日本一厳しい所に四日間行ったら、悩みがなくなって最高に幸せになれた話

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もう筋力の限界だ…!!

やがて僕の腕はどんどん下がっていきます。


すると、

後ろから無言で、雲水さんに腕を支え上げられました。

とてつもない厳しさが背後から伝わってきます。


一時間もそんな状態が続き、さらにフラフラになりました。


「一時間」が果てしなく長すぎる…

永平寺の時間は、明らかにゆっくり流れていました。


午前六時半。

ようやく小食(しょうじき:朝食)です。

これも坐禅を組みながら一時間程。


小食は応量器(食器)の扱い方が

昨日習った薬石(やくせき:夕食)のものとはまた違い、

僕はますます混乱に陥りました。


昨日とは違うんだ…作法が複雑すぎる…!

わけがわからない上、

作法を覚えるにも、

足の痛さのあまり頭が全く働きません。


四日間乗り切れるかな…

どんどん不安になってきました。


午前八時。

小食(食事)がなんとか終わると、今度は作務(さむ:掃除)。


これは今までとは違い、素早く動かなければいけません。

もたもたしていると怒られます。


僕は作務でもさらにフラフラになりました。

動かないといけないのに、

身体が重くて吐き気がしてきて動けません。

作務が終わると、また坐禅がはじまります。


ここにきてようやくわかりましたが、

永平寺は休憩がほとんどありません。


そして、この坐禅で

頭がクラクラするあまり、

情けないことに何度も気を失うかと思いました。


悟りなんてとんでもなく遠いなぁ…


坐禅をして悟りがどうだのこうだの、

自分には程遠いことを痛感させられました。


この坐禅をなんとか終えると、

自律神経のバランスが乱れたのか何なのかはわかりませんが、

もはや立てる状態ではありませんでした。


しかし、また次の坐禅が十分後にはじまります。


たった十分しか休めない…

十分という時間を人生で一番短く感じました。


そして、あっという間に十分が経ちましたが、

もう全く動くことができません。


雲水さんに、

「体調が優れないのでしばらく休ませて下さい」

とお願いし、坐禅を休みました。


その後しばらくは、意識朦朧としていて殆ど記憶がありません。


気付けば、他の参加者は、

中食(昼食)の時間で禅堂へ行ったようです。

部屋には僕一人です。


すると、

部屋の片隅には、

いつの間にか食事がひとつ置いてありました。


「あ、雲水さんが持ってきてくれたんだ…」


その応量器に入った食事は本来、

厳格な作法の下、時間をかけ自分で広げ、

自然の恵みや、調理担当の雲水さんをはじめ、

全てに感謝し、そして応量器へと食事を入れてもらうものです。


その必要とされる過程を全て省き、

雲水さんの一人が応量器に食事を入れ、

無言で部屋に食事を置いていってくれたから、

そこに食事がポツンとありました。


感謝せずにはいられませんでした。


そして、食事を何とか頂くと、

もう辛さのあまり起きていることが出来ず、

十分程、眠りに落ちてしまいました。


そして、

目を覚ますと、


さっきまであったはずの応量器(食器)が部屋からなくなっていました。


雲水さんが片付けてくれ、洗ってくれたのです。


片付けるのも本来ならば厳格な作法の下、

自分で丁寧に応量器を片付けていくものです。


しかし雲水さんは一切咎めることなく、無言でしてくれました。


雲水さんの深い優しさを垣間見たときでした。


そして、中食を終えた他の参加者達が部屋に戻ってきて、

自分の体調を心より心配してくれました。


「調子はどうや?」

「少しは良くなった?」

「若いのに来ただけで偉いよ!」


その温かい口調や表情に、偽善は一切ありませんでした。

僕のことを想う気持ちで溢れていました。


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