第五章 フィンランドから「なぜ教育は必要なのか」を考え直す~教育って実は空気?という話

次話: 第七章 小さい子を連れて海外でアート制作できるのか~100人の親をもつ子どもについて考える

2017年1月11日から地球2周めアートの旅に出ています。

元獣医アーティストが一年かけて地球を一周してアート活動してくるまでの話5
2018年6月現在、


2017年

1月     ロサンゼルス

2月     ニューヨーク

3~5月   フィンランド(トゥルク)

4~6月   ルーマニア

9、10月   フィンランド(マンッタ)

11~翌年5月 上海

2018

5~6月 デンマーク

6~7月 フランス →イマココ

8~10月 韓国


なんとなく「学力が高い」ということで知られているフィンランド。

2015年のOECD15歳の学習到達度調査によると、実は日本のほうがランクは高くなっています。


引用:OECD 生徒の学習到達度調査 Programme for International Student Assessment ~ 2015 年調査国際結果の要約~

https://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/2015/03_result.pdf


フィンランドのマンッタという町の公立学校でアートのワークショップをやる機会がありました。フィンランドではほとんどが公立。私立というのはほとんどないそうです。


ワークショップの詳細はこちらから


アートワークショップで知ったフィンランドとの違い~折り鶴が変えた子どものはなし

http://mijin-co.me/art_sora_finland/

日本の公立小学校でワークショップをやろうとすると、数か月前からの事前手配が必要になってくるんですね。これはカリキュラムがしっかり組まれていて、他の授業を代わりに差し込むというのが簡単にはできないからです。私が浅草の小学校でやらせていただいた時には、美術の時間の代わりということで手配していただきました。


フィンランドの場合は、美術の先生の裁量に任されているため、基本的な教育項目はあれど、先生の考えで授業を組み立てることができるようでした。私立ですがニューヨーク州やデンマーク・コペンハーゲンのインターナショナルスクールでも、1~2週間程度の調整と十分な打ち合わせがあればワークショップの開催は可能でした。


こうした教育比較の話が出ると日本の詰め込み式教育はダメという話が必ずやってくるのです。しかし、ほんとにダメなのか?そもそも自分で考えたことがあったでしょうか。詰め込み式教育がダメな理由を。一番ダメなのは、誰かの意見をまるで自分の考えたことみたいに「だから日本の教育はダメなのよ」と言って何もしないでいる自分じゃないのか。


【教育は本当に必要なのか】

世界には学校に行かせるよりも子どもにすぐ働いてほしいと願う親もいます。

私は子どもの頃、学校に行きたくなくてズル休みしたことがあります笑。


教育が大事、というのはまるで常識のように繰り返されている言葉なので、なんとなく教育が大事なような気はします。改めて、どうして大事なのかを考えてみます。


たとえば、自分がどこかの国の農村に生まれて、自分ちの農地を継いで畑仕事をして一生暮らすとします。その場合、あえて学校に行って歴史とか微分積分とか勉強しなくても、早めに働き始めて植物の性質とか畑の耕し方とか身をもって学んでいったほうが「勉強」になる気がしませんか?


読み書きは覚えたほうがいい?よく聞きますけど、ほんとでしょうか。


2018年6月現在、私はフランス北部の田舎にいます。フランス語は喋れず、英語がペラペラな人はほとんどいません。英語でコミュニケーションを取ろうとしてくれる人もほとんどいない。日本語スピーカーはもちろんゼロ。フランス語で書いてあることは全く分かりません。つまり、ここで私は「読み書き」どころか言葉を話すことさえできない人なのです。


フランスにはアートのプロジェクトをやるために来ています。

そこで言葉が通じないとどうなるか。


実はあんまり困らないんですね。
というのも、
分かる人が説明してくれる、それが連鎖していくので。プロジェクトはシンプルです。世界中から絵を集めて1つの巨大作品をみんなでつくるというもの。各国で撮った写真を見せて、実際に集めてきた絵を見せるとだいたい分かってくれる。人を呼んでくるわーと言って勧誘員をやってくれる人が現れる。

▼SORA project/世界中の人と空みたいな1つの作品をつくろう
http://oumavet.com/sora.html


もちろん、言葉が分かったらもっとスムーズだし、活動を広げるスピードも速いと思います。でも、言葉が分からないからといって、やりたいことができないわけじゃない。つまり、今現在、できないことがあるからといって、やりたいことが全くできなくなるわけではないのです。


自分のことを振り返ってみたとして、小・中・高校と学校で学んできたことは、果たしてどれだけ現在の自分の役に立っているのか。もしも「具体的に」現在の自分の役に立ってることがないというのであれば、子どもの頃の膨大な時間を学校生活に費やす意味はどこまであるのだろうと。


もちろん、集団で生活することで、周囲との関係性を学ぶことも大事な部分ではあると思いますし、学校に行かせる間、両親が働きに出られるという現実的な面もあると思います。しかし、今はネットで勉強することもできるようになってきた時代。学習スピードも子どもによって違います。

もっと言えば、誕生日が4月の人と3月の人だと、同じクラスでもほぼ1年の差が出ます。私は2月生まれなので、かけっこではいつもビリから数えて何番目でした(1番ビリが3月生まれの子になりがち)。子どもの頃の1年って大きいですよね。


子どもの頃から比較と優劣の中で生活していたら、誰かより劣っていることでダメだと思いこみ、誰かよりうまくいってることで優越感を感じるようにならないでしょうか。他者の評価や他者との比較の中で自分の位置を知るよりも、自分で自分に○マルをつけられるような人生のほうが幸せでは。


【「知る」が増えるということは、選択肢が増えるということ】

じゃあ教育ってなんなんだというのを、改めて考えてみる。

なぜ必要なのか。あるいは、「自分」に必要な教育とは何か。


教育っていうのは、生き方の選択肢を増やすっていうことなんですよね。それは、自分の人生を自分で考え、想像し、組み立てる力です。


先ほどの農村で暮らす例を思い返してみます。先祖代々の土地があるから、それだけでも食べていけます。その場合、あえて読み書きはできなくてもいいかもしれない。でももしかしたら、その人には類まれな音楽の才能があって、世界的なミュージシャンとしてヒットを飛ばしまくるかもしれない。農地を耕して暮らすのが自分の人生と信じて疑わなければ、自分の才能、あるいは、自分にやりたいことがあるという気持ちに気づくこともありません。だって、もとから他の選択肢が閉じられてしまっていたら、今とはぜんぜん違う世界を想像することなんてできないでしょう。


「こんな風になったらいいな」「こんな暮らしがしたい」

そういうささやかな欲求があるっていうのは、そういう状態がこの世にあるということを知ったから。自分が空を渡れることを知らなければ、遠い国まで行ってみたいなんて思わないはず。音楽で生計を立てている人がいることを知らなければ、音楽で生きたいなんて考えないはず。欲求があるというのは、それを知っているということ


この最初の「知る」が教育なのです。


知ることが増え、自分自身に何かをしたい欲求や理想が出てくる。そしたら思い描く暮らしをするためには何をしたらいいのか、少しでも考えるようになる。そして考えるというのは、疑問をもつということ。疑問をもつということは、可能性を探るということです。誰かの考えたセオリーは自分の正解ではないから。誰かが社会の仕組みを変えてくれるのを待つのではなく、自分で自分の身の回りの環境を変えていくこと。自ら考え、学ぼうとする。その気持ちを刺激するのが本来の教育の役割のはず


gooの国語辞典にこんな風に書かれていました。

【教育】
ある人間を望ましい姿に変化させる
ために、身心両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること。知識の啓発、技能の教授、人間性の涵養 (かんよう) などを図り、その人のもつ能力を伸ばそうと試みること。

https://dictionary.goo.ne.jp/jn/55770/meaning/m0u/


まさに自分自身のために自ら学びたいという意識を育むのが教育の本質ではないでしょうか。


だからね、私はフィンランドの教育方法、日本の教育方法、どちらがいいとか悪いとかは思わないのです。ただ、違いがあることを興味深いと感じるだけ。教育の一番最初の目的は、「知る」を増やすこと。それから自分のための欲求、「~したい」を増やすこと。その刺激のための最良の方法は個人個人で違うので、画一的な方法論で全員がうまく伸びるわけじゃないです。


だから、これはツマンナイを知るのも十分必要なことだと。自分にとって興味がないことであれば、今後「選ばない」という選択ができますから。でも知らなければ、自分が興味をもつか、もたないかも分からないです。

人は学ぶほどに自らの可能性を実感するようになります。自分はもしかしたらもっとできるかもしれない、そう思えるようになる。


【誰もが浴びる最初の教育は「空気」】

そしてね、私たちの周りで常に起こっている教育というのは「空気」なんです。


私たちは生きているだけで、お互いに影響を与え合っています。たとえ自分が教育者という立場になくても。辛い辛いと言った時に大勢の人が優しくしてくれるなら、あんまり辛くなくてもまた言おうかなと思う笑。楽しかったことはまたやりたいと思うし、嫌なことは避けたいと思う。

その「空気」をつくるのに、誰もが貢献しているのです。

この人と一緒にいると元気になるな、みたいな人っていません?
まさに存在してるだけで働きかけられてますよね。


直接出会うことがなくても、何かを買うということは「買ったものが良かった」という言葉であるし、買われた側は活動をつづけられるようになる。買うっていうことも、自分が好きなものを紹介することも、全部相手への働きかけ。


だから、自分たちが触れる一番最初の教育は、「空気」の中にあるのです。


【バカげた妄想が自分の最初の「空気」になる】

教育が自分への働きかけだとして、じゃあ大人になった今、自分の役に立つ働きかけってなんなんだろうと考えてみます。自分がワクワクするための空気をつくるイメージで。


大人になった自分がつくれる空気はまず、妄想じゃないかと笑。

これからの人生、願ったこと全部叶えてあげるよ!と言われたら、何を妄想しますか?


意外とね、大きな家に住んで豪華なディナーを毎日食べたい人ってあんまりいないと思うのです。ロシアのエルミタージュ美術館とかもともと王族が住んでたわけですが、全部屋が金ぴか過ぎて、いるだけでホントに疲れる笑。今の私は、フランスのすごく大きな教会に一人暮らししてるのですが、使うのは小さい一部屋だけですし。

↑2018年6月現在、こちらに一人暮らし(詳細は下記から)
▼フランスの教会La Chartreuse De Neuvilleで一人暮らし~アーティスト・レジデンスで海外短期滞在しよう!

http://mijin-co.me/art_residence_chartreuse/

豪華な料理だって、たまに食べるからすごくおいしく感じるわけで、毎日食べるなら、ごはんに味噌汁にお魚があるくらいが最高って思いますよね。


今の私が好きに妄想するとしたら、作品が世界中でめっちゃ売れるようになって、浅草にプライベートアトリエがあったらいいなぁと思います。世界各地のアーティストさんと仲良くなって、いつでも滞在制作できる環境があったら最高です。そしたら今みたいにレジデンス応募して結果を待たなくていい。海外にアトリエがあったらいいけど、自分の物だとメンテしないといけないから、人のうちを好きに使える環境が一番楽です。応募するのでなく、招待をもらって行けるようになりたい。現地の人と一緒にアート作品をつくって、それが観光名所の一つになるといい。そういうのが世界中でつくれるといいな。そしたらスタンプラリーみたいに世界各地にあるOuma作品めぐり本を出したいね。地元の紹介も添えて。
あとは小説を書いて映画化されたい。それから一緒に旅ができるような家族があったらいい。自分の好きなミュージシャンや俳優、映画監督、アーティスト、小説家、ジャーナリスト、写真家さんたちとプライベートに連絡し合えるくらい仲良い友達になれるといい。うん、最高。


妄想ってしてるだけで楽しいものですが、こうして書き出してみると、今すぐできることもいっぱいあることに気づきます。浅草にアトリエがほしければ、浅草の不動産を調べてみるとか。好きなアーティストのインスタグラムやTwitterを探してみるとか。小説なんかまず書かないと始まらないですからね。


妄想したことの中から、今、できそうなことをやってみる。こんなだったらいいなぁ、ムフフって思えたら、それは自分への楽しい働きかけ。立派な教育じゃないですか。


【今、特に欲求がないなら、それはそれでいい】

早いうちからやりたいことがあればいいですが、私自身が子どもの頃を思い出してみると、自分から能動的にこれをやりたい!と思ったことはあまりなかったように思うのです。本を読むのが好きだったので、本が読みたいなくらい。それでも自分が本を読みたいという欲求が生まれたのは、本が環境があったからだし、おもしろい本を書いた人が世の中にいっぱいいたから。本の存在を知らなければ、読みたい欲求なんて生まれない。


大人になってからも、獣医を辞めたあとは人生の目標を失って、自分がどうやって生きたいかがよく分からなくなりました。アーティストとしての生活は、なりたいという強い欲求があって目指したわけではなく、なんとなく出会った人の縁で始まったこと。最初は半信半疑でしたが、つづけていくうちに自分に合っていると感じ、突き詰めていきたいと思えるようになった。そんなだったので、人生目標が若いうちに見いだせてる人っていいなって思います。


今の自分はアーティストとして生きているけど、誰かの中の「こうだったらいいな」「できるかもしれない」の可能性を刺激するような活動ができたらいいなと思っております。
私が具体的に手助けできることは何もないのだけど、
生き方の一つの可能性として、誰かの小さなアクションにつながったら最高です^^


Oumaの旅記録はこちらもチェック/みじんこブログ
http://mijin-co.me


ということで、今回は教育について考えてみました。

ご一読ありがとうございます^^








著者の小俣 智子さんに人生相談を申込む

続きのストーリーはこちら!

第七章 小さい子を連れて海外でアート制作できるのか~100人の親をもつ子どもについて考える

著者の小俣 智子さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。