25 やるだけやった、果報は寝て待て

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願書記入は誠に苦労でした。
当の本人は、こういった正式書類の記入などしたことがないのですから。
失敗は許されず、まして親が側にいるわけではありませんので、メッセ
ンジャーで記入の仕方、書き方をやりとりしました。もいける娘の叔母で
ある、我が妹も一緒に見てくれアドバイスです。

にも拘わらず、訂正は何箇所もあり訂正判だらけになったところもあっ
たとか。母親のわたしが願書記入の現場にいなかったのは、もいける娘
にとってもよかったことでしょう。でないと、わたしは頭から湯気が昇って、
もいけるはそれで気持ちがゲンナリして、受験の士気を下げた可能性は
十分にあり。

願書の提出は、念には念をいれて。
受験はすでにここから始まっているのです。
願書提出は帰国子女枠の場合、受付から締め切りまで一週間ほどです。

もいける娘は、8月1日に提出、9月7日W大学一次試験、一次をパス
するとすぐ12日が小論文と面接の二次試験でした。

面接に向かう娘へのわたしのアドバイスは、
「自分の魅力を最大限に出してみること」
これは爽やかな笑顔も含むのです。
「はきはきと、はい、いいえ、の返事ははっきりと」
この辺はまるで小学生にでも言うが如きですが、これが実社会でも大切な
ことなのです。

ここで、また出費せざるを得ない現実にぶつかりました。
面接時の服装です。だから、地味なスーツはいざと言うときに役立つから、
物価の安いポルトガルで買って持って行けと言ったのに・・・

代ゼミの受験生へのアドバイスもやはり、服装はスーツ!
慌てふためいて、彼女の叔母にあたる我が妹と買いにでかけ、ブレザーは
そこそこの値段、下のスカートと白ブラウスは安物で、何とか間に合わせた
のでした。
ブレザーは、何しろ腕が長い彼女、やはり探すのに苦労したようです。

この当時のもいける娘は「お守りに」と携帯の映像にはなんと、大隈重信公
の銅像が!わらにもすがるとはこういうことでしょう。

筆記試験一次を無事パス、2004年9月12日最後の難関二次試験も終わり、
後は約10日ほど後の合格発表を待つばかりになりました。
後日、本人が語りましたが、国語は自分ではかなりヤバカッタのではなかった
かと思ったとのこと。

 

<試験終了日の母の日記>

もいける娘、本日でやっと一段落というところまでこぎつけました。
まだ結果がでるのが先ですから、落ち着かないと言えばそれもそうなのです
が、「果報は寝て待て」と言いますからね。
かなりポルトガル的気質の親子ではあります。

わたしも後2週間ほどで、日本へまいりますぞ。
そろそろ旅支度をしなければ、と思いとりあえずもいける娘のために持って
行かなければならない物をザッと空き部屋のベッドの上に並べてみたら、
なんとまぁ、すでに山ではないの・・・

もいける娘のデカ靴、冬物、ミニミシンに裁縫箱?え?あの子、針など持った
ことあったっけ?
本人曰く、これからお勉強する?わ、わかりもうした。
一言付け加えておきますれば、ポルトガルの学校では、日本で言う家庭科な
どないのであります。音楽も、みんな個人での習い事になります。

ピアノの楽譜が、かなり重いぞ。ピアノがないのに、どこで弾くつもりだ?
ま、これはいいか。楽譜だけでも好きなものは弾けなくても側に置いておきた
い気持ちはなんとなく分かる。

ネコも一匹持って来いなんて、バカなことを申しております。
頼むからそっちでノラネコちゃんなど、どうか拾ったりしませんように(懇願)
後日談だが、結局保健所から殺処分寸前の乳のみ子猫2匹を引き取り、もう
一匹、捨て猫を旅先で拾い上げ、現在はねこ3匹を飼っている状態に相成った
娘ではあります。 

                           日記引用ここまで。

この頃には、結果発表の翌々日くらいの日本行き切符をわたしは手にしていた
のでした。受験結果の合否に拘わらず、妹宅を引き上げアパートを探すか、ポ
ルトガルに帰ってくるか。もいける娘にその意思はなく、合格しなかったらいかん
せん、と思いながら、それを頭からひたすら追い払い、合否が分かるまでの帰
国準備は少し辛いものがありました。

もいけるも落ち着けるわけはありません。早稲田大学がだめだったら、すぐ次の
「最後のチャンス」に挑まなければなりません。最初から三校しか受けない約束
です。そして、余計な出費を避けるため、最初に合格したところに行くことになっ
ているのです。
        
早稲田大学には二学部の申請をしましたから、後はもう一箇所、私立、もしくは
国立。

しかし、国立受験となると、12月、1月、2月になりますから、長期戦です。
もう、代ゼミへ行って受験勉強などはできる経済的余裕は全くなし!
妹宅での下宿期限も終わり、(こちらも受験生をもっていましたから)、一人
都会で苦戦することになるのです。

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26 行った、見た!

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