一風堂のスタンプカードが私に教えてくれた大切な3つのこと。
プロローグ
ずっと自分の中にだけしまっていたことがあります。
こんなとこで公表してもいいものなのか。しかし、もう自分だけでは抱えきれなくなってしまいました。 他の方の協力が必要なところまで。
あともうちょっとで夢が叶うのです。でもタイムリミットがあと1ヶ月半後にせまってしまった。。
なので…
ついに 、
ついに。
バリスゴカードのスタンプについて、募集したいと思います。
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私が25歳の時に体験した話です。
当時、社会人3年目という世の中的には、すごく仕事もプライベートも脂の乗る時期に、自らの身に起こった【一つの奇跡】について振り返りたいと思います。
一風堂と私
5年ほど前、私はラーメンと言えば一風堂、一風堂と言えばラーメンというくらい一風堂にハマっていた。そして一風堂のスタンプラリーが始まった。
◆ 1話目 ◆
初めての出会いはバリカード
新卒で入った会社で働いていた当時、私は大阪の天満に住んでいた。
終電で会社を出て電車にコトコト揺られ、梅田からは自転車で帰宅。 一杯750円のラーメンにしてはちょっとばかり高いその味に翻弄され「疲れた身体に一風堂」 そんな気持ちで1週間に1度ならず、2度3度足を運んでいた。
自転車はいつも一風堂の近くに停めていた。
太り始めたのも、ちょうどあの頃だった。
今まで、どんなスタンプカードもなかなかたまらず期限がきてしまう性格。
でも一風堂は違った。
貯めようと思わなくても、バリカードは一瞬にして埋まった。
◆ 2話目 ◆
バリバリカードへの昇進
バリカードからバリバリカードにステップアップした頃、身辺の変化もあった。
―― 転職 ――
その会社は大阪の本町にあった。
天満からは自転車で通った。
一風堂には遠回りをしなければ寄れない。
でも寄った。
必ず寄った。
頼むメニューはいつも同じ。
「白丸元味、バリカタで、白ご飯もお願いします」
(たまに半熟塩卵トッピングで、たまに博多ひとくち餃子も付けていた)
いつもお一人様でご来店。
ナムルのもやしはいつも3~4杯。
体重もバリバリカードのスタンプとともに増えていった。
◆ 3話目 ◆
バリスゴカードへの昇進後の壁
バリカードからバリバリカード。バリバリカードからバリスゴカードへのグレードアップは早かった。
さくさく押されていくスタンプ。
―――― 。。。
そんな時、名古屋へ異動となった。
「あぁ…もうなかなか足を運ぶことももう難しいかも」
そう思っていた。
でも違った。
一風堂は家から徒歩5分のところにあった。
運命共同体だと思った。
寄った、とにかく寄った。
本当に一風堂のラーメンはおいしい。
でも、ここまでくればそれよりもバリスゴカードを貯めたかった。
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