一代で財を成して事故死した小学校卒の祖父から学んだこと。~祖父からの遺産~
祖父が、孫までお金に困らないように稼いでくれたものは、震災で消え去りました。
それでも、私には祖父から貰ったたくさんの「愛情」が残っていました。
社長としてがんばっていた、祖父の「生き様」を思い出として覚えています。
生きていると、自分も死んでしまいたくなるくらい、つらいことも時として経験します。
私は勉強もできず、体も弱くて、気の強い子に押し切られたり、奪われて泣いてばかりいる子でした。
それでも祖父は、「おまえは馬鹿だなあ。馬鹿だけど、じいちゃんは馬鹿な奴ほどかわいい。
おまえはじいちゃんに似ているな」
勉強のできない私と、学歴のない自分を祖父は重ねているかのようでした。
祖父は、常に「学歴コンプレックス」と戦っていたのだと、大人になって思います。
花嫁姿も見せられなかったけれど、おじいちゃん、みていてくれてますか?
あなたの孫たちは、今はめったに会えなくなったけど、それぞれの自分たちの仕事、居場所をみつけてがんばっています。
私はおじいちゃんの笑顔とよく似た笑顔をする、男の子を産みました。
おじいちゃんが抱けなかったぶん、おばあちゃんがひ孫を抱っこしています。
こどもっぽい両親ですが、私と喧嘩しながらも家族、やっています。
震災で、実家は放射能が高くて毎日は住めません。
おじいちゃんが、汗水たらして築き上げたもの、場所を、守り切れませんでした。
ごめんなさい。
私だけじゃなく、地元の人はふるさとを奪われても、めげずに頑張っています。
ありがとうございました。
私に、生きる力をくれて。
励ましてくれて 抱きしめてくれて 頭をなでてくれて。
目が合うと
「大丈夫だ、じいちゃんがついてる!」
そう、言ってくれて。
それでいて、何も恩返しができなくて、ごめんなさい。
私も、おじいちゃんにしてもらったこと、言葉を
息子に伝えていきます。
いつか会える、孫にも。
私は34歳になりました。
あれから19年。
おじいちゃんを、思い出すことは減ってしまったけれど、思い出すと涙が出ます。
あなたの孫としていられた15年間、とても幸せでした。
私も、いつかおばあちゃんになったら、孫にそう思ってもらえるおばあちゃんになろうと思います。
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