一風堂のスタンプカードが私に教えてくれた大切な3つのこと。

1 / 3 ページ

プロローグ



ずっと自分の中にだけしまっていたことがあります。


こんなとこで公表してもいいものなのか。しかし、もう自分だけでは抱えきれなくなってしまいました。 他の方の協力が必要なところまで。 


あともうちょっとで夢が叶うのです。でもタイムリミットがあと1ヶ月半後にせまってしまった。。 



なので… 


ついに 、


ついに。



バリスゴカードのスタンプについて、募集したいと思います。 


===============


私が25歳の時に体験した話です。



当時、社会人3年目という世の中的には、すごく仕事もプライベートも脂の乗る時期に、自らの身に起こった【一つの奇跡】について振り返りたいと思います。





一風堂と私


5年ほど前、私はラーメンと言えば一風堂、一風堂と言えばラーメンというくらい一風堂にハマっていた。そして一風堂のスタンプラリーが始まった。 



◆ 1話目 ◆
初めての出会いはバリカード


新卒で入った会社で働いていた当時、私は大阪の天満に住んでいた。


終電で会社を出て電車にコトコト揺られ、梅田からは自転車で帰宅。 一杯750円のラーメンにしてはちょっとばかり高いその味に翻弄され「疲れた身体に一風堂」 そんな気持ちで1週間に1度ならず、2度3度足を運んでいた。 


自転車はいつも一風堂の近くに停めていた。 



太り始めたのも、ちょうどあの頃だった。 



今まで、どんなスタンプカードもなかなかたまらず期限がきてしまう性格。



でも一風堂は違った。 
貯めようと思わなくても、バリカードは一瞬にして埋まった。



◆ 2話目 ◆
バリバリカードへの昇進


バリカードからバリバリカードにステップアップした頃、身辺の変化もあった。



―― 転職 ―― 



その会社は大阪の本町にあった。 
天満からは自転車で通った。 



一風堂には遠回りをしなければ寄れない。



でも寄った。



必ず寄った。 



頼むメニューはいつも同じ。



「白丸元味、バリカタで、白ご飯もお願いします」
(たまに半熟塩卵トッピングで、たまに博多ひとくち餃子も付けていた) 



いつもお一人様でご来店。



ナムルのもやしはいつも3~4杯。 
体重もバリバリカードのスタンプとともに増えていった。



◆ 3話目 ◆
バリスゴカードへの昇進後の壁


バリカードからバリバリカード。バリバリカードからバリスゴカードへのグレードアップは早かった。 



さくさく押されていくスタンプ。



―――― 。。。



そんな時、名古屋へ異動となった。



「あぁ…もうなかなか足を運ぶことももう難しいかも」



そう思っていた。



でも違った。 



一風堂は家から徒歩5分のところにあった。 



運命共同体だと思った。



寄った、とにかく寄った。



本当に一風堂のラーメンはおいしい。 
でも、ここまでくればそれよりもバリスゴカードを貯めたかった。 


著者の山本 裕子さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。