元心臓病のホームレス少年が カリブ海に住むようになった3つの理由

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第1話 渡米までの道のり


1982年 4月 25日
少年が生まれたのは 長野県の片田舎 人口2000人程度の過疎化が進む農村だった
保母の母 サラリーマンの父の間に生まれた平凡な家庭の長男として
日本のチベットや陸の孤島とも揶揄される農村で少年は幼少期を過ごす


丸々と太っていてボンレスハムに似ていた事から ボンちゃんと呼ばれ 
愛情をたっぷり受けて育っていった


幼稚園では 大人になったらどんな人になりたい? という質問を受け
級友が ケーキ屋さんとか お花屋さん 等と答える中で一人


俺は弁護士になりたい と言い放って周囲の大人たちを驚かせたりもした



村の小学校に進学すると 早速辛辣ないじめの洗礼を受け


靴や筆箱が水槽に沈んでいたり クラスに戻ると机に落書きをされている事等は日常茶飯事だった



幼いながらも その状況を打破しなくてはいけないと思い
クラスの男子生徒を相手に 
犬にかまれて腕が包帯でぐるぐる巻きだった状態にも関わらず喧嘩を仕掛け 
ある程度シバキ上げる事に成功した少年を
翌日から虐める人は皆無になった



そんな少年の心を揺さぶり その後の人生を大きく変える切っ掛けとなった出来事は


湾岸戦争だった 


ペルシャ湾沿岸で スカッドミサイルが飛び交う中 必死にその状況をリポートする日本人リポーターの姿を見て


自分もいつかは海外に行きたい 危ない場所を見たい そして真実を伝えたい
自分もリポーターになりたい という気持ちが沸々と沸き上がり
次第にその気持ちを抑えきれなくなっていった


やがて情報を仕入れるという作業が楽しくてたまらなくなり
小学校では読書に勤しみ 図書館を3つも掛け持ちして 家族名義で本を借り
1か月でハードカバーを100冊読破するような少年となっていった


ファンになった海外の作家にファンレターを送り 返事が返ってきた時には 飛び上がって喜んだ


情報を仕入れていく中で リポーターの原稿には TV局のスポンサーによる意向が強く反映されてしまう事を知り 少年は愕然とする


自分の言葉で 誰にも脚色されずに メッセージを伝えたい
歪んだ真実を伝えるような大人にはなりたくない


そう思い始め 少年は自分の夢を リポーターから 
フリーランスの国際ジャーナリストになる事に変えた


フリーランスであれば 局や新聞社のカラーに染められることも無いだろうという理由だ



そしてなによりも 自由を連想させる フリーランスという言葉が気に入ってしまった



自分のメッセージを脚色されないように多くの他人に伝える方法は何か
熟考した結果導き出した答えは


英語を学ぶことだった


世界で一番使われている言語は英語
その言葉を駆使できるようになれば
自分の日本語が翻訳者によって歪曲されてしまうリスクも無くなるし


何よりも世界中の人とコミュニケーションをとる事が出来るようになる


そうなればジャーナリストとして 世界の様々な場所に出かけて行って仕事が出来る筈だ



そう考えて両親に頼み込み 英語の塾やキャンプに通い
スピーチコンテスト等にも積極的に参加するようになっていった


中学校に進学する齢になると
海外への憧れはさらに強まっていく


帰国子女の友人が出来た事でさらに具体的なイメージが浮かぶようになり
洋楽のCDを貸し借りしたりしながら
海外、特に世界の中心であるアメリカに思いを馳せる様になっていった



そんな時
夢と希望に満ち溢れていた少年を突如襲ったのは
強烈な胸部の激痛だった


中学2年生のプログラムである 西駒ケ岳への登山の途中
6合目に差し掛かろうかという時に


呼吸が出来なくなった



背中にまで及ぶ胸部へ ナイフを柄まで刺したかのような激痛が繰り返し襲い
口を開けると 自分の心臓の鼓動が ドラムのように聞こえてくる



異常を察した教師は救急車を呼ぼうと奔走するが
2000メートル級の南アルプス山中で携帯の電波は届きにくい


教師が持っていた携帯は全て繋がらなかった


胸の痛みはさらに増していき 意識を維持するのさえも困難になってきた状況で
別の登山ルートから不意に現れた個人の登山客が偶然にも携帯を所持していて
たまたま彼の携帯は微弱な電波を感知し、救急車を呼ぶ事が出来た


しかし救急車が近づける最短の距離はどう頑張っても1合目だという
教師に担がれながら 再び下山をする事になり
更に浅くなっていく呼吸が途切れがちになる頃に 1合目に辿りついた


救急車に担ぎ込まれると
運転手が開口一番 あー また高山病だね サイレン消しとくよー
といい けたたましいサイレンのスイッチを切った


少年の意識は朦朧とし始め
病院に担ぎ込まれるともはや言葉を口にできなかった



医師たちは運転手同様 高山病であるので 家に帰って静養するように と伝えてきた


帰りの支度が整い いざ病院を後にしようとなった時に 検査室のドアが開いた
現れたのは若い看護師


少年の様子を見て
恐る恐るながらも進言する看護師


先生、少し様子がおかしいので 血液検査をしたらどうでしょうか



医師はひと時の沈黙の後 


じゃあ採っておけ


短い指示を出す



血液検査の結果は 高山病では無かった
血中で発見されたのは 大量の死んだ細胞


それがどこから来ているのかを探る為に 
直ちにCTやエコー等の追検査を行うと


心臓に重大な疾患が発見された
心不全と不整脈 そして左心室中心に広範囲に渡る心筋炎だった



校長と教頭 そして両親が病院へ呼ばれ 緊急事態である旨を説明される
予断を許さない事態に 母親は顔を覆った


なんと左心室の半分が ウィルス性と思われる心筋の炎症によって 壊死を起こしてその死んだ細胞が血中へ大量に流れ出していたのだ



日本でも心臓外科の分野では権威と呼ばれている医師がその病院には所属していた
しかもそれは母親の幼稚園での教え子の親というおまけつきだった


学校から遠く離れた病院だっただけに 奇妙な偶然の連続に少年は頭を傾げていたが



周囲は一刻を争う事態に 騒然としていた


両親は医師から ウィルスを殺す為に免疫を落とす薬物を投与しなければいけない旨を説明され、 その為には実印の押印とサインが必要だと迫られた


命がつながるならと 書類にサインをしハンコをおした


その薬物は一時的に免疫を下げるような代物ではなく
一度の投与で一生涯 免疫が健常者よりも弱くなってしまうという恐ろしい副作用を要する物だった


的確な判断と迅速な治療が功を奏し 少年は命を取り留めた




医師は車椅子に乗ったままの少年を呼び出し
落ちついて聞いてほしいと語り始めた


医師の話を要約すると
あと1時間病院への到着が遅かったら 命を失っていたかもしれない
今後障碍者として生きていくことになるが 生きているだけで感謝するように
車椅子から起き上がれる見込みは未知数で 限りなく低い


との事だった


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