今もRX-7とともにいる           

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納車の日 まず向かったのは職場

 今日から FDを駆ることになるにあたり

  自分の背中を押してくれた彼に それを見せるため

 彼との出会いがなければ この車に乗ることはたぶんなかっただろう


自分の中でくすぶっていた想いを払拭してくれた彼 

 『これを見たらどんな反応してくれるんだろうか?』

 『喜んでくれるのか?それとも 何の反応もないのか?』

期待と不安が入り混じるなか 施設のエントランスに乗り付け彼を待った


しばらくして 同僚が車いすに乗った彼をつれて現れた

何が起こっているか?彼は状況が理解できていない様子でいた

目の前にある車が あのカタログにあった車だという認識もないようだった...

自分
このクルマ ロータリーエンジン積んでますよ
エンジン 見てみますか?

自分も初めてボンネットを開けてみた

 そこには 真っ新の走行距離数十キロというエンジンが収まっている

これは なんだ?ずいぶんごちゃごちゃしているなぁ

補機類がロータリーエンジン本体を覆っているエンジンルームをみて

弱々しい声で彼がつぶやく

 その声は 数か月前に メカニックのことを熱く語っていた力強さは失っている


自分
これが 現在量産されているロータリーエンジンですよ
そうなのか
自分
今 エンジン かけてみますね


  新車のエンジンはセル一発で目を覚ます

これは.... レシプロの音ではないな

この一言は これまで彼と過ごしてきた時間が 

悔いのないものであることを確信させるには充分

ローンを組んでまで FDを手に入れたことへの最大の祝福だと思えた

自分
乗ってみますか
あぁ

最近は自分で体を動かすことすら減ってしまっていた彼が

 FDの助手席へ彼を介助しようとすると 自分で動こうとする意識を

萎えてしまった筋肉に伝えようとしているのがわかった

その身体の一部には関節の硬縮や変形も認められる状態

タイトなFDのキャビンへは介助があっても乗り込むことは容易ではない
 それでも 自分で体を動かして乗り込もうとする
手を貸しながらなんとか助手席にもぐりこむように着座したが

FDのタイトなキャビンは彼がくつろいで乗車することを許さない


四苦八苦しながらも やっと シートベルトを装着

 施設の周囲を数キロドライブし 

  ロータリーエンジンの鼓動を体験してもらった


 『それは彼にとってどういうことだったのだろうか?』

 『なにか 彼に与えられたものはあったのか?』


 ドライブは終始無言 話しかけても反応はない

 乗車を終え 「どうでした?ロータリーは?」 

 と 問うても 明確な返答はなく....

そんな様子から 彼の本当の思いを計り知ることはできない
だが 乗車中の彼の様子 それは きっと愉しんでくれたものだ 

と 信じることにした


その日からも 彼の状態は快方へ向かうことなく

徐々に 人生の終着へ向かっていることは 客観的に感じられていた

  日に日に話をする内容も単語程度になってゆき 

    コミュニケーションは失われていった


 それと同時に 二人でいじっていたエンジンも放置され

体調の優れない彼はまた入院した


 それから数ヵ月後 

  彼は天へ召された


今でもFDは自分と共にある

 彼のしてくれた話 結局は家族にその真偽について最終的な確認も取れず

  彼とともに それは自分の前から消えた 


真偽はどうでもいい 


  あの時 自分はそれを信じ その時間を共有した事実 

   そして 形として残ったFD 

  それは 自分でしかできなかった仕事への証

  それは アイデンティティでもあり 今の仕事を続ける意味を

   強烈に植えつけてくれたきっかけとなって今もともにある

 こんなことがなければ 今の仕事  

    何度 心折れることがあったことだろう


介護の仕事は大変だ  身体的にも精神的にもきついことは往々にしてある

介護職員の離職率の高い理由はここにあるのは間違いない


そんな中でも 自分を支えてくれたのはこの出会いと経験 

職業としての誇りを与えてくれる出会いが今をつくっている


介護の仕事に限ったことではないが

やりがいは 与えられれるものではなく みつけだすこと 
それを まざまざと思い知らせれたエピソードとともに
FDがある暮らしは今月16年目を迎える

これまでこのマシンがもつ走行性能を引き出しきって走れたことなどない

 



走行性能の向上を至上とし進化してきたRX-7

 今でも第一線級と呼んでも差し支えないであろうポテンシャルを持っており

その生い立ちからすれば 

自分のようなドライビングスキルの低いオーナーに所有されてることを 

  申し訳なく思ったりもしている 

 だが 自分的に感じているそのデザインの秀逸さは 

  月日が経っても 色あせることはなく

  むしろ 今のほうが艶かしくさえ思える


こういったことのすべてが FDへの愛着を連綿としたものにしている


前回の車検時 思うところがあって 一度 手放そうかと考えていた 

FDを維持し続けること それは

はたから見れば ただの道楽 にしか見えないのだろう 

自分
FDだそうかな....

家族に漏らした一言を妻だけでなく 息子も娘も一蹴した

家族にも ここまで細かい話はしたことはないのだが

うちのFDには Specや損得などだけではとうてい語れない 

  自分にとっての存在価値がある

ということを 自分だけでなく 家族もわかっているということなのだ


こうして 理解に支えられている今 それにはあまえておくのも悪くない

いましばらく ダメな乗り手に付き合ってもらおう


いつまで乗り続けていられるのか?


それを今 深刻に考えることは 意味がない

気になる車があっても FDに乗れば その迷いは簡単に消える



FDをおりる日

 それは 自分の身体的な限界か と漠然と思っている

  最近 目がついていかない不安があり人生初のメガネを作った

 この次のステップが そのときになるのかもしれない.....






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