子持たずの記(5)

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 さて十年目にやっと出来た子を育てるのってどんな感じだろうか。甘やかしすぎ、過保護、絶えずその子に注がれるビームのような視線。もしかして喜びの余り、自制心を失って親バカそのものになって、せっかくの子をとんでもない問題児にしてしまったかもしれなかった。その危険性は充分あったと思われる。しかしそれを防いでくれたのは、三年間、長男を育てた経験だった。 

 今思うと里子を育てるには若干客観的であることが必要だった。生まれてから三年半の間の情報が全くないというのは、育児には凄いハンデである。そのため極力冷静になって、周りから学びながら子育てをしなければならなかった。これが後々、次男、そして三男を育てるのにどんなに役に立ったかしれない。


のんびりやには、さらに五年が必要

 なかなか子供の出来ない人でも一回できると続いて出来るものと言われるが、二年経っても三年経ってもそれらしい兆しは見えなかった。ぶつぶつ不満をつぶやく私に、次男が言った。

「僕が生まれるときは、ママが神様にお祈りしてくれたんだろう。どうしてまたお祈りしないの? ぼくが代わりにしてあげようか」

 ほっぺたをぶん殴られたような気持ちだった。

 神様は私にあまりにもすばらしいプレゼントを下さったから、これ以上欲張ったお願いは遠慮しようとか、神様を試すみたいで怖いとか、いろいろもっともな理由を付けてはいたものの、正直言って幼い子供の素直な心には脱帽だった。

 そして五年経ち、ただしを身ごもった。四十二歳であった。

 だれもが私の体を心配した。クリスチャンの母でさえも、体の方が大切だからと反対した。しかし私たち夫婦の決心は揺るぐはずはなかった。十年以上もの長い間、ひたすら赤ちゃんを下さいと祈ってきた。どうして今更「もう遅すぎます。今回はご遠慮申します」なんて言えるだろうか。

 予定日は九月二十三日で、一番大変な時期に真夏を超さなければならなかった。毎朝目が覚めると「ああ、良かった。今日も生きて新しい朝を迎えられた」と思ったほど、毎日が命がけだった。注意に注意を重ねたつもりだったが、十日以上も早く破水してしまい直ちに入院。その夜遅く、三番目の子、ただしが生まれた。全身麻酔は胎児に危険なのでもう出来ず、腰椎麻酔だけで帝王切開が行われた。胃袋からおなかの中の臓器まで全部が引きずり出されるような痛さで私はワァオワァオとわめいていた。その時水の中で出しているようなくぐもった「アワアワ」という声に続いて、勇ましい産声が響き、「男の子です」の一言が耳に飛び込んだ。

 それを聞いた途端、何にも分からなくなった。

 入院中次男がくれた手紙には

「ママ、おめでとう。ぼくはおにいちゃんになった。おにいちゃんは、おおにいになった」と、たどたどしい字が躍るように並んでいた。

 それ以来、長男は「大兄(おおにい)」に、そして後に次男は小さい兄ちゃん「ちいたん」と呼ばれるようになり、今日に至っている。 

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子持たずの記(6・終)

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