祖父母からは「いつも遊んでばかり」と思われていたかもですね。とくに祖母が一番の「教育ママ」みたいでした(笑)




家族のなかでは、決まり事や約束について規則正しく厳しいところもあった。


朝は早く起きるもの。真面目に働く。


それが普通の価値観として強く感じていました。



僕は夢中になると、時間を忘れて何かを作っていた子供。

たしかに、遊んでばかりに見えたかもしれないかな。



保育園へ行くようになり


はじめて触った「油粘土」


テレビで見たトランスフォーマーのロボットを夢中で作ってた。


ただ形を作っているだけじゃなくって、変形可能にしたり、合体させるような仕組みにしたり、ロボットから飛行機モードとかって、とにかく姿が変わる世界が好きでした。






小学校にあがっても この自然に囲まれた小さな世界。


1クラスしかない。そんなのんびりと親密な環境。



当時、学校で「ミニ四駆」が流行っていて、もちろん僕も ハマりました。

同じ年頃の男の子なら懐かしく覚えているかもしれませんね。



スピードを上げるためにタイヤを替えたり、不要な部分を削って軽量化したり。色やシールでカッコよくデザインもしました。そしてコースを持っている友達のところへ行っては競争して遊んでいたり。ミニ四駆をしまうケースも、家にあったドリンクケースを改造して作ってました。





父はアウトドアもインドアも、なんでも楽しむ人。


宿題が終わっていないと とっても厳しかったけど、やり終えたあとに時々、プラモデルを買ってもらいました。



僕の目を惹いたのは「ガンダム」のプラモデル。


父は車の模型やプラモデルを作っていました。



作りかたを習ったし、父の作る姿を見ながら覚えました。


外した部品に残った突起を丁寧にヤスリで削ったり、とにかく父の作り方は精密で、車のプラモデルは内装までこだわっていた。機械や細かい造形への愛情なのか興味なのか、父は買ってきた目覚まし時計を分解して再度組み立てたりもしていました。さすがに僕はここまで細かくは出来ないと思っていました。



僕は買ってもらったガンダムのプラモデルの種類がいくつか揃ったので、頭部の角を取り替えてみたり、別の部品と交換したり、自分だけのオリジナルのものをいろいろ組み合わせて作っていました。






僕は常にインドア派だけど


父はアウトドアな遊びも楽しんでいました。



川や海で釣りをするにとどまらずパラグライダーにチャレンジしたり、仕事は真面目な経理でも外では思いっきり楽しむ感じです。家で作った大きな飛行機やラジコンで外で楽しんでいたし、自作のアマチュア無線も持っていた。



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