一代で財を成して事故死した小学校卒の祖父から学んだこと。~祖父からの遺産~

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前編: 救急車は生命の危機以外では呼ばないでと、救急車を利用したときに某総合病院で言われた話。救急車を呼ぶのはこんなときの3つのポイントを学んだ話。

「救急車ー




私が15歳。高校一年の春。みどりの日。4月29日。

ラーメン屋の石垣を積み上げる指示を、石垣の上でしていた祖父は、2メートルもない

石垣の上から転落。頭を地面にあった石にぶつけ頭蓋陥没し、即死しました。


前日まで元気でした。

前々日は、私は祖父と喧嘩をして、「高校辞める」なんて叫んでました。

結局、やめる勇気もなくて、翌日に撤回して、祖父に謝って仲直りしてましたが。


 祖父には山だの、土地だの、財産があったようでしたが、急な死で相続のことも何も決まっておらず

祖母も相続をすべてするのは不可能で、半分以上国に手放しました。

 それでもかなりの額だったようです。


 祖父は小学校卒です。学歴があったわけではありません。

 それでも、私の知る祖父はとても勉強家で、努力家だったと思います。


私の地元の村では、村会議員にもなりました。田んぼの農作業の手伝いをしながら、お金をためて

山でみかけた「みかげ石」をみて、この石を磨いて売り物にならないか、と祖父は思ったそうです。




 両親を小さいころに病気で亡くして、二人の姉とともに、働きながら大人になった祖父は

いつも私に「まずいものは食うな」と言っていました。

 それは、生きているうちの食事の回数は決まっていて、一回一回でまずいものを食べると

美味しいものを食べる回数を失っていくからというものでした。

 


貧しい幼少期を過ごしたからこそ、自分の子供や孫には同じ思いをさせたくない。


 その想いは、私が15歳になって祖父が事故で一瞬で亡くなるその瞬間まで、自営業の社長で

働く、という形で知ることになります。


 休みの日には、ボランティアに近い活動をしていました。

 困っている人をみつけては、「俺がやればタダだべ」と言って、寺院の修復など、重機を使いこなして直してしまいます。


 私の実家の自宅も、大工さんと一緒に祖父が作ったそうです。



 みかげ石が売れ、事業を大きくし、村会議員をやり、地域にも貢献し、いよいよ老後を考える年齢になって、祖父はイノシシを三頭、うりぼうのままつれてかえってきました。


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