STORYS.JPを書いて1年後に叶っていた夢の話。

 2015年1月に書いたSTORYS.JPを、なんとなく読み返したら、最後にこんなことが書いてあった。


「今は、世界中を作品展示をしながら巡り、世界中の人が楽しめる体験を作りたいと思ってる。まだ道半ばで、達成できたことはほとんどない。一生のうちに全く何も起こらないまま野垂れ死んでいくかもしれない。

たとえばそうだとして、それでもやるかどうかだ。」


 2016年2月、今、私はバルセロナにいる。3か月のアーティスト・イン・レジデンスのプログラムに受かり、バルセロナのギャラリーに滞在して作品制作と発表をする予定だ。4月にはロシアのサンクトペテルブルグへ。本当は3月の予定だったのを、4月に変更できないかと問い合わせ、たまたま4月参加予定のアーティストから連絡が来ないということで、変更が受け入れられた。5月にはドイツのホーエンシュタインに行く。全て、アーティスト・イン・レジデンスのプログラムで滞在費はFree。バルセロナは月に40ユーロの共益費が3か月分かかるが、ドイツはなんとか交渉して、航空券代の550ユーロを助成してもらえることになった。


 なぜ、世界中を巡りたいのか。


 そういう思いが生まれたのは、タンザニアでの経験が大きい。2011年8月から9月にかけて、私は地球の歩き方東アフリカ編の取材でタンザニアに5週間滞在した。そのうち4週間は1人での現地取材。バスの路線や価格、本数を調べ、ホテルの値段や設備を調べ、写真を撮って帰ってくる。都市部では英語が通じるが、田舎の町はスワヒリ語しか使えない。必要な分のスワヒリ語を現地で覚え、英語が少しでも話せる人に頼りながら取材する。

 5秒ごとに後ろを振り返り、誰もついて来ていないことを確認しながら歩く。バックパックには鍵がかかっているけど、歩いていれば私が気づいていても平気で開けようとしてくる。停電していないことのほうがまれで、電話はいつ切れるか分からない。毎日、「できている」ことのほうが奇跡なんだと知る。


「話しかけて来るやつは信用するな」


 1人取材が始まる前に、サファリの地元ドライバーがアドバイスしてくれたのが、その言葉だった。黒くない肌は目立つ。年収が10万円の国では、この国に来られただけで大金持ちだった。軽く脅すだけで数か月分の収入が入り、捕まらないとしたら、自分だったらどうするだろう。

 食事が合わなくてお腹を壊すことが多く、ほとんど食べずに、みかんやバナナなどの果物と、日本から持ってきたポカリスエットの粉を水に溶かして飲むような毎日が続いていた。ザンジバルという島に来た時、日本人の経営するロッジに泊まった時は、食べた物を全部吐いた。食べない状態が長く続いていて、食べることができなくなっていた。

 ロッジの人と一緒に町中を散歩したことがある。石でできたふつうの家にはもちろん電気はない。子どもの3分の1くらいは大きく破れた服を着ている。タンザニアの人は写真を嫌がるが、子どもたちの写真を撮り始めたら、キャーキャー言って笑いながら集まってくれた。そうしていると、近くに座っていた女性が言う。

「子どもの写真を撮るなら、お菓子をあげて」

 英語だった。子どもたちは英語を理解しない。お菓子は持っていないし、何かあげられるものは、とカバンを探す。1本のペンを少しカバンから出したところで、いきなり女の子にペンをひったくられた。それから、全員で「ハロー!ペン!」の大合唱。「ペン!」と言えば、ペンをくれるんだと、この瞬間は彼らは学んだんだ。さっきまで楽しそうに笑っていた目ではなかった。私にもちょうだいよ、というまなざし。全員にあげられるものはなかったし、ここで何かをあげれば、彼らは他の外国人が来た時にも、同じように「ハロー!ペン!」を繰り返すだろう。

 ザンビアの女性が書いたもので「援助がアフリカをダメにしている」というテーマの本がある。マラリア蚊を防ぐために蚊帳を寄付したら、地元の蚊帳生産会社がつぶれたような例などが書かれていた。地球の歩き方創刊時から関わっている編集者には、「アフリカで不正を見かけたら、必ず強く指摘してきてほしい」と言われていた。それは、取材者への義務ではないから、何十年もアフリカに関わる編集者のアフリカへの想いなのだろう。観光が盛んな土地は、お金が落ちてゆとりができる。そうなると犯罪も自然に減る。アンコールワットのあるカンボジアの町、シェムリアップがそうだった。ただ、観光が盛んになるためには、その土地が安全であることが必要だ。日本ほどではないしにしても、事件なことはないほうがいい。他の国に旅ができるくらい余裕がある人は、わざわざ危険な国には行かない。魅力的な場所は、世界中どこにだってあるからだ。

 もし、子どもたちが楽しそうに笑って踊って歌ってくれたら、そこにお金を払う外国人はいくらでもいるだろう。子どもたちも楽しく、何よりその土地を訪れた観光客にとっても、かけがえのない体験になるだろう。「ハロー!ペン!」と必死に訴えるよりも、多くのお金が落ち、払った人も喜びながら払うに違いない。そう、彼らに伝えられればよかった。

 でも、この時の私は初めてのアフリカで、仕事をこなすのに精いっぱいな一人の取材者でしかなかった。海外経験も少なく、日本とは違う環境に慣れていなかった。ただ、この時感じた「お金を払う、物をあげることは教育と等しい」という思いは、今でももっている。脅されてお金を払えば、その人は他の誰かも脅すようになるだろう。もちろん、自分の身を守るために必要なこともある。でも、本当は「自分の喜び」に対価を払うことが、一番の「教育」なんだ。「ペンをあげたのは、みんなの笑顔の写真を撮らせてくれたからだよ」と言えればよかった。同時に、受け取る側も「自分の喜び」で対価を得ること。歌うことでお金を稼げても、歌うことが嫌なら他の方法を選べばいい。

 それは誰かにとっては絵を描くことかもしれない、誰かにとっては歌を歌うことかもしれない。誰かにとっては寝ることかもしれないし、誰かにとっては掃除することかもしれない。

 そうやって「価値」がつくれることを、伝えられればよかった。


 タンザニアから帰ったばかりの日、23時過ぎに、お腹が減ったからコンビニに行こうと思えた自分に感動した。家の外に出て、夜空を見上げて、両手を上げる。電車で落としたiPhoneが返ってくることを、ニューヨークで「クレイジーだ」と言われたことがあった。レストランで持ち物を全部置いたままトイレに行っても、誰も盗ろうとしない。心から安心していられる。日本に生まれただけで、すでに幸福の嵐なんだ。

 タンザニアでの5週間の滞在は、私にいろんなことを教えてくれた。出会った日本人の半分が強盗やスリに遭っていた中、私はオレンジや水をご馳走になったり、次のバス乗り場まで案内してもらったり、現地の人にお世話になることが多かった。だけど、私は「こんなによくしてくれるのは、あとでお金を取れると思ってるからじゃないか」とずっと警戒していて、心からお礼が言えなかった。タクシーに乗せてくれた人が遠ざかっていく中、「ああ、本当にただ親切にしてくれただけなんだ」って気づき、最後まで疑っていた自分を恥じた。旅の終わりに食べたカレーライスがおいしくて、お店の人とスワヒリ語で盛り上がって、そうやって、自分とは違う立場の人と話せることが、私にとって何よりも魅力的だった。こうしていろんな国、いろんな人の存在を知ったら、自分の可能性なんていくらでも広がるはずだ。

 マサイ族は野菜を食べずに肉とミルクで生きていること。
 オーストラリアのゴールドコーストでは酔っ払いがバス停で待っていると、バスが止まってくれないこと。トイレのうんちがよく戻ってきてトイレにたまってること。
 モンゴルの山の上にあるお寺に行くための交通手段が馬なこと。
 バルセロナのクロワッサンが死ぬほど美味しいこと!

 大変だったことも楽しかったことも、知ったから好きになるんだと思う。名前しか知らない国の平和を心から願えるほど、私は善人じゃない。でも、行ったことのある国はみんな大好きだ。長くいると日本に帰りたいって思うけど、どの国もお世話になったなって思う。素晴らしいな!おもしろいな!って思ったことがたくさんあった。お世話になった場所だから、自分ができることで恩返しをしたいなって思う。その一つは、自分が出会ったものを伝えること。そしてもう一つ、今後は「育てる」ということをやっていきたいな、と思っている。


 単純作業がコンピューターに任せられるようになってきて、最低限の衣食住に困らなくなってきた。昔は人が欲しがるものを自分も欲しかったかもしれない、でもそういうのは、もういいかってなった時、人はやっぱり「自分にしかない喜び」を求めるのだと思う。

 それは、誰かにとっては星空を見ることかもしれない、誰かにとっては本を読むことかもしれない、誰かにとっては恋人と一緒にいることかもしれない、誰かにとっては今までにないおもしろい体験をすることかもしれない。

 アートは、数百年つづく観光資源になる。ピカソがバルセロナにいたことで、一体どれほどの人が、バルセロナに訪れただろうか。モナリザがあるだけで、1000年は人が集まる。その作品があるだけで、町全体が潤うのだ。そして自然資源と違って、アートは「人が創れる」。現地にあるものだけでも、十分に人の心を動かすものが創れる。


 「世界中を作品展示をしながら巡り、世界中の人が楽しめる体験を作りたいと思ってる」


 1年前に、なんのあてもなく思い描いていたこと。それが、少しだけ叶いそうになっている。3月3日から、私の海外初の企画個展が始まる。作品は中に入れる巨大切り絵で、見に来た人は、自分のこぶしのサイズ(=心臓のサイズ)だけ好きなところをカットすることができる。切るのが嫌なら、切らなくてもいい。でも、触ったり中に入ったり、訪れた人が作品と関わることでワクワクした体験を得られるといい。


 今は、世界中を巡りながら、その国の人たちと一緒に何かをつくれたらと思ってる。一緒につくりながら、日本人のもつ世界最高峰のホスピタリティについて伝えていく。そうして一緒につくったものが観光名所になって人を呼び、訪れた人がその土地と人の魅力を知って、また誰かに伝えて人を呼ぶ。人の流れができて、人同士の交流が生まれる。自分が知り、魅力を感じた場所を、壊したいって思う人はいないはずなんだ。

 「世界」っていう言葉を使っていながら、私は果たしてどれだけ「世界」のことを知っているだろう。バルセロナに来るまで、スペインとポルトガルとフランスの位置関係すら、よく分かってなかった。本当の意味で「この世界を好きで、全部が幸せだったらいい」って言えるようになるには、私には、その土地でのリアルな体験が必要なんだ。そして、幸いなことに、私は重い荷物を背負って歩けるだけの身体に生まれてきた。世界トップクラスのおもてなしスキルのある国に生まれてきた。それはもう、何よりも幸福なことだ。

 オーストラリアおのルームメイト募集では、日本人の女の子が人気だった。私が部屋を借りていたおじいちゃんは「日本人はお金を置いていても盗らない、部屋もきれいに使うしすごくいいよ!」と言っていた。今、滞在しているバルセロナのギャラリーオーナーが、たびたび手作りのランチに招待してくれる。「今までのレジデンスの人たちも、こうやって一緒にごはん食べたりしてた?」って聞いたら、「Youが特別だよ。みんなヘルプしてほしいって言うだけだから。ギャラリーだしそれは全然いいんだけど。でも、キミは助けてくれるから」って言っていた。ヘルプって言っても、すごいことをするわけじゃない。キッチンをキレイに使ったり、掃除や片づけを手伝ったり、オーナーがいられない時にギャラリーを開けたりするくらいだ。「国民性なんだと思う」とオーナーが言っていた。「日本人」というだけで信用してもらえるのは、私だけでなく、日本人全員が培ってきた財産だと思う。海外にいると、その財産がいかに自分を助けてくれるか、いろんなところで実感できる。

 昨年は1月から9月まで毎月、クラウドファンディングを教える会をやっていた。のべ100人以上が参加してくれたけど、会をきっかけに実際にクラウドファンディングを立ち上げた人は、まだいない。いい話聞いたなーで終わる会にはしたくなかった。参加してくれた人の人生に、本当に変化があることをしたかった。でも、自分には、それだけの力量がなかった。これで最後にしようって思った9月は、アンケートの結果もひどかった。

 今はまだ、何からすればいいか分からないけど、誰かの人生が本当に目覚ましく変わるくらい、その人の人生に変化を起こすことができるようになるといい。

 自分にできるだろうか?今は全然、暗闇の中にいて、道があるのかも分からない。でも、1年前に、STORYS.JPを書いていた時の自分は、自分が1年後にバルセロナでアート制作ができているとは想像もしていなかった。

 まだ道半ばで、達成できたことはほとんどない。一生のうちに全く何も起こらないまま野垂れ死んでいくかもしれない。

 たとえばそうだとして、それでもやるかどうかだ。

 そして、いつか、この世界が本当に好きだ!って心から言えたらいいな。



 


 


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