オンラインゲーム(MMORPG)と共に生きた10年 その1

次話: オンラインゲーム(MMORPG)と共に生きた10年 その2
私がオンラインゲームを知ったのは1998年頃のPC雑誌だかだと思います。
元々は光栄の信長の野望シリーズとかを、電話回線とかで繋いで遊べたらいいのにとか思ってた時期があって、
パソコン通信なるものの存在を知ったときには、そういうものが早く現実になるように夢見ていた時期もありました。

オンラインゲームは、その時雑誌で見て
とうとうここまで来たかという感じでした。
「ウルティマ・オンライン」

しかし、私の家にはインターネットはまだなかった。

初めてのオンゲ

初めてオンラインゲームをやったのは、
SonyのブランドであるSCEIが運営するCGIベースのWEBゲームでした。
タイトルは忘れましたが、掲示板を国として設定してあって、行き来したり、モンスター倒したり、チャットしたりできた記憶があります。
やがて我が家にもADSLを引ける事になり、
そのゲームがサービス終了になったこともあって、
しばらく議論系掲示板に引きこもっていたのですが、
愛用のPower Macさんがご臨終なさって、5年ぶりくらいにWindowsマシンを組む事になりました。
Windows98 Second Editon
AMDの700Mhzでメモリーも64MB積んで 
グラフィックカードは3Dも一応対応なMillenium400を積んだ。
HDDは10GBとかだった気がする。

そのスペックでなら、ウルティマオンラインが出来る!という事で、
初めてオンラインゲームのパッケージを購入しました。

ネット暦2年

1999年7の月。
我が家にISDNが引かれてすぐにホームページを投資なしで作るという
初心者にはハードルの高い事に手を出す。
そして、「ご近所さんを探せ!」というサイトで、趣味や羅いろいろな仲間を探しては、
20も30もサークルを作って管理運営してたりしました。

星の数ほど作っては潰れて、でも5つくらいは恒常的に、そして中堅よりは少し大きいサークルをやれていました。

他にも政治や歴史とかを語る議論系の掲示板にも出入りしてましたが、2ちゃんねるは嫌いでした。

はじめてのUO(ウルティマオンライン)

そんな私は、グループを運営するというのが好きなのか、性分なのか・・・。

UOを初めて最初の出会いは、
ボランティアプレイヤーによる、初心者サポートプログラムと、初心者の町ヘイヴンでありました。
コンパニオンと呼ばれるベテランプレイヤーの人々によって、
この世界の初期の案内や質問サポートなどが行われていて、
未知の世界に降り立っても孤独に放りだされたままではなく、
彼らを通じて仲間の輪も広がり、プレイヤーとしての知識と経験、そしてプレイヤーとしての心構えみたいなものも教わりました。

都合300時間そこにいれたのは、バグのせいらしい。
初心者タグが付いたまま、コンパニオンもどきとしてヘイヴン生活を限界まで満喫したあと、
そこを卒業すると同時にコンパニオンに申し込んでいました。
前例がなかったそうです。
ただ、コンパニオンより上位の役職への応募条件が、300時間以上のプレイ経験と、
豊富なプレイヤースキル、初心者サポートに対する情熱みたいな事が欠かれていたと思うのですが、
奇しくもしちらは「実績」があったので、現職及びチーフコンパニオンからの「推薦」まで付いて、異例のコンパニオンに就任する事になりました。

初心者のサポートは楽しい。
巣立っていく彼らがいっぱしの冒険者となり、自分より強くなる姿を見るのは嬉しい。

自分のギルドも順調に育ち、仲間も大勢できて、
ワールド内で10位以内にまで入る大規模ギルドになってきました。

しかし、思い知る事になったのは、
キャラの強さ=中の人の人格の出来 ではないという事です。
私にしても25歳でしかなく、
ギルド内の年長者でも30歳とかでした。
30歳がすごく大人に見えていました。
今から見ると、まだまだ子供ですわな・・・。
だから仕方なかったのかもしれない。
私も含めて、みんな遊ぶ為にINしてたわけです。
しかし、ギルドマスターは毎日INしていなければならないだとか、
ギルドマスターはメンバーのためにイベントを企画運営しなければならないとか、
ギルドマスターはトレジャーハントイベントを指揮しなければならないとか
ホームページの設計・管理・運営もきちっとやれだの。
そんな事を要求として突きつけられて吊るし上げられると、
いや、私だってプレイヤーの一人だよ?
ギルドマスターって仕事でやってんじゃないんだよ?
サービス業で対価を貰って役務提供しているんじゃないんだよ?
という事をですね、叫びたくもなるわけです。
まあ、それ言った結果、4時間もサーバ内で15人くらいに囲まれて吊るし上げ食らいましたがね(笑)

たかがゲームといえども、派閥とか、権勢欲みたいなのはある。
だから、大手ギルド内でもそうして分裂したりする事もあるのだと思う。
結局事前に根回ししてたのか、彼らは彼らで揃ってごっそり抜けて自分らのギルドつくって楽しくやったみたいです。
私は言われたとおり、サービス終了してしまったツリー式掲示板に変わるものを、
レンタルでなく自前設置する為に似たCGI探してきてPerl改造する為に徹夜してました。
そして、祖母が自殺するという不幸に心身ガタガタになった所に、夜携帯にニュースが飛び込んできた。
2001.09.11 同時多発テロ発生。

なんか全然関係ない事件だったけど、私の心も折れた。

ギルド閉めて、UOから離れた。
そして、知り合いのギルドが浮気してたLinageβテストへ。
2001年の9月から11月にかけては、知り合いギルドメンバーと共に、CGIのゲームに没頭してました。
その流れでLinageのβテストに参加するという形でUOから離れていく。
それなりに面白かったり、サポートの反応が神懸かっていたので大好評のうちにβテストが終了したのですが、
課金金額の折り合いが付かなかったのと、β期間が長すぎて満足してしまったのとで、
2002年2月13日だかそのへんでキリよく止めて、しばらくはネットゲームをしないつもりでした。

が、ご近所さんを探せのサークル仲間からラグナロクオンライン(RO)を誘われて、
そのβテストに参加してみたりと、時々つまみ食いはしつつも、
資格取得でリアルの方が忙しかったりしました。

そうこうしているうちに、ファイナルファンタジー11の正式サービス秒読みのCMが出てきて、
そのCMにやられて、サービス開始の二週間前に伸び伸びになっていたADSL開通のお知らせが届き、FFをやる環境が整ってしまった。
そして、SCEIのショップサイトを見ると、HDDもFF11のソフトも、USBキーボードも在庫ありとなってる。
勢いで注文してしまった・・・、そして2週間を待たずに届いてしまった。

FinalFantasyⅪ

また一人で新しい世界に降り立ってしまった。
UOは2Dの世界でしたが、FFは3Dの世界です。
初めて降り立つヴァナディールは
オフラインゲームの様に多彩な表情を持っているけれど、たくさんのほかのプレイヤーが息づく世界。
街路に並ぶ露店の数々、飛び交う商売の叫びのログ。
チャットログが流れるから連呼するな静かにしろというクレームなどなど、
そこはまさしくフロンティアであり混沌としていた。
ヴァナディールの世界は、魔王が復活し、獣人と戦争が起きているという世界でした。
そうしたバックストーリーがあるので、必然的にロールプレイとしても熱いユーザーが集まるところには集まる。
ギルドに変わってリンクシェル(LS)というツールとシステムがあって、
そこは「Reconquista」と言った。
街頭で叫ぶ彼ら。
砂漠まで集団で攻め入る冒険に出ようという呼びかけでした。
初めての集団パーティ。Allianceと呼ばれる、パーティx3の大編成。
遠征軍を指揮するのは、β組。
キャラレベルでは推し量れないプレイヤースキルを持った勇者達だ。

楽しく突き進み、仲良く全滅して帰ってきた私たちでしたが、
その御縁から新しいLSを立ち上げ、LSマスター同士としてお付き合いしていく事になる。
UOでの悲しい経験から、私はよりフラットな関係を求めて、
完全合議制の運営を心がけた。
反面レコンキスタのほうはカリスマリーダーが支える大きなLSでした。
しかし彼が引退したときに分裂、衰退の道をたどる事になりました。
ウチは今度はパーティ単位で派閥が細分化され、小集団の連合的な位置づけになっていました。
いくつかの男女関係のもつれから離脱者も出しつつ、
やはり、掛け持ちを禁止しなかったことで関係が希薄化し、衰退していく事になりましたが、
UOの初期の時同様、強烈に慕い続けてくれる一部の人々が、
その後引退しても6年ほど、私の機関を待っていてくれましたが、結局本格復帰する事はなかったです。

どうも5・60人程度なら良いけれど、74人くらいを越えたあたりから統制のタガが外れてくるようだと自覚したのはこのときです。

衰退ギルドでの楽しみ

かつての大手。かつての栄光?
そんなものは犬にでもくれてやればいい。
そんなことより、衰退してもコネクションは生きている。
そして私は、今も昔も変わらず、初心者にこの世界の楽しみを伝道することでした。
ただ、FFの残念な所は、強烈な職業差別にありました。
使える職とそうでない職に差がありすぎて、
あぶれている職のプレイヤーは何時間でもパーティ待ちをしなければなりませんでした。
あるとき、その見捨てられた職の人3人と私で適当に、勢いでパーティを組んでみた。
「ダメな子だとか言われてるけれど、それは定石にハメるからあかんねん。」
「ダメな子にも五分の魂があるって事を見せ付けてやるか~w」って
レベル上げに出かけたのが朝の4時。
これが笑えるくらいの高効率で稼げて、組み合わせが惜しいので昼間で戦い続けら結果、
その狩場での適正レベルを軽く超えてしまった。
仕方ないので次の狩場にステップアップ、数時間で更に次の狩場へ・・・。
さすがに12時間戦い続けたのは無謀か・・・と、遅い昼ご飯を食べると同時に、
一人抜けるという事で補充を探す。
どうせあぶれたメンバーで構成されたPTです。
補充もあぶれた子でいいじゃないってことでスグ埋まる。

再出発してもやはり高効率。
気付けば夜の8時、補充要員が抜けて、更に補充交代。
0時までそのメンバーで戦い、さすがに次はもうないよなー・・・とかいいながら、
試しに一声だけ募集を書けたら即答で決まってしまい再出発。
半分寝オチしながら狩場移動なんかもしつつ、気付けば朝日もまぶしい7時過ぎ・・・。

え~・・・、一週間分のレベル上げを26時間ぶっ通しで戦い続けた結果に達成してしまうという変態廃人をやってしまいました。
しかも、ダメな子認定されていた新職メンバーで。
もちろん、後のアップデートで必須職とかになれた職たちなのですが、
当時はまだ・・・。


なんでも創意工夫で楽しくしようと思えばできるんです。
それをするのが、プレイヤースキルってもんじゃないでしょうか!

と、当時はのたまっていました。



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