僕と家族とひきこもり。悲しみの底で見つけたカウンセラーという生き方を目指した2190日。 その3 カウンセラーへの道
ようやく、自分が学びたかったことを学べている実感と、それができる自分に近づいているようで、
本当に貴重な時間でした。
そんな中で、僕にとって大切な出会いがありました。
・「そっか、よく立ち止まりましたね」
その方は、そういってくれました。 大阪のセミナーで出会った、当日の僕からしたら父親くらいの年の方でした。
その方と定食屋さんでお昼を食べて、そこの定食屋を出た時に、この人になら話してもいいかもしれないと、そう思いひきこもりの事を話した時のことでした。
「すごいですね。よく立ち止まりましたね。
それってすごい勇気だよね。僕も野川さんと同じように、
人生に疑問を感じた時もありましたが、立ち止まる勇気がありませんでした。
人と違う道をいくのは勇気がいることですね。みんな何となく大学へいって、
なんとなく就職していくけど、その用意されている道から降りたわけだからね。」って。
そんな言葉を掛けてくれました。こんなことを言ってくれる人なんていないと思っていました。
自分の親と年齢が近い方に・・・。僕にとってすごい出来事でした。
その方もまたご自分の仕事はあるけれど、それをやめて、出来るかはわからないけれど、人の心にたずさわり、人を元気にする仕事を将来したいとそう仰っていました。
その目は、真剣で輝いていて、優しいまなざしでした。
年甲斐もなく、なんてことを仰っていましたが、そんなことはまったくなく、こんな若者の意見に丁寧に耳を傾けて頂いて、その姿勢や、そのあり方に当時の僕は救われました。
今思えば、相談してくれた友人もこんな風に言ってくれる人が周りにいたら、誰か一人でも、その彼自身を認めてくれる人がいれば、あれほど苦しむことはなかったんだろうと、そう今では思います。
それからも僕はカウンセリングを学び続け、ある決断をしました。
それは、臨床心理士になることでした。
一生をかけて生きていくなら、この道しかないだろう、個人なんかではできないし・・・。
そう思って、仕事中に暇を見つけては勉強し、家に帰っても勉強の日々が続きました。
・臨床心理士を目指すために会社を退職
仕事をしながら、勉強をしていて、2月に受けようとして、勉強を始めたのがその前の年の6月ごろだったので、とてもじゃないけれど、間に合わない、そう思った僕は、会社を辞めて勉強に専念することにしました。
辞めてからは、一日10時間くらい勉強をして、心理学、臨床心理学をずっと学んでいました。
しかし、これでは、人は幸せにならない、こんな事役に立つのか?という思いがどうしてもぬぐえず、勉強をしていてもペンが進まなくなり、テキストを開けて、勉強するだけでなんだか気持ち悪くなってしまいました。身体がこころが拒絶反応を起こしていたんです。
そして結局、臨床心理士を目指すことを辞めてしまいました。
臨床心理士を目指すと、みんなに言っていたので、辞めると決めた時に、みんなになんていえばいいのか、支えてくれ親になんて言えばいいのかわかりませんでした。
辞める前に、受験時期の延期を決めた時に、カウンセリングの先生には言わないとってそう思い、色々な想いとともに、延期を決めた訳をメールで伝えました。
・「野川さん、誰かを堂々と応援できるって幸せなことですよ。」
そのメールの返信には、こんな言葉が綴っていました。
「野川さんが、これから仕事にしたいと考えていることの中にも、そういった要素が含まれているので、それはお分かりかと思います。プレッシャーもあるかと思いますが、それを満喫してください。みんな馬鹿みたいに、うまくいくと信じている気がします。
どういう結果になっても、応援できる喜びを感じている人は、その輝かしい未来まで含めて信じていますから。2月に受けるのも、半年後も、1年後も、進む価値無しと判断するのも、本質的に変わらないと思います。勉強したいこと、学ぶ価値があることに取り組んでください。野川さんが、好きなやり方で進んでもらうのが、周りとしては一番喜ばしいです。」
という言葉とともに、様々なメッセージが書いてありました。
それを読んだのが11月の終わりの仕事中、昼休みに、営業車の中で休んでいた時の事でした。
涙が堪えきれずに、泣きました。午後1時からお客さんとのアポイントがあるのに、車内でその携帯の画面を見て、携帯を握りしめながら、泣きました。
何かをやると決めて、人にも言って、でも違うと思った時に、その夢や目標って、簡単に辞めた!って、手放せなくて、自分が弱い人間で、ちっぽけな人間に見えてもくるし、応援してくれる人もいて、その気持ちに対して裏切るような気持して、その夢や目標を手放せない。
そんな時って、とっても苦しくて、自分を責めて、辛いじゃないですか。
僕は、夢とか目標って変えちゃいけないものだと思っていました・・・。
でも、夢や目標って変えてもいいんですよ。って、あの時、そう教えてもらいました。
もし、今あなたが僕と同じように悩んで、どうしても苦しいなら、変わってもいいじゃん、進む価値があると思ったことに、少しでもいいから、ほんのちょっとでもいいから、進んでいったらいいんじゃないかなって、そう思います。
さて、その後、結局僕は受験をやめる事を決めたわけですが、でもこの先どうしたらいいのかも分からず、途方にくれました。毎日お酒に逃げてた時期もありました。
ただ、このままではダメだと思い、藁にもすがる思いで、
民間のカウンセリングスクールの門をたたきました。
そこでを卒業し、そこでのご縁も頂いたので、そこでカウンセリング養成講座の講師となり、
月に1回ではあるけれど、就労移行支援事業所でカウンセリングをさせてもらったり、
本当に数件ではありますが、企業のカウンセリングをさせて頂いたり、
横浜で実践心理学教室という心理学の教室を運営させて頂いたり、
少しずつですが、本当に少しずつですが、そこでカウンセリングを始める事ができました。
この時、引きこもりから脱出してから6年、カウンセラーになると決めた30歳から1年が過ぎた、
31歳のことでした。もう、そんなこととっくに忘れていましたが、ふと思い出して、
「そういえば、1年遅れだけど、なんとかスタートには立てたんだな・・・」と、そう思うと感慨深かったのを今でも覚えています。
その後、カウンセラーとして独立して、うまくいったと書きたいところですが、
そんなドラマチックなストーリーはありません。以前に働いていたイベント会社でアルバイトしながらもその道を進んでいきました。
そして、ようやくスタートラインに立った僕にとって、忘れられないカウンセリングがあります。
・「野川さんに、話してダメだったら死のうと思います・・・。」
そんな一言から、その方とのカウンセリングは始まりました。
その方とは、何回かカウンセリングをしていましたが、
その日はいつもと様子が違いました・・・。
いつものように、コンコン・・・とノックの音がして、ドアを開けると、
うつむいて、元気がなさそうに、深刻な顔をしていました。
(どうしたんだろう・・・)と思いながらも話しかけました。
すると、彼女の口からは、悲しみや苦しみの声が漏れてきました。
死にたい!と目の前で、泣きながらくるクライアントに僕は、ただただ必死で、気のきいたことも言えませんでした。
とにかく理由を聞いて、背景を聞いて、その苦しみを悲しみを聞きました。
もう正直、どうしたらいいのかわかりませんでした。
人が自分のすべてをさらけ出して、ほんとに助けを求めてきた時に、技術云々はなんの役にも立たず、
ただただ、必死で、必死で・・・。
でも、これも僕のわがままだけど、死なないでほしい。
そんなやり取りを繰り返し、もうカウンセラーというよりも、ただの人と人との対話でした・・・。自分も死のうと思ったことがあること、ひきこもっていたことを伝えて、半分泣きながら、死なないで、生きて。と必死でした・・・。
すると、クライアントは泣きだして、しばらく泣いていました。いくつかのやり取りを繰り返し、
その瞬間、ものすごくほっとしました。「良かった・・・」って。
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