僕と家族とひきこもり。悲しみの底で見つけたカウンセラーという生き方を目指した2190日。 その3 カウンセラーへの道
あのひきこもりの時もそうですが、人がほんとに助けを求めてきた時に、学んできたことなんて、なんも役に立たないんです・・・。
いっきに、そんなものが丸裸にされて、のこるのは一人の人としての自分。
そんなことをまた、つくづく思い知らされると同時に、こんなこともそのクライアントから教えてもらいました。
最初から死にたいと思う人はいない。
ということです。そのクライアントも最初からそういう死にたいという思いに至ったわけじゃなくて、本当は笑っていたくて、でも苦しくて、幸せになりたくて、でも辛くて、生きるのが辛くて、そんなことの繰り返しで、疲弊して、気づいたら生きる方が痛みがつよくなっていって、どうしようもなくて、その結論にいたってしまったのであって、
本当は、死にたくなんてないし、そんなこと思いたくもなかったと、そう、僕は思います。
だから、苦しくて、悲しくて、辛くて、どうしようもない時、もう限界だ・・・そう思いながらも、
心の底では、生きたいという気持ちが、まだ自分を見捨てずにいる気持ちが、自分を諦めない気持ちがきっと、ほんの少しかもしれないけど、残っているとそう思うんです。
その後、そのクライアントとは、長いお付き合いになりました。
そのカウンセリングの日に、苦しくなったらいつでも連絡をと連絡先を伝えて、死なない事を約束し、月に対面以外でも電話カウンセリングをすることを伝えて、その日は終わりました。
それから、何度も助けて下さい!というそのクライアントのメッセージに「もう、無理だよ・・・。」と、正直何度もくじけそうになりながらも、電話カウンセリングが続きました。
色々な事情もあり、お金のかわりにメロンパンをもらったり、気に入った空の写真を送ってもらったりしていました。
ただただ未熟で、介入のしすぎであったり、やりすぎなところが沢山あって、正直カウンセラーとして本当にもう反省することばっかりだったけど、約2年にわたるその方とのカウンセリングは先日一旦終りました。(本人の許可をとって書いています)
まだまだ、すっごい元気になった!とまでは、いかないし、この後の人生はカウンセリングをしていた人生よりも長いので、苦しいことも、悲しい事も、辛い事も、嬉しい事も、楽しことも沢山あると思います。
それでも、死にたい!と言っていた時から比べると、ずいぶんよくなったとは思います。
人生おいて波があるとしたら、一番大きな荒波は乗り切ったときっと、そう思います。
ただ、人生はまだまだ続きますから、どんな穏やかな波が続くのかも、荒波がまたくるかもわかりません。
だから、どうしても、どうしても苦しくなったら、その時はまたお話をしましょうと、そう伝えてカウンセリングを終えました。
このカウンセリング以来、カウンセラーとしての関わり方、カウンセリングとは何かを考える日々が続きました。
・カウンセリングとは・・・。
カウンセリングで関わるのって、その人の人生のほんの一瞬なんです。
たかだか1時間や1時間半、月に4回やったとしても6時間とかそんな程度の時間です。
その時間よりも、その人のカウンセリングから帰って、生きる時間の方が当たり前だけど多いのです。
では、その一瞬という時間に価値があるのかというと、価値はあるんです。
「苦しくて死にたい!」と言っていて来たクライアントも、
薬を沢山飲んでうつろな目でカウンセリングに来たクライアントも
会社が倒産し、多額の借金を背負って、窮地の中、これからの道を決めようとなんとか持ちこたえて来た、クライアントも
体調を崩して病を抱えたが為に、退職を余儀なくされ、人生を再考しに来たクライアントも
自分の足でなんとかその重荷を持ちこたえて、生きています。
みんなそれぞれの重さを抱えて生きています。あなたもきっとそうですね。
カウンセリングって、その重荷をおろしに来るところであり、
おろしたその重荷を紐解き、その中に入っていたのは、自分がずっと大切にしたかったものであったと気づいたり、
もう背負うことができず、足が限界が来たら、また歩めるように、休んでもらったり、
その重荷を背負ってでも、歩んできたその思いに気持ちをはせたり、
歩いてきた長い長い道のりを振り返ったりする、そんな場所だと思うのです。
道が変わる人もいるだろうし、引き返す人もいるだろうし、また進み始める人もいるけど、また自分の足で歩いていくお手伝いをする、そんな時間だと思うのです。
人生においてほんのわずかとも思えるそういった時間は、価値があるとそう思うのです。
そんな時間をつくりたいと、引きこもりを抜けてから今までの7年間、技術を学び、知識を手に入れ、自分ももがき苦しみ、そんなに多くはありませんが色んな人生の方々と、関わらせて頂きました。
カウンセリングをさせて頂いた人数も、同じ人を除けば60~70人くらいです。その方たちはみんな頑張って生きていました。
誰一人として、平たんな人生ではなく、もがき苦しみながら生きていました。
偉そうなことを書いてますが、、、僕は、カウンセラーとしては、まだまだ生まれたばかりのひよこです。うまくいかなかったケースの方が正直多くて、投げ出しそうになりそうな時もありました。
うまく関われたかなと、そう思った時に、それは違かったんだと、そう気づかされたことがあります。
・ありがとう。その一言の虚しさを知る。
講師をしていた時に、こんなことがありました。精神的な病を抱える方でした。
一生懸命に講義に来て、時にやすみながらも、そして頑張りすぎなところもある中で、
よく横浜の教室にも来ていただいていました。
その中で「夢なんてなくてもいい」と、そんなお話をしたことがありました。
そして、ある発表をする機会があった時に、その方はこんなことを言いました。
「野川さんに、夢なんてなくてもいいと、そう教えてもらえて、ふっと気持ちが楽になりました。ありがとうございます。それで、今こんなに元気です」と。
そう、言ってくれました。ただ、その時の表情はとても元気といえるような表情ではありませんでした。
でも、僕は喜んでしまいました。少し胸にぐっと来てしまいました。
「気持が楽になってよかったな・・・」って、そう思ってしまいました。
それから少しして、その人は来なくなってしまいました。
直接その方から、後日辛い状況にいることと、カウンセリングの依頼を受けましたが、
色々な事情が関わっていたので、受けると逆に迷惑をかけると思い、僕はお断りしました。
クライアントからありがとう、野川さんのおかげなんです。
何て事を言われると、僕はどうしようもなく落ち込むことがあります。
「うまくいかなかったんだな」って、自分の無力さを責める事があります。
全部がそうではないけれど、クライアントは、カウンセラーを喜ばせようとすることがあるんです。それも無自覚に。
そういった喜ばせようという気を使わせてしまった時点で、そのカウンセリングはあまりうまくいかなかったんだと、そう思うのです。カウンセラーがクライアントに気を使わせてどうするんだと、そう思うのです。
喜ばせるためにやるんじゃなくて、自分の為にやってくださいとそう思うけど、でも、そう思わせてしまったのも自分なわけで・・・。
そりゃ、喜んでもらったら嬉しいです。やっぱり。
でも、クライアントに喜んで欲しくてカウンセリングをしているわけではなくて・・・。
喜んでもらうのはおまけなんです。
野川さんのおかげといわれる度に、自分の腕のなさを嘆いて。
野川さんありがとうと、喜ばせようという気持ちから出たありがとうを聞くたびに、ごめんねと心の中で呟く。
関わってくれる人が自分の足で歩いてきて、これからも歩いて行けるんだと、そういう実感をもってもらう日が来たらいいなと、そう思いながらも葛藤の日々です。
でも、それも人生で、当たり前ですね。悩んでこその人生です。あたなも、僕に相談してくれる方もそうです。
・一生懸命に生きるからこそ、悩む。
「野川さん、今日初めてあなたに会う私は、あなたに私は何を話したらいいですか?あなたの事が信用できません。」と、ものすごい目つきで、話してくれたあの方も、
「病気になって、働けなくて、人生を始めて振り返り、自分に出来る事から初心にかえり、頑張ろうと思っています」と、そう息子の年ほどの僕に、まるで面接で決意を述べるかのように語ってくれたあの方も、
「仕事に一区切りをつけて、少し楽になりました・・・。」と言っていたあの方も、
「母親が憎くてしょうがないんです・・・」とそう言っていた方も、
今を一生懸命に生きていました。みんな頑張っていました。
それぞれの人生に触れるにつれ、みんなそれぞれ何かを抱えて生きているんだと、つくづく思います。
人並みの人生、平凡な人生なんて、自分で書いておきながら、そんなことはまやかしかもしれないなって、そう思うんです。普通な人生、平凡な人生なんてないって。
かくいう僕は、相変わらず、全然食べていけていなくて、アルバイトの生活が続いていますが、
やっぱり、それでもやっぱりこういう仕事がしたいとそう思うのです。
今年で、講師(横浜実践心理学教室は続けますが)の仕事や月一でのカウンセリングも色々な事情で辞め、また来年はゼロからのスタートです。
気持ちを新たに、関わってくれる一人から始めようと、そう思う日々です。
あの時に、ひきこもっていなければ、そして色々な人の支えがなければ、
決して生きてこれなかった、おかげさまの人生です。
その好意に甘えさせてもらって、家族にもいまだに甘えさせてもらっている人生ですが、
関わることを必要としてくれる人がいる限り、やらせてもらおうと思っています。
長くなりましたが、最後に、僕が先生から頂いた言葉(少し変えていますが)を、これを最後まで読んでくれたあなたに贈って、終わりにしたいと思います。
この世に、季節があるように、人生にも季節があります。
ひきこもっていた僕のように厳しい寒さの中で、雪で覆われて見えないけど、いつか芽吹くことを祈って、種をまく冬も、そのいくつの新緑が芽吹く春もあります。
そして、芽吹いた実りを、育てていく夏もあります。もちろん、それを収穫する秋も。
どんな実りになるかはわからないけど、すべての人の人生のうち、花が咲く時や収穫の時期がきっとあります。もちろん、あなたにも、僕にも。
それでね、早く実ればいいわけでもないと思うんです。
早く実り、収穫を迎えたがた為に、大した実りにならないこともある。
それよりも、根を深く張って、伸ばしていき、その重さに耐えられるように、
そして幹を太くし、沢山の実りをつけられるように枝葉を広げていくことも大切です。
今はあなたにとって、まだ実りをつける時期ではないかもしれない。
だけど、その実りをつける時に、花開く時に、沢山の実りと、他の人から見ても綺麗ではなくても、
あなたがみて綺麗だなって、そう思える花を咲かせられるように、今は虎視眈々と根を張り、枝葉を広げて下さい。僕もその時を待って、根を広げ幹を太くしていますから。
・終わりに。
どこにもである家族と僕とひきこもりの物語。
決してうまくいってないけど、それもいいとそう思える日々をおくっています。
これを読んでくれたあなたの心に何かとどくものがあったら、嬉しい限りです。
そして、これを読んでくれたあなたといつか会って、今度はあなたの物語を聞ける日が来たら嬉しいなと、そう思いながら、このへんでそろそろ終わらせて頂きますね。
お互いに来年はいい年にしましょう!
それでは、最後までお付き合い頂いて本当にありがとうございました!
著者の野川 仁さんに人生相談を申込む
著者の野川 仁さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます