大槌復興刺し子プロジェクト 「東京チーム」ヒストリー ⑦

3 / 3 ページ

前話: 大槌復興刺し子プロジェクト 「東京チーム」ヒストリー ⑥

商品自体の魅力を高めていかなければならない。

その意識を大槌スタッフ、ひいては刺し子さんにも持ってもらい、

納得して、楽しんで刺し子をしてもらわなければ、きっと長くは続かないだろう。


その考えを理解してもらうことが思った以上に難しく、

遠距離でのコミュニケーション、共通認識を持つ難しさに何度も直面しながらの

商品企画、“大槌刺し子ブランド”の確立でした。



[ 今にして思うこと。〜プロジェクトが続いた理由を考える〜 ]


最後に、ヒストリーの書き手としてこの文章綴ってきた

私・澤向が、これまでを振り返ってみたいと思います。


正直なところ、よく続いたなぁ、というのが本音です。


決して行き当たりばったりやってきたわけではありません。

商品企画、WEB製作、経営、生産管理。

手探りながらも、自分たちの持つ知識を最大限に出し合えば

できると思って始めたプロジェクトだし、その思いは今も変わりません。


それでも、不測の事態、トラブルの連続でした。


刺し子さんやお客さまからたくさんの思いを受け取りましたし、

素晴らしい出会いにも恵まれました。

楽しかったこと、やって良かったと思えたことは数えきれません。

ただ、それと同じくらい大変なことも多かったということは

正直に書き残しておくべきだと思います。


それでも続けられた理由を挙げるならば…

メンバー同士の根底にあるリスペクトだと思います。


久保と私だけは30年来の幼なじみですが、

それ以外は、もともと友達ではありません。

震災があって、何かをせずにはいられなかった初対面の大人の集まりです。


人間関係の小さな(?)トラブルや、意見の食い違いは数知れず。


でも、それを乗り越えられたのは、全員に共通した

「大槌の、東北の復興の一助となりたい」という想いと、

常に「自分の思い」よりも「プロジェクトの継続」が最優先されるべきとした

考え方・行動規範があったからではないかと思います。

このことを、全員がはじめからブレずに持ち続けられたことは、

きっと、ちょっとすごいことだったのかもしれないなと、今にして思います。


そして、それぞれの専門知識・技能に最大限のリスペクトを払い、

その上で意見を戦わせる。

この点は、職種もルーツもバラバラでありながらも

東京チームの4人に共通していたスタンスであり、

そのバランスが、時にギリギリのこともありましたが、

上手に取れていたような気がします。


そして、どうしても書き残しておきたいのが、家族のサポートです。


久保の奥さんはデザイナーを本業とし、プロジェクトのカタログや商品に封入するカード、

イベント販売の際の値札やPOPなど、印刷物を一手に担当してくれています。

お客さまから注文いただく一点もののオーダーメイド商品のデザインを手がけてくれることも。

まだ手のかかる小さい子どもを抱えながらも、毎週末のように飛び回り、

夜な夜なSkypeミーティングを続ける久保を、辛抱強く、温かくサポートしてくれました。


五十嵐、小杉、私の家族も、陰になり日向になり、多大なサポートをしてくれました。

それぞれの子どもたちも、遊びたい盛りの時期に週末のイベントに駆り出され、

時には会場で自由に遊び、時にはもう飽きたと文句を言い、

時には張り切って売り子を手伝いながら、笑顔で関わってくれました。


短期間ならばなんとかできる活動も、これだけの長い期間関わり続けるためには、

自分一人の力ではどうすることもできません。


これまで続けてこられたのも、家族の支えがあってのことです。

この場を借りて感謝したいと思います。



[ 終わりに。〜これからの大槌刺し子へのエール〜 ]


言うまでもないことですが、これは、あくまでも

「東京チームの視点による」ストーリーです。

大槌スタッフには大槌スタッフの、

そしてプロジェクトの主役である刺し子さんには刺し子さんの、

語り尽くせない思いやストーリーがあります。


これを書いている現在、大槌刺し子プロジェクトは

現地で採用されたスタッフと、テラ・ルネッサンスからの派遣職員による運営という

新しいフェーズに入っています。


そして今日も、大槌では、明るく元気な刺し子さんたち、

それを献身的に支えるスタッフにより、刺し子商品が生まれています。


私たちは大槌刺し子プロジェクトの運営から退きましたが、

これからも存続に向けて、地元・大槌町の誇りになるようなプロジェクトを

めざしてがんばってほしいと、心から願い、応援しています。


最後に、久保について書きます。


何かせずにはいられずに、とにかく現地に飛び込んだのが久保でした。

彼が目の当たりにした光景や、被災地を走り回った時間は、私には想像もできないものです。

でも、感情的に、ただ闇雲に動きまわるのではなく、

現地に足を運べない私を巻き込み、自分のアクションを発信して仲間や協力者を増やしながら、

最初から持続性のあるプロジェクトをめざして、

それをゼロから立ち上げました。


そして、あくまでも被災した故郷の人たちが、

自分の力で、今日を生き、明日を生きるための力になりたいという

初期衝動とも言える思いを、最後までぶれさせることなく、

その時々でベストを尽くしてきたリーダーだと思います。

将来、久保に続く人が、臆さずに、その第一歩を踏み出してくれることを願います。


結びとして、私たちのリーダー、久保の言葉を紹介します。


「“いつかまた、必ず、災害は起こります。

この記録が、その時に『何かしたい』と思った人の道標に、

あるいは、きっかけのひとつになっていれば嬉しいです。


機が熟す”ことなんてありません。

だけど、動けば、進めば、たくさんの人が助けてくれます。

だからこう言いたい。

大丈夫、見切り発車ではじめよう。」




【プロジェクト年表:2011〜2012】


最後までお読みくださり、ありがとうございました。

著者の澤向 美希さんに人生相談を申込む

著者の澤向 美希さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。