元親友 23年目の終止符から…1条
23年..親友だった。こう書くと、書いている私は相当 年齢が…と思われる方が多いかと思いますが…元親友に出会った歳は15歳。まだ、世の中の事が右も左も把握できない様な歳でした。元親友は20歳。私より5歳年上でした。出会いは省略しますが--とても5歳年上とは思えない程、あどけない行動から息統合しました。一足早くに社会に出ていた親友から学ぶ事も沢山ありました。
元親友は1人暮らしだった事から私の家で夕飯を食べる事も度々 ありました。そんな事から今は高齢の母も良く知る仲だったのに…と。
何故 23年目に終止符が…と言われたら…今から10年前に遡ります。まさに、今 某週刊誌が次々と不倫関連の記事を発表していますが…
全ての原因は元親友の夫の浮気。不倫が、とある事から発覚しました。その関連の相談から始まり元親友は、充分な生活費を与えられず、未亡人だった当初は給料日前に、成ると意味深な電話をして来ました。
よく良く聞くと、元親友の夫が充分な生活費を与えてくれず、そのストレスからクレジットカードを作っては買い物をし支払いに困り始めた頃でした。最初は貸してとは、言えない。親友には…じゃ誰か?貸してくれるの?と聞くと無言。給料日に返してくれたら…と話て困った時には電話して。と…そう話した翌月には電話がありました。
未亡人だった…と記しましたが私は23歳の歳に結婚 亡夫と出会い26歳の時に病に勝てず私を置いて旅立ちました。元親友は私より先に結婚していた事もあり母より先に亡夫に会って貰い見定めて貰ったり…遠い昔話ですが…
子供が欲しいね。と話していた頃に突然病、宣告をされ余命も。そして亡夫には病名を偽り告知し無い。と言う決断も…告知からの約1年半 ひたすら隠し続けました。後に、日々の私を見ていた亡夫は分かっていたよ。ごめんな…辛い想いをさせて…と言う遺言を残してくれていました。
遺言を見つけた時 夫は分かっていて毎日 病院に通う私に気遣い数時間を一緒に過ごしていたんだ。
隠し切れていなかった自己嫌悪ばかりでした。ごめんね。隠していたつもりだったのに…
当時の私は気にして無かったのですが…むしろ動きやすい位に思っていました。170㎝ 体重が37㎏ 友達に食べてる?と良く言われてました。大丈夫 私が倒れたら支えられないから!と話ていました。
でも、病院から真っ暗な家に帰ると 私は夢を見てるのかもしれない…夢だったらもっと寝かせて夢だよ!って…お風呂場で声を出して泣く事を考えたのも、この時でした。湯船の中でならシャワーを出していたら外には聞こえません。
当時、亡夫の病気を1番先に元親友にも話ました。元親友は結婚後、遠方に住んでおり、子育て中だった事から全てを話せませんでした。
大丈夫なの?私は何時でも行くから!泣きたい時には泣いて良いんだよと言っては励ましてくれました。
亡夫も余命宣告より半年間 私の為に生きてくれました。苦しむ事も無く、最後の会話は、俺の大事な女房です。と話てから逝きました。母も同じような気持ちで、父を見送ったのかな?と。父は私が7歳の時に病死しました。病院の帰りに子供心から母が泣いていた事は覚えていましたが…親子2代で夫に先立たれるとは…
話が、ズレましたが…そんな過去の話から綴ります。
拝読 ありがとうございました。
著者の林 奈緒さんに人生相談を申込む