重度のうつ病からの生還、15年の記録

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著者: 西條 智之

「おれは、お前をチクッとするのが、楽しみなんだよ・・・」


かつての友人には見えませんでした。


ずっと、耐えるしかありませんでした。


それから、半年が過ぎました。


その間、ずっと銀行のカードローンで食いつなぎました。


有り難かったです。


私には、100万円の限度額のカードが4枚ありました。


それを使うコツをつかんで、生き延びて来ました。


「使っちゃ行けない・・・」


始めは、そう思いました。


しかしながら、一旦手を染めると、一気に「気軽になる恐ろしさ」も味わいました。


そして、薬漬けのある日、気がついたのです。


「このままでは、いけない。死んでしまう・・・」


そう思って、担当医師に伝えました。


「それは、西條さんが、回復に向かっている証拠です。」


「先生、薬の量を減らして下さい。」


「そうですね、これから半年かけて、徐々に減らして行きましょう。」


それから、半年で投薬をゼロにしました。


「西條さん、あとは通院回数も、2週間に一度にしましょう。」


私は、復活したと感じました。


しかしながら、もとのような感じで働ける訳には行きません。


就活の厳しさもありました。


「うつ病」を隠しての就活です。


当然、入社しても「きつい」のです。


そのために、再発の危機に直面しました。


そして、また元の医師の元を尋ねる結果になるのです。


「回復しても、再発するんじゃ、意味がない。いっそのこと、担当医を変えよう。」


他のうつ病患者と同じように、私もインターネットを使って、評判のいい医師を捜しました。


うつ病患者に取って、担当医との人間関係、つまり「相性」が大切です。


処方薬が効きすぎて、内容を変えて欲しいと言うと、


「君は何を言っているんだ。ボクは、医者だよ。ボクの言う通りにやっていればいいんだよ。ボクは、いままでの経験で、処方しているんだ。」


そう言われるのが、当たり前でした。


正直、処方薬で、「体がボロボロ」になっていました。


それでも、飲まなければならない・・・治すために・・・


「いつになったら、治るんだろう・・・?」


よだれ、眠気、テレビも新聞も見たくない・・・


食べる気さえない・・・


どんどんやせて行く・・・


投資銀行マンの私が、懐かしくて・・・・涙が出て来ました。


誰にも伝えられない、この気持ち・・・


今まで付き合って来た人たちから、もう音信が不通になりました。


憧れていた女性から、言われた一言・・・


「私に、ヒモはいらない・・・」


誰かにすがりつきたい気持ちで一杯でした。


それを一蹴するような厳しい言葉でした。


返す言葉がありませんでした。


自分の命を守りたい・・・


でも、どうやって・・・


今日も、よだれで、胸の辺りがよごれている・・・


それに気づかない自分がいる。


夜になってはじめて、トイレに行って、手を洗う時に鏡に映る自分を見て、はっと気づく・・・


頬の肉がたるみ、「まるで老人のような顔つき」に変わっている・・・


「絶望」・・・


生まれてはじめて知った感覚


「hopeless」


回復の見込がない、成功する兆しさえない・・・そんな感覚でした。


そして、考えたこと・・・


自殺


「そうだ、こんな苦しみを感じたままなら、いっそ死んでしまった方が楽だ・・・」


はじめて知る、自殺する人の気持ち


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