重度のうつ病からの生還、15年の記録
こんなことを言うお医者さんって、いるんですね、それも、あの虎ノ門病院に。
そう言われても、私には出来ませんでした。
「おれは、どうすればいいんだ・・・?」
「家族で、おれだけがゼンソクになり、おれだけがうつ病になった。多分、おれの中で『家族にないものある』んじゃないかな?」
私は、オーバーヒートする原因をつかみたいと思って、人生の旅に出かけました。
「どうして、こうなるんだろう?」
それからも、通院は続きました。
そして、4人目の精神科医の小林先生に出会った時に、「全快」を迎えるのです。
小林先生との会話で、大きなことに気づいたのです。
勉強と仕事以外に、何もやって来なかったことに・・・
それからと言うもの、様々な出会いがありました。
品川駅のコンコースで、華麗なアルトサックスの音色の魅了され、
中村健佐(けんすけ)さんのファンになったり、
皇居勤労奉仕で、皇居の清掃作業をして、実際に天皇皇后両陛下と皇太子殿下のご会釈を頂いたり、
「成功の9ステップ」のジェームス・スキナーさんに出会ったり、
妻の人脈で感性の世界で生きている人たちと出会ったり、
私には、知らないことばかりでした。
私も、小さな世界で生きて来たのだと、知ったのです。
グローバル社会で生きて来たとは言え、
はっきり言うと、国際金融しか知らない、1人の日本人なんです。
それからは、
NLPで『脳の働き』を学び、
ナチュラルハイジーンで、食事療法を学び、
週3回の運動と、十分な睡眠と、酵素たっぷりの食事をして、
朝は、果物と野菜のジュースで乗り切り、
腸の中をきれいにして、吸収を良くして、
少しの量の処方薬でも、同じ効果を感じ、
そのために、徐々に薬を減らすことをやって、
完全に「処方薬ゼロ」を達成しました。
そして、いまでも「うつ病にはかかっていません。」
それから、
「病気のままでいたい」という気持ちを払拭するために、
『うつ病完治宣言』をしました。
FBの読者に向かって、公言したのです。
「もう、2度と、病気にはならない。病気の好きな自分から、病気を遠ざける自分にシフトしました。」
それからは、あれほど好きだった病院の消毒液の匂いに、違和感が出て来ました。
これでいいんだな・・・
そんな人生を歩んで来た間に、世の中は、「グローバルの波が押し寄せて」来るようになりました。
「おれには、何が出来るだろうか?」
偏差値40台の大学卒から、アメリカのMBAで、元・NYの投資銀行マンの経験を使って、家庭教師を始めました。
まるっきり忘れている英文法を、中学1年生の問題集を解きながら、復習しました。
「おれの年で、家庭教師を受け入れてくれるんだろうか?」
そんな不安がうそのように、人気が出て来ました。
だって、いままで「落としたことがない」を殺し文句に使ったら、
生徒が、「本気になる」のですから。
『先生の英語って、授業より簡単!』
それが、宣伝文句になりました。
それから、いままでずっと諦めかけていた『英語教育の道』を目指すことにしました。
「受験だけではなく、英語の歴史や音声学やビジネスの現場の話を織り込んで、授業をしました。」
英語を使って、どんな仕事があるのか?
どれだけ、稼げるのか?
受け持ちの中学生に、ずばり言います。
『英語は、お金を稼ぐ道具』だと。
「だから、お金を稼ぐために、英語を勉強しなさい。」と言うのです。
「他の人よりもお金を稼ぎたかったら、英語を勉強しなさい。」って、はっきり言います。
そんな私が、本気で英語の教師になりたいと決めて、
イギリスのINTESOLという世界的な研修機関で、英語教授法の資格を取りました。
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