大槌復興刺し子プロジェクト 「東京チーム」ヒストリー ⑦
これにより、コースター、ふきんなど
1種類の商品しか刺し子をしない刺し子さん、
Tシャツに必要なチェーンステッチのできない刺し子さんは
しばらくお休みしてもらったり、ほんのわずかな材料しか渡せない状況に。
このことがキッカケとなり
刺し子プロジェクトを去っていった刺し子さんもいました。
大槌スタッフには本当に辛い状況だったと思います。
刺し子さんを思い奮闘してきた東京チームにとっても大変胸が痛む決断でしたが、
プロジェクトの存続のためには経営を安定させなければならなかったことから、
そこまでしなければならない状況がありました。
同時に、積極的な法人営業も開始。
結果的に、その後長きに渡ってお付き合いいただける取引先にも出会うきっかけともなり、
年内には少しずつ内部留保が確保できるような体質へと改善することができました。
本当の支援とは、一時的に助かったり、良い思いができることではなく、
存続することで広がっていく。
時に痛みを伴う判断をしなければならなかったとしても、とにかく続ける。
そのためには“経営”という根幹をないがしろにすることはできないのだという
シンプルな事実を、プロジェクトスタッフ全員で共有する出来事になりました。
この年の夏には大きなイベントへの出店がありました。
「ap bank fes’12」では、2会場・のべ6日間で140万円という売上を記録。
SNSを通じて楽しい様子を発信していましたし、
実際にとても素晴らしく、楽しい体験でしたが、その内情は切実でした。
全員が仕事を抱えながら、スケジュールをやりくりして販売スタッフ人員を確保、
準備も販売も家族総動員で行いました。
1円でも多く売り上げなければならない悲壮感を隠しながら、
必死でお客さまにプロジェクトの意義と商品の魅力を伝えました。
一方では、各所への支払いを待ってもらったり、
支払い方法を現金から売り掛けに変更してもらったり、
在庫と売上を見定めて一時減産を行ったりと、地道な取り組みも。
そのような、各所の必死な努力と現金収入により、はやくも9月の終わり頃には、
傾き、倒れかけた運営を立て直す目処がついてきました。
その後は反省を生かした運営改善へ。
毎月、生産計画/資金繰り計画/販売予測を共有することもルール付けられ、
久保、五十嵐がNPO法人スタッフに基礎的な経営マインドを伝えるという
OJTが始まりました。
支援プロジェクトから、ビジネスへ。
材料の超大量発注を引き金に、資金不足により運営ストップまで追い込まれてしまった
一連の出来事は、意識改革を含めて、プロジェクトが大きく舵を切るきっかけになりました。
五十嵐がこの時のことを回想します。
「テラに資金を出してもらっているから、という遠慮があったけれど、
それはもうやめて、一度運営を引き取ろうと決めました。
刺し子さんがヒマになってしまうのを避けるのではなく、
自分たちの刺し子商品の売上で回していける事業にしない限り、
長くは続けていけない。
ビジネス的な発想を持とうと。
私がチェックしていたのは在庫量と発送量。お金の使い方。
簡単に言うと、売っている量と作っている量のバランスがトントンになるような管理です。
売上の読めるコラボ商品や、大口発注を見越した生産管理。
過去実績をベースにした売上予測。
でも過去実績と呼べるものはたいしてなかったので、ある部分は感覚にも頼りながら。
管理には、『基準在庫方式』を取りました。
各アイテムの基準在庫を決めて、減ったら足す/減らなかったら作らない。
基準となる数は随時見直す。
はじめの頃は鈴鹿さんときめ細かくやりとりを続けましたが、
数ヶ月で鈴鹿さんがペースを把握して、そこからは安定しましたね」
今だからこそ、五十嵐は穏やかに振り返ります。
「東京チームに心配をかけたくないあまり、
ギリギリになってからネガティブな情報が上がってくるのが辛かった。
『あと1週間早く言ってくれれば…』というようなことも(苦笑)。
でも、結果的にはなんとかクリアできる範囲だったということです。
資金調達の鬼丸さんも、経営改善を担った久保さんも私も、最善を尽くした。
結果オーライだったなと、今は思います」
そして、この出来事以降、すべてが順風満帆…とはいえないまでも、
プロジェクト運営の根幹を揺るがすような危機を迎えることはなくなり、
緊急招集されてのSkypeミーティングも、めっきり少なくなっていきました。
[ 東京チーム、それからの日々。 ]
その後、復興支援の活動を通じて知り合った吉野に強く共感し、
刺し子プロジェクトを応援してくれていた
松尾英尚(まつお ひでたか)さんが東京チームに加わり、
首都圏でのイベント販売において大活躍をしてくれる中心的存在に。
販売キットやブース展示のノウハウ、セールストークも徐々に確立され、
プロジェクトの重要な収入源であるイベント販売もパワーアップ。
自治体の復興支援イベント、地域のお祭りや物産展、
プロジェクトを応援してくれる方が企画・運営するイベント、
そして、音楽イベント・野外フェスティバルとの連携。
時に販売人員の確保が難しくなるほど、数多くの販売の機会をいただきました。
そして、Tシャツに続く新商品の企画をコツコツと進行できたことも、
その後の運営を助ける大きな要因となりました。
とはいえ、刺し子商品のデザイン、ブランディングについても
やはり一筋縄ではいかない局面が多くあったこともまた事実。
商品は、デザイナーの榊原さんからあがる複数の魅力的なデザインの中から、
技術力や刺し子を刺す分量、価格などの制約を再三に渡り吟味して、
たったひとつの商品に仕上げます。
そんな中、「もっと刺し子らしい商品が作りたい」と他意なく言う刺し子さんと、
それに振り回されてしまう現地スタッフ。
百歩譲って刺し子さんはいいとして、スタッフがそんなことでどうする!
商品企画担当の私は、歯痒い思いをすることもありました。
伝統柄を普通に刺して、それが商品として長く売れていくなら、なんの苦労もない。
刺し子産業としては後発で、しかも技術力にバラつきがあり、
生産量の調整もままならない刺し子さんをたくさん抱える大槌刺し子が
事業として存続していくためには、違う土俵で勝負するべき。
そんな中で東京チームが導き出したのが
「伝統柄 × 今どきの色味&デザイン」という“新しい刺し子”の方向性でした。
「復興」の文字が取れた後にも売れ続ける商品を生み出すためには、
著者の澤向 美希さんに人生相談を申込む
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