高木教育センターのありふれた日々(12)

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 って。でも、違うでしょう。プロ野球でも、甲子園で活躍した選手を中心にスカウトする。その他の選手は切り捨て。就職試験もそう。学歴を参考にして、ふるいにかける。高校を卒業したら、弱肉強食のジャングルに放り込まれるのに、学校では

「偏差値追放、順位は発表しない、業者テストは廃止」

 という。何という建前、隠蔽、きれいごと。

 私の塾に成績優秀な子が集まってくれる生徒は何を求めて来てくれるのか。お分かりだろうか。

「ウソはやめてほしい」

 ということだ。「相棒」で言っていた。

「絶望の現実より、希望の嘘に飛びつく人が多い」

 これでは、受験に勝てない。

第百十七章

「本当の優しさと、コストパフォーマンス」

  私は四日市高校が好きではないが、Oj君をはじめ北勢中学校ではあり得なかった日本で最高の頭脳と知り合えるチャンスをもらったことは感謝している。自分がかなわない相手と競争してもしょうがないので、自分の生きる道を探ることができた。

  もし、桑名高校やいなべ総合に進学したら慢心していたかもしれない。そして、ずっと後で方向転換を考えて難しい状況になったかもしれない。早く一流のものに接することはいいことなのだ。

  だから、私は現実を生徒に知らせるのはできる子にも、できない子にもメリットはあると思っている。オンチな私を人並みの歌を歌えるようにするには、ありえない時間とエネルギーとお金がかかるだろう。私はそんな道を進まない。自分にできることをやる。

  勉強やスポーツや音楽や文学や・・・。全て同じことだ。

  どうして「デス・ノート」がヒットしたのだろう。どうして「必殺仕事人」がヒットしたのだろう。

  人殺しや酷い犯罪を犯したヤツは死ぬべき。社会から排除しないと、真面目に生きている人たちが犠牲になる。大多数の人たちは、そう考えている。飲酒運転をしたり、暴走行為をしたりするような人間は死んだ方がいい。麻薬や危険ドラッグをやるようなヤツはこの世にいない方がいい。

  人間はそう考える生き物らしい。

  それは、中学生や高校生も同じことだ。勉強に向いていない子を指導するためには通常の何百倍もお金がかかる。そして、日本にはもはやそういう子を支えるお金がない。人はそれぞれの適正にあった方向に進むべき。

  優秀な理系女子の発言を聞いていると危険を感じる。

「なんで、あんな子が私と同じクラスにいるのだ」

 という感覚。当たり前だ。その素行最悪な人のために自分の勉強が妨害されるから。そのヤクザ予備軍の子が将来人類に災いを起こる確率が高いと感じているから。

第百十八章

「少林寺拳法ができると、何が違ってみえるか?」

  私はたかだか少林寺拳法二段で、さほど強くはない。七帝戦で、京大の副主将に一本負けした苦い経験がある。でも、ジャッキー・チェンと一緒にTV出演した楽しい思い出もある。アメリカの中学校で何度もデモンストレーションをした懐かしさもある。

  あれこれ40年も自主的に練習してきた。ヌンチャクや棒もある程度は使える。すると、何がどう変わって見えてくるのか。最初は

「暴力を怖れずにすむくらいには、なりたい」

 と練習を始めたが、そう思え始めたのは26歳頃だった。つまり、練習を始めて5年くらい経過してから。猪突猛進ではなく

「勝てる」

 と思える状況でないと格闘など始めるべきではないが、平和な日本では実戦など日常生活ではありえない。大学時代の稽古でも、グロープや防具をつけての試合だけだった。

  私は頭脳戦に興味があり、肉弾戦などバカのやることだと考えているので余計に実戦の経験値が蓄積しない。この世界、「筋肉脳」と揶揄される単細胞かつ粗暴な人が多い。

  私は英語や数学の受験指導の世界に住んでいるので、筋肉脳や粗暴な人は苦手だ。

  私が大声や恫喝に動じなくなってきたのは、体力的に衰え始めた40代の頃からだろうか。

「弱い犬ほど、よく吼える」

 という意味が実感をともなって理解できたからだ。また、病気で身体が動かない時に、元気な頃の自分の身体の動きを思いだすと

「確実にやられる」

 と思った。つまり、普段から自分のように身体を鍛えていない人の動きが予想できるようになり

「負けるわけがない」

 という気がしてきたからだ。突きや蹴りを日常的に練習している私と、そういう訓練を受けていない人が格闘したら負けるわけがないのだ。

  ただし、若い人、格闘技はやっていなくても、身長や体重がある人、他のスポーツで鍛えて身体能力の高い人には勝てるか分からない。

 だから、ケンカなど基本的にやらない方がいいのだ。勝っても、負けてもただではすまない。

  私はベストコンディションでいたいので、酒、タバコ、ギャンブル、女遊びなどは一切やらない。いつ格闘が始めっても大丈夫なように準備だけはしておく拳法家の心得だけは、ずっと守っている。

  また、困難な事態が起こっても諦めないで戦う姿勢を育んでくれた気もする。

第百十九章

「見せかけの優しさと、本当の優しさ」

  多くの人を、長期間にわたって騙すことは出来ないと誰かが言った。

  私は素行不良の生徒が嫌いだし、真面目な生徒に迷惑がかかる場合は容赦なく「強制退塾」させてきた。だから、ろくでなしタイプの生徒と保護者からは蛇蝎のごとく嫌われた。

「どんな生徒でも見捨てずに更正、教育するのが先生ではないのか!!」

 というわけだ。学校はもちろん、大多数の塾講師も

「大丈夫、私にお任せください」

 という対応をするので、そういう対応が当たり前だと思ってみえる方が多い。しかし、それは現実を知らない人のセリフだ。

授業中に遅れて入ってきて、授業中に私語ばかりで授業妨害をし、途中でトイレに立ち、プリントを配布しても帰りに捨てて行き、備品を壊し、盗み、月謝を踏み倒す。そして、追い出されたら悪評をばら撒き、追い出されなくても合格実績にはつながらない。

  こんな生徒に

「大丈夫。頑張って四日市高校に合格しよう」

  という塾講師がいる。合格できる可能性はゼロなのに。保護者は、そういうウソが大好きなのだ。残酷な現実を見たくないのだ。四日市高校なら、学年で1番、2番、3番くらいまでしか合格できないのだ。この地区の中学校では。

  私はキツイことを言うかもしれないが、ウソは言わない。毎月塾生の方にお渡しするコンピューターによる順位、偏差値、合格判定もウソは言わない。以前は、

「こんな順位をつけられたら自信を失うだろう!」

 と抗議を受けたこともある。最近は、そういうタイプの方は当塾を批判し、来てもらえない。ところが、サイレント・マジョリティである真面目な生徒の方たちが集まってくれた。

  そのお陰で、当塾は30年以上つぶれずにきた。

  さて、

「本当の優しさって、何だろう」

  医者は治療するために、苦しい検査を要求する。痛い注射も、苦い薬も受けるように要求する。時には、腹を切り裂いて手術をする。そして、患者はそれに従う。病気を治したいからだ。

  受験指導も似たような面がある。勉強が苦しい時期もあるのだ。しかし、本気で生徒の合格を後押ししようとする塾講師は甘い言葉ばかり言わない。言えない。

  重病の場合は、死に至る。だから、患者は苦しい治療に挑む。受験の場合は、不合格は避けたい。学歴は人生を通して、さまざまな場面で表面化する。就職、結婚などで大きな決定要素になる場合がある。

  さて、厳しい言葉をかける講師と、甘い言葉をかける講師と、どちらが本当に優しいと言えるのだろう?

「そんなのは、おまえの考えで、オレはちがう」

 と怒鳴られる方もみえる。私は考え方を述べているのではない。30年前から塾をやっているので、第一期生は現在45歳。その子たちが塾に来てくれている。正社員になっている子。ニートやパラサイトになっている子。いろいろいる。

 その現実について書いている。つぶれたくないから本気なのだ。

第百二十章

「ゲゲゲで、レレレで、バカ田大学」

  年末になると受験生は落ち着かない。正月明けにセンター試験があって、推薦組みはそれで合否が決まる。二次で勝負をする子は、センターの結果で出願先を最終決定する。

  自分がどんなに頑張っても、上には上がいる。

「私の力ではここまでか」

  という現実を受け入れるのは苦しい。

「人生は入試だけで決まるものではない」

 なんて分かっている。卒業してからが本当の勝負だろう。しかし、それは大人の言葉であって受験の場にいる中学生や高校生には通用しない。

「そんな簡単な問題も解けないんだ」

 という、友達の上から目線が耐えられない子もいる。

「私は中京大学に決まったけど、あの子は名大に行った」

 という現実は苦いかもしれない。屈辱かもしれない。で、その屈辱から抜け出す方法だけど、それはハッキリしている。問題は、実行するかしないかだけのこと。

 たとえば、当塾では

1、受験料無料で毎月コンピューターが合格判定をおこなっている。

  それで、自分が「四日市高校」はムリと判定された時にどうするのか。来月は順位を必ず上げると決意して勉強時間を増やすのか、増やさないのか。

  • 家庭学習中の質問は、無制限で何回でも、どの科目でも受け付ける。

  •   利用するのは成績上位の子だけ。儲けを度返しでサービスしているのに、利用するだけ勉強していないのだからどんなサービスも意味がない(子もいる)。

    3、講師は英検1級、京大二次で英語8割、数学7割。

    そのレベルまで勉強しない子には意味がない。教科書準拠の問題集って、教科書を写せば何とかなる。そんなのでは入試に役立たない。

      要するに、どんなサービスも、どんな講師も、本人にヤル気がなかったら役に立たないってこと。

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