【知られざる原宿Cawaiiの闇】元ショップ店員が語る、パワハラや低賃金に怯えたブラックな記憶
芸能人への接客・憧れの東京暮らし・・夢に向けて全力で走り続けた準備期間
ある晴れた日のこと。
眩しいくらいの太陽の下、全速力で高校から帰宅したわたしは
コンビニで購入した雑誌、『Cutie』の新刊を取り出し
ベッドの上でワクワクしながら無我夢中になって読み漁る。
そう、わたしは当時現役のショップ店員として働く、超憧れの読者モデルがいた。
わたしはとにかく彼女の原宿系コーディネートや
ヘアスタイルを真似ることが本当に好きだった。
雑誌を開くたびに周りにはイオンかしまむらしかない
”ど田舎・九州”在住のわたしは
と、毎日ため息ばかりついていた。
両親にも”上京したい”という話はするものの、
と最初は大反対!!
2~3ヶ月間、家出をするほどの大喧嘩をしたこともあった(笑)
説得には高校卒業後、2~3年という月日がかかった。
出来ればわたしの理想としては
19歳くらいから憧れの地、原宿にてショップ店員をスタートし
21歳くらいでトップのカリスマ店員になる・・
という形が最も理想的であったが
わたしの場合、上京&ショップ店員デビューは
自分の”未来予想図”と違ってかなり遅咲きのスタートであった。
しかし、最初は反対していた両親も
夢を諦めずに地元の小さなショップに勤めながら
接客の修行に励んだりと
地道な努力を行うわたしの姿を・・
そう、誰よりも1番暖かく見守るようになっていた。
そんな風に少しずつ、私の夢を一緒に支えてくれるようになったのだ。
とにかく早く上京資金を稼ぐべく、
土日は毎回出勤・多めにシフトを入れてもらったり
昼ご飯は節約手作り弁当を作る等して、出来る努力は全て行った。
もちろん、慣れない接客に時には戸惑いもあったし
もともと泣き虫なわたしは休憩中、当時乗っていた愛車の中で
周りのスタッフに隠れながら頬を濡らすこともあった。
でも、わたしの頭の中は常にこんなことでいっぱいだった。
等々、どんなに辛い試練があろうとも
こういった『マイ妄想ストーリー』が1番の原動力になった。
何より、周りの友人らは医療事務や保育士等安定的な職業に勤めるも
わたし自身、”無難な生活”には一つも魅力を感じることができなかったのだ。
一度きりの人生だからこそ、やれることはやりつくし
キラキラとした夢を常に追い続けていたかった。
そんな大きな野望を抱きながら、
上京への準備を着々と進めていくのであった。
ついに夢の原宿CAWAIIの世界へ~短すぎる幸せと待ち受ける闇~
ようやく上京資金の準備が整い、
わたしは花の都『東京』という大舞台へ舞い降りた。
当時はかなりのアナログ人間、
そして地元でも切符しか扱うことがなかったわたしは
TVで噂になっていた最新ICカード『Suica』を品川駅にて
慣れない手つきで購入したことを今でも鮮明に覚えている。
パンパンに詰めたキャリーバッグを抱えながら
どうにかギュウギュウの山手線へと滑り込む。
『次は〜渋谷〜渋谷〜』
車内から流れるアナウンス。
渋谷駅のホームから見える、ドラマの宣伝広告。
地元では絶対に見かけることのない
ピンク色の髪色の女の子や
大きなヘッドフォンを耳に装着し、
顔面ピアスのバンドマン風の青年。
電車の中だけでもわたしにとって眼に映るものすべてが
新鮮で仕方なかった。
そしてついにわたしは・・
長年の夢であった原宿SHOPの面接にも一発合格し、
住む場所も古着やアーティストの卵が育つ街、高円寺に決まったりと
何から何まで最高のスタートであった。
『生きてるって本当に最高!!』
両親との葛藤、辛かった修行時代を思い返すと
そんなHAPPYな感情を、心の底から余計に感じ取ることができた。
そして初出勤の日・・
著者のMinto Santoさんに人生相談を申込む
著者のMinto Santoさんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます