大槌復興刺し子プロジェクト 「東京チーム」ヒストリー ①

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【Q:ほかのメンバーをどう思っていましたか?】

五十嵐:ある意味、みんな仲間で、みんなライバルだと思っていた。

「三人寄れば文殊の知恵」というように、

それぞれがみんな協力し合っているけれども、

甘えることなく精一杯を出し合っているという意味で。

何か発言するにしても、バカなことを言うわけにはいかないぞという緊張感があった。

それには、勤めている会社から受けてきた教育も役に立っていたと思う。

会社の看板を背負っているという気持ちもあった。

そんな緊張感が、問題や限界を超えていく効果を生んだのではないかと。

まぁ、単に負けず嫌いが揃っただけかもだけど(笑)。



3:小杉 綾(こすぎ あや)

当時の本業はシステムエンジニア。通称・エース。

宮城県仙台市出身。震災当時、29歳。神奈川県在住(当時)。


震災時、小杉は会社で仕事をしていた。

仙台に住む両親とはすぐに連絡が取れたが、祖母との連絡には時間がかかった。

Googleの安否情報登録ボランティアをしながら、祖母や友人の情報を探す中、

なかなか連絡がとれずにいた沿岸在住の友人の無事を知る。

友人の安否情報に添えられていた

「地元の復興のために尽力なさっています」という言葉に心打たれる。

「遠方に住む自分にも、何かもっとできることはないか」と

エンジンがかかった瞬間だった。


できることを探し、調べている中で「ふんばろう東日本」を知り、

第1回目のミーティングに参加。

4月末には5名の物資班を組んで岩手県大船渡市へ入った。

そこで、「ふんばろう〜」のミーティングで面識のあった吉野と出会い、

「大槌に移住するから後方支援をしてほしい」と言われOKしたことが、

プロジェクト参加のきっかけとなる。


刺し子プロジェクトでは、主に材料の発注管理や

オフィシャルサイトの構築・運営管理を担当。

他にも、SNSでのきめ細かい情報収集・発信や、

立ち上げ時に大槌の避難所で開催した「刺し子説明会」の実施、

初期における刺し子糸・材料仕入れのパートナーである

「本舗飛騨さしこ」との協業のきっかけづくりなど、

持ち前のフットワークの軽さと機転でまさに“エース”級の活躍をし、

プロジェクトの基盤を築いた。


線の細さと裏腹なタフさも持ち味で、

イベント販売でも、他のプロジェクトとの人脈を形成しながら

刺し子プロジェクトの認知度アップに多大に貢献。


【Q:ほかのメンバーをどう思っていましたか?】

小杉:基本的に、打てば響くメンバーだった。

いろんなことが仕事よりも全然早く進んで、

それがとても心地よく、楽しかった。

常に、「次に必要なものはなにか」と考えながらやれていたし、

東京チームのメンバー間において、

コミュニケーションのストレスを感じることがなかった。

会社勤めの人間とNPOで活動している人間とのやりとりでは

異文化交流のようで戸惑うことも多かったが、

そういう時のまわりの人間の接し方など、本当に勉強になった。

一人ひとりの強みが違って、経験も違うので、

「チームとして死角がない」と感じた。役者が揃っているな、と。



4:澤向 美希(さわむかい みき)

本業は音楽コーディネーター。

岩手県岩泉町出身。震災当時、37歳。神奈川県在住。

久保とは岩泉保育園の年長からの幼なじみ。1児の母。

そして、このストーリーの書き手。


同級生の約100名が同じメンバーで保育園〜小学校〜中学校までを過ごすという、

岩手の片田舎で育つ。

震災時、2歳半になる娘がいたため、故郷に駆けつけることができずに、

もどかしさを抱えてただ呆然としていた澤向の元に、

久保から「岩手に行く」と連絡が入る。

「手伝いたい。できることはなんでもやる」と伝え、

それから昼夜を問わずに後方支援としてサポートする日々が始まる。

同居する両親、起業して同じ会社で働く夫の全面的なサポートを受け、

プロジェクト立ち上げ初期の多くの時間を活動に割くことができた。


刺し子プロジェクトでは、主に商品の企画・制作進行を担当。

旧知のグラフィックデザイナー、グッズ制作会社と

現地スタッフをつなぎ、商品化を進めた。

また、現地に発送作業を移管するまでの期間、

自宅にて商品化(洗濯・アイロン・梱包)と発送作業のすべてを行った。


【Q:ほかのメンバーをどう思っていましたか?】

澤向:普段、偏りのある業界に生息して、

その中での共通言語を武器に仕事をしている私にとって、

東京チームのメンバーはこれまで出会ったことのないような種類の人たちで、

本当に刺激になった。

一言で言うと、みんなとにかく優秀。

専門分野に長けていて事務処理能力も高くて、でも、

くだらないことで笑えるユーモアもあって、楽しみ上手。

だから、数字に弱くて難しい話になるとモジモジする私でも、

そんなに居心地の悪い思いをしないで済んだなと(笑)

「こんな歳になって、ルーツもバラバラな人間が突然出会って、

でもこれほどいい“チーム”が組めるんだな」と、

何度も感嘆したのを覚えている。

出会えて、同じ目標に向かって突き進めて、ラッキーでした。


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【第0章:震災から2ヵ月間。

 大槌復興刺し子プロジェクト、発足前夜のお話。】



[ 2011年4月。久保、故郷の岩手へ。 ]


2011年3月11日、震災発生。

そして4月。



活動のきっかけを作ったのは、岩手県岩泉町出身で、

現在は東京でイベント制作の仕事をしている久保光義でした。



久保が、保育園以来の幼なじみである私・澤向美希と、

震災を機にTwitterを通じてやり取りを再開。

そんな中で、久保が「岩手にしばらく行ってくる。手伝え」と

相変わらずぶっきらぼうなメッセージを送ってきたのが、

震災3週間後のことでした。

故郷の惨事に「何かできないか」という思いを抱えながらも

神奈川在住で子どもが幼く、身動きが取れずにいた私は、

協力したい旨を即答しました。

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