自分らしくを大切にする人生 その6 ~人生初、突然やってきた挫折。救急車で搬送され、仕事ができなくなって気付いた、「自分を大切にする」こと。~

1 / 2 ページ

前話: 自分らしくを大切にする人生 その5 ~受け入れてはもらえなかった、父と母へのカミングアウト~
次話: 自分らしくを大切にする人生 その7 ~自分を大切にするためにJICA職員を辞める。そしてガラクタ整理との出合い。~

北海道大学時代にカミングアウトもでき、親にもカミングアウトをし、ゲイとして自分らしく生きていたつもりの僕でしたが、30歳を過ぎてある日突然大きな挫折をしました。


20年前に北海道大学に入学した僕。




それが今こんな自分。


隠れて、暗くて、むすーっとしていた僕が、

こんな風に明るくなれたのは、

もちろん、ゲイという部分を受け入れられるようになったから、というのもあります。


幼稚園のころから周りの男の子とは趣味が違って、女のことばかり遊び、

小学校の頃も女のこと一緒。ある日それが「変だ」と同級生に言われたことから、傷つき、自分の素の部分を抑えはじめ。

中学高校大学と、本当は同性が好きなのに、異性愛者のふりをして、まわりにばれないようにばれないように隠れて生きていた僕。

そんなふうにしていたらあんな冒頭の写真になっちゃったわけですが、

大学時代にカミングアウトも出来て、自分のゲイである部分も受け入れられるようになって、ずいぶん自分を認められるようになった僕。


しかし、それだけで今の僕になれたか、というとそんなことはなくて、一つの大きなきっかけがあったのでした。それについて今日は書きたいと思います。


僕の人生を180度変えた、人生で一番大きな出来事です。




北海道大学大学院文学研究科で修士号をとり、その後、JICA国際協力機構という国際協力を行う日本の政府系機関に就職し、働き始めました。


JICAでは開発途上国で行う支援プロジェクトを担当して大きな仕事を動かし、

その後転勤になった沖縄では、開発途上国からやってくる研修員たちの研修事業を担当して、分野も環境分野だったため、西表島に行ったり、マングローブやサンゴ礁のことを視察したりと、

周りから見ればうらやましいと思うような仕事をしていました。

JICAは倍率も高く、国際協力をしたいと思う多くの学生達が是非入りたいと思う機関。まさか僕が入れるなんて思っていなくて、周りからも「すごいねー」とよく言われていました。


それが、30歳を過ぎたある日の朝、異変がおこりました。

全く予兆もなく、突然やって来ました。


朝目が覚めてベッドから降りてまず最初の異変に気づきました。

目は開いているのですが、平衡感覚がないんです。

まるで頭を左に傾けているかのように、世界が左に傾いて見えるのです。まっすぐ立っているのに。


僕はその当時立ちくらみがよくあったので、最初は軽い立ちくらみだろうと思って、そのまま無視して、いつも通りシャワーを浴びることにしました。

しかし、シャワーを浴びていても全く治らないのです。

世界は左に傾いたまま。目を閉じてシャワーを浴びると、倒れてしまいそうなくらい。


「え?どういうこと???」


と一気に混乱し始めました。

こんなこと人生で起こったことがなかったのです。


シャワーを終えても平衡感覚がない状態は続き、座り込んでしまう僕。

身体に詳しい友人にすぐ電話をして、症状を説明したところ、すぐ病院に行ったほうがいいと言われました。


とはいえ、その日僕は大切な仕事がありました。

ある沖縄県内の学校で講師として呼ばれていたのです。僕が行かなくてはいけない仕事。

なんとか治らないかと少し時間をおいたものの、無理でした。


そこで救急車に電話をかけました。

これも人生で始めての経験です。

電話に出た方に、症状を説明した僕。

でも混乱していて、

「こんな状態なんですが、救急車を呼んだほうがいいでしょうか?」

と聞いてしまい、

電話の向こうの方も、

「自分で病院にいけそうにないなら救急車を手配しますが、ご自身ではどう思いますか?」

と聞いてきて、僕は判断が出来なくなり、

「とりあえずそこまで深刻でもないかもしれないから、自分で病院に行ってみます」

と電話を切りました。


すぐに仕事の関係者に電話をし、事情を説明して講師の件をキャンセル。
申し訳ない気持ちでしたが、とにかく自分の身に起きている状況が全く理解できず、ほぼパニックのような僕でした。


そのまま外に出て、近所のかかりつけの診療所まで行くため、タクシーを拾おうと歩き出した僕だったのですが、

もう一つ異変がやって来ました。


今度は、左半身がしびれ始めたのでした。

頭の先から、足のつま先まで、

見る見るうちに、左半身だけしびれたのです。


動かないわけではなく、ゆっくり動かせるのですが、明らかにしびれていて、ちょっと麻痺しているようなそんな感覚。


僕はもっとパニックに。

平衡感覚がない、半身麻痺になる、

という症状は、テレビ番組などで脳梗塞の症状だというのを見たことがあり、

「僕は脳梗塞になってしまった」

と思ったのです。


どうしよう、死んじゃうのかな?このまま倒れるのかな?

病院にたどり着けるかな?


脳梗塞だったら後遺症が残って、僕一生何かの障害をもって生きなきゃいけないのかな?

実家の岡山に帰らなくちゃいけなくなるのかな?

もう人生終わりだ。


そんな気持ちになって、

気付くと目から涙がどんどん落ちてきていました。


こんな経験、人生でしたことがなかったので、ただパニック状態の僕。

なんとか大きな通りまで歩き、タクシーを拾って、診療所までたどり着きました。

診療所につくとすぐに先生が診てくださって、症状を説明したところ、

「救急車を呼びますから」

と言われました。


その診療所では対処できないということでした。


そして僕は人生初めて、救急車で運ばれていくのでした。

その先は沖縄でも一番大きな病院の一つの総合病院。

救急車のタンカーに横になり、不安な気持ちいっぱいでその総合病院に運ばれました。


その病院に着いて、救急車の扉が開いたとたん、

5~6人の方が一気に現れ、僕の身体をチェックし始めました。


ある人は僕の脈や血圧。ある人は膝をたたきながら反射チェック。

目に光を当てる人。

そして僕の服を脱がせ、診察用の衣装に替える人。


たった数分の間にめまぐるしく人が僕の身体に触ったり、服を着替えさせたりして、

気付くとMRIに。

そして血液検査。


全てのチェックが終わり僕はどこかの部屋で結果を待つよう待たされました。

そしてあるお医者さんが入ってきて、僕に病状を説明しますということだったのですが、

言われた言葉は、


「精密検査をしましたが、脳にも血液にも一切異常はありません。」


著者の竹内 清文さんに人生相談を申込む

著者の竹内 清文さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。