大槌復興刺し子プロジェクト 「東京チーム」ヒストリー ⑥

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新商品の企画・試作など次の手を打つことができないという

厳しいスパイラルに陥り、結果、かえって経営を悪化させることに。

その一方で、助成金申請のために提出した生産計画が、「月に3,000枚×3ヵ月」という

これまたおよそ現実的ではない無謀なものであったことも後に発覚。

繰り返しますが、これまでのトータルの売上数は、3ヵ月で約800枚です。

この枚数を売り上げるために、どれほど地道な努力があったことか。

当たり前のことながら、「作った分は売らなければ」という大きな課題が振りかかります。

売上枚数からすると、単純計算でこれまでの3.5倍以上の努力をする必要が

出てきてしまいました。

いずれにしても、大量に届いた材料に対しての刺し子さんの数が足りず、

無謀な計画に沿った大量生産をクリアするために

とにかく刺し子さんを大募集することに。

このことが需要と供給のバランスをくずし、

翌年の春に再び訪れる、最大の運営危機への伏線となってしまいました。

この時、東京チームと現地スタッフの間で、

特に用件がなくても近況を聞くなどコミュニケーションを密に取っていれば、

この事態は回避することができていたのかもしれません。

東京チームへの大きな教訓となりました。


[ 2011年10月。刺し子会の充実。そして、名実ともに“大槌発”へ。 ]


そのような内部のトラブルの一方で、

週に一度、毎週水曜日に定例化した大槌の「刺し子会」。

前述したような大量生産に追われる状況下、

買い取ったまま商品化できずに山積みになっていくふきん・コースター。

困り果てた吉野が、立ち上げから参加してくれている古株の刺し子さんに相談したところ、

「それはみんなで手伝うべきよ!」と頼もしい申し出をもらいます。

そして、秋以降、徐々に検品やアイロン、梱包などの商品化作業も

刺し子会の中で行うことができるようになっていきました。

それまではスタッフがかかりっきりで毎週3日間もかけて行っていたアイロン・梱包作業。

それがわずか4時間足らずで完了するようになりました。


検品に関しても、「どこが良くないか、間違いが起こりやすいかわかるから、

全員が経験した方がいいよ」と刺し子さんが自発的に声を掛け合い、

みんなで協力する体制ができていきました。


刺し子会は、初対面の刺し子さん同士が親しくなる場にもなり、

週に一度の刺し子会を楽しみにかよってくる刺し子さんもたくさんいます。


ある日の新規刺し子さん向けの説明会には、なんと17歳から83歳までの女性が参加!

説明会の運営を自発的に手伝ってくださるベテラン刺し子さんもいました。


10月に、京都のテラ・ルネッサンスからスタッフの牧野が赴任。

11月には、卒業した秋田に代わって

青年海外協力隊の活動を終えタンザニアから帰国した鈴鹿も加わり、

新体制が整っていきました。


<遠野事務所の様子。

作業が効率化してもやるべきことは多く、連日、夜遅くまで作業していました。>


そして、プロジェクト立ち上げから5ヵ月を経た2011年11月、

神奈川から発送していた商品のすべてを、とうとう大槌からの発送に移行。


この頃には、刺し子さんたちにとって

「大槌復興刺し子プロジェクト」が一過性の受け身の活動でなく、

どんどん主体的に関わっていくものに育っていました。


<2011年11月の「刺し子会予定表」。

大ケ口(おがくち)の集会場を借りて刺し子会をしていたこと、

新規刺し子さんの募集が盛んに行われていたことがわかります。>



[ 2011年11月。しかしまだまだトラブルは続く。 〜大槌冷戦時代、安定しない運営〜 ]


刺し子会が充実していく反面、運営を移管したものの、

webサイトの更新作業、新商品の企画制作をはじめ、

東京チームが担当していた業務の中には

内容・スキル面からなかなか引き継げないものもありました。


そして、現地スタッフが増えてより盤石な体制に

…と期待していた東京チームが落胆してしまう、さらなる事態が起こりました。


大槌事務所内の人間関係が、あまりうまくいっていなかったことと、

現地スタッフと東京チームの見解の相違です。


ルーツも性格もバラバラの人間が突然集まり、

時間的にも内容的にも密度の濃い時間を共に過ごす…

これは、うまくハマれば問題はないのですが、

ハマらないケースでは非常に厳しい状況を生みます。

この頃は、定例Skypeからもメールの文面からも、

現地のギクシャクしたムードが伝わってきていました。


人間関係でもめている場合ではない、予断を許さない時期。

そのへんはうまくやってくれないものか…というのが

東京チームの偽らざる本音でした。


さらには、「重要なのは復興支援であって、刺し子である必然性は二の次」

とする現地スタッフの考え方と、

「刺し子をビジネスに乗せることこそが、継続につながり支援になるのだ」

と考える東京チームの意見の対立も生まれていきました。


そんな現地のムード。そして地に足の付かない運営。

運営を移管したはずだった東京チーム内では

現地スタッフに対する不信感が募っていきました。



[ 2011年12月。ECサイト導入。 〜運営のフォローと業務の効率化〜 ]


11年の12月にはWEBサイトがリニューアルし、ECサイトがスタート。

9月に始まったAmazonページに続いて、

ようやくWEBサイトから決済ができるようになりました。


< 2011年12月にリニューアルしたサイト。小杉が手がけました。>


ECサイトを導入したことにより、受注から発送までの業務がシステム化され、

現地スタッフの効率が格段にアップ。

時間のかかっていた受注関連業務の引き継ぎも、ようやく完了しました。


お客さまにとっても、カード決済/代金引換ができるようになり、

ようやく便利になりました。

セキュリティもより守られることになり、

手作業で受注から発送までを行っていたこれまでより、

一層プロジェクトとして安心していただけるものになったのでは、と思います。


活動報告や刺し子さんの情報、

また刺し子商品を取り扱ってくださる販売店の一覧など

発信できる情報もより充実していきました。



< 大槌復興刺し子プロジェクト 「東京チーム」ヒストリー ⑦ に続きます >

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