子持たずの記(6・終)

前話: 子持たずの記(5)

 明治の初め珍しくもなかったろうが、私の母は兄弟姉妹あわせて九人の、五女であった。幼くて亡くなった姉、結核でなくなった兄、六人目の男の子の出産で亡くなった姉、結婚してから亡くなった弟など、全員が揃って成人した訳ではないが、私には叔父、叔母、いとこたちが大勢あって、寂しい思いをあんまりしないで済んだのは幸いであった。子福者の叔父伯母たちの中で一番若い叔父夫婦だけには子供が無く、父を戦争で亡くした私は、特にかわいがって貰った記憶がある。

 叔母は料理も裁縫も編み物も何でも達者で、好きな布地を選ばせ、洋服をよく縫ってくれた。私が結婚した当初は同じ東京に住んでいたので、よく押しかけて、ノートいっぱいに料理のレシピを教えて貰った。私の母が化粧を余りしない人だったので、叔母の家へ行くと化粧台の前に何種類もの化粧品があって、どれでも使わせて貰えてとても嬉しかったこともよく覚えている。

 岩国に住んでいて、子供が生まれないことで、せっぱ詰まった精神状態に陥っていたときも、叔母はその気持ちを理解してくれた。次から次へ新しい洋服を作ったとき、編み物に凝った時、お稽古ごとにあれこれ手を出したとき、「私もそうだった」という言葉が返ってきた。

 いつの間にか二人の間に「同病相憐れむ」いやもっと強い「同志感覚」とでも言えるようなものが芽生えていた。  

 ところがである。私に子供が出来た。私をかわいがってくれたときと同じように、私の子供たちも、訪ねていけば、お祭りに連れて行ったり、庭で花火をしたり、叔父も叔母も歓待してくれる。それでも私の心の中には、叔母を裏切ったような、後ろめたい感情が潜んでいたのも嘘ではない。

「『子持たず』や思うとったんやのにねえ」と、遊び回る子供らを、目を細めて眺めながらしみじみという叔母に、申し訳ないと思ったものである。

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