一代で財を成して事故死した小学校卒の祖父から学んだこと。~祖父からの遺産~

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前話: 救急車は生命の危機以外では呼ばないでと、救急車を利用したときに某総合病院で言われた話。救急車を呼ぶのはこんなときの3つのポイントを学んだ話。
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 祖父が、孫までお金に困らないように稼いでくれたものは、震災で消え去りました。

それでも、私には祖父から貰ったたくさんの「愛情」が残っていました。


 社長としてがんばっていた、祖父の「生き様」を思い出として覚えています。



 生きていると、自分も死んでしまいたくなるくらい、つらいことも時として経験します。


 私は勉強もできず、体も弱くて、気の強い子に押し切られたり、奪われて泣いてばかりいる子でした。

 それでも祖父は、「おまえは馬鹿だなあ。馬鹿だけど、じいちゃんは馬鹿な奴ほどかわいい。

おまえはじいちゃんに似ているな」


 勉強のできない私と、学歴のない自分を祖父は重ねているかのようでした。

祖父は、常に「学歴コンプレックス」と戦っていたのだと、大人になって思います。



花嫁姿も見せられなかったけれど、おじいちゃん、みていてくれてますか?

あなたの孫たちは、今はめったに会えなくなったけど、それぞれの自分たちの仕事、居場所をみつけてがんばっています。


 私はおじいちゃんの笑顔とよく似た笑顔をする、男の子を産みました。


 おじいちゃんが抱けなかったぶん、おばあちゃんがひ孫を抱っこしています。


 こどもっぽい両親ですが、私と喧嘩しながらも家族、やっています。


 震災で、実家は放射能が高くて毎日は住めません。

 

 おじいちゃんが、汗水たらして築き上げたもの、場所を、守り切れませんでした。


   ごめんなさい。




 私だけじゃなく、地元の人はふるさとを奪われても、めげずに頑張っています。







   ありがとうございました。


 私に、生きる力をくれて。


 励ましてくれて   抱きしめてくれて  頭をなでてくれて。


 目が合うと

「大丈夫だ、じいちゃんがついてる!」


 そう、言ってくれて。

 それでいて、何も恩返しができなくて、ごめんなさい。





私も、おじいちゃんにしてもらったこと、言葉を

 息子に伝えていきます。


いつか会える、孫にも。



 私は34歳になりました。


 あれから19年。

おじいちゃんを、思い出すことは減ってしまったけれど、思い出すと涙が出ます。



 あなたの孫としていられた15年間、とても幸せでした。

私も、いつかおばあちゃんになったら、孫にそう思ってもらえるおばあちゃんになろうと思います。








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