障がいがある私と、仕事の話 2
指が人より短いからこれができない。
みんなが一人でできるのに、自分だけができないことが嫌だった。
でも、できないのは仕方がないから諦めるしかないのかなあ。
幼いながらにそんなことを思っていた気がする。
幼稚園時代の私は、歌が好きだった。
歌は良く聴いていたし、それを覚えて祖父母や親戚のおじちゃんおばちゃんに
披露することが好きだった。
幼稚園の年中さんの終わりごろ、幼稚園の友達が、ヤマハ音楽教室に通っていることを聞いた。
ヤマハでは、エレクトーンを弾いたり、歌を歌ったりしているらしい。
私もそこで歌を歌ったりエレクトーンを弾いてみたい。
そんな気持ちでいたのだと思うが、私もヤマハへ通うことになった。
幼稚園の友達の一つ下のクラスで、年下の子たちと一緒だった。
みんなお母さんが横についていて、先生に言われたことをお母さんを通じて
鍵盤を弾いたり、楽譜のどこを見ているのかなどを確認していた。
1時間のレッスンのうち、最初の30分は先生のエレクトーンに合わせて歌を歌う時間。
後半30分はエレクトーンを演奏する時間。
歌の時間は大好きだった。先生はエレクトーンがとっても上手だし、みんなと一緒に
歌うのは楽しい。
後半のエレクトーンの時間も楽しかった。初心者コースだから簡単だし、
自分で押した鍵盤が音を出していることが嬉しかった。
慣れてくると、単音だったのが和音になる。
ドミソ、シファソ・・・指を開いて、音を出す。
それを両手で弾く。
ちょっと遠い鍵盤だと、私の指では全部の鍵盤が押せなくなってきた。
楽譜に書いてある音符を私は一人で押すことができない。
皆は3音、両手なら6音を同時に押せるのに、私は2音ずつしか押せない。。。。
なんかそれが恥ずかしくて、嫌で、泣きたくなっていた。
すると、みんなのところを見回っていた先生が、私の後ろから、
残りの2音を押してくれた。
ほんとにスマートになんでもないような感じで鍵盤を押してくれた。
なんかそのときに、“あぁ、できないことは人に頼ってみたらいいんだ。全部一人でやろうって思わなくていいんだ”と、私は学んだ。
先生に「ありがとうございます」と言うと、先生はニコニコして私を見て
また他の生徒のところへ行った。
障がいがあることは不便であるけれど、誰かに頼ったり、お願いしたりすることで
できるようになる。
でもやってもらうだけじゃなくて、それを当然と思わず感謝を伝えることを
忘れてはいけない。
それを私はここで感じた。
障がい者として生きる私にとって、鉄棒とヤマハの出来事を幼稚園生で経験できたことは
これから生きていくことの私の基盤となった気がする。
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