いつも犬がいた話
実家に居た頃には常に犬を飼っていた。不思議なことに犬が死ぬたびに「もう犬を飼うのはよそう」と家族全員で心に誓うんだけどなんでかまた犬が居ることになる。誰かが拾ってきたり、どっかからもらったり。
飼った犬のことは全部覚えている。
父親がたまにジョギングをしに行くグラウンド(多分、うちの父親が勤めてる会社のラグビー部とか野球部とかが使うもの)があって、そこに行った時黒いモサモサした小さい野良犬がいた。あれは僕が小学一年生の頃だった。
ちょうど実家が団地から一軒家に移った頃だったんで犬が飼えた。当然連れて帰った。
名前は僕がつけた。バリ。なんかテレビで見てバリ島って不思議なところだな、と思ってたんだよ、ちょうど。それが僕の家族にとっての最初の犬。
残念ながらそのバリはすぐ死んだ。ジステンバーだかなんだか伝染病を持ってたんだよね。普通犬を飼うとすぐに予防接種とかをするもんなんだろうけど、その頃は家族の誰もそんなことを知らなかった。
初めて「死」というものになんとなく触れたときだった。めちゃくちゃに泣いた。その日は平日で学校に行かなきゃいけなかったんだけど、あまりに泣いて母親が「今日、うちの子は授業を受けられないかもしれないけどよろしくお願いします。」と学校の先生に電話したくらいだ。
昨日まで居た犬が、今日はもういない、ってのが理解が出来なくて、いや、理解はしてるんだけどどうにも不条理でわけわからないくらい泣いた。
学校に行ったらけろりとして帰ってきた。でも家の玄関脇にはやっぱりバリの遺体が入ったダンボールがあった。タンポポを取ってきて、ダンボールの上にタンポポで「バリ」と書いた。
次に飼った犬はこちらも野良犬で、バロンと僕が名づけた。これまたバリ島の神話に出てくる神獣バロンから。白くてふわふわしたオス犬。
バロンを飼ってるときに母親が近所からコリー犬と雑種の子供をもらってきた。茶色くて毛は短いくせに顔だけはコリーのメス犬。これはチャチャと僕がつけた。何でだろうな?多分「CHA-CHA-CHA」っていう曲がはやってたからかな?それとも「茶々」のチャチャだったのか。今となっては覚えてない。
同じ年頃のオス犬とメス犬なんで当然子供が出来た。5、6匹生まれたはず。一匹は同級生に上げた。他もどこからにもらわれて行ったけど最後一匹だけ引き取り手がなくて「ま、二匹も三匹も一緒だし」と思って飼う事になった。
その矢先、バロンが家の前でトラックに轢かれた。そのときのことは覚えてる。僕は二階の自分の部屋にいた。
多分日曜とかだったと思うけど、バロンのワウワウという声が聞こえた後に、ブレーキの音がして、キャキャン、という声が聞こえた。
命は助かったけど残念ながら後半身が動かなくなった。両親はこのままではかわいそうだから安楽死させよう、と言ったけど僕はかなり抵抗した。
後半身が動かなくて玄関に寝たまま、糞や尿を垂れ流してるバロンの前で父親が僕に「これを見ろ!これでもお前はバロンが生きてたほうが幸せだと思うのか!」とめちゃくちゃ怒ってたのを思い出す。
そして、バロンは死んだ。悪い意味ではなくて殺された。殺したのはトラックで、安楽死させようと決めた両親で、それに頷いた僕だけど、それをうらんでは居ない。トラックは悪くないし両親も悪くない。
獣医からバロンの遺体が戻ってきた。
こういうときに父親ってのは大変だったろうな、と思う。嫌だ嫌だという子供を納得させ、可愛がってた犬を獣医に連れて行き、安楽死させてくれ、と頼み、冷たくなった愛犬を車に乗せ、帰ってこなくちゃいけないんだから。
今はそういうことがわかるけど、そのときは僕はただただ泣いていた。庭の隅に泣きながら穴を堀り、バロンを埋めた。近所から木材を盗んできて、マジックでこう書いて、バロンの墓標にした。「バロン。罪無く高貴にしてここに眠る」 子供のくせに気障なセリフだ。
一匹引き取り手の無かったバロンとチャチャの子はバロン2世と僕が名づけた。育てば育つほど、バロンそっくりになった。顔が長いところがチャチャに似てた。チャチャの隣に居る育ったバロン2世はバロン1世そっくりだった。もともとチャチャは老けた顔(田中邦衛に本当に似てた)だったので、年を取っても見た目が変わらず、二匹は親子だけど、夫婦みたいに見えた。
二匹をつれて、稲刈りの終わった田んぼや、海に行くのが楽しかった。二匹ともめちゃくちゃに、まっすぐなんだか曲がりくねってなんだかわからないくらいに、顔が変形するくらいに、走り回ってお互いを追いかけまわした。最初は僕も二匹を追いかけたけどすぐに振り切られた。「バロン!チャチャ!」と大声で呼んでもおっかけっこが楽しいようでこちらを見向きもしなかった。足元にある石とかを放り投げてやるとやっと僕を思い出し、石を追っかけてもって来てくれた。
しばらくして、チャチャが車に轢かれた。
人間は犬ほど頭がよくないので昔犯した間違いを繰り返す。
チャチャは昔のバロン同様、命は取り留めたけど脊髄を損傷し、後半身が動かなくなった。
僕もわかってる、こうなってしまったらどうしようも無いんだ。でも、嫌だった、また、犬を殺すのは。
でも、どうしようもない。父親はまた安楽死させよう、と決めた。
チャチャが死んだ日も覚えている。雨の日だった。チャチャを車に乗せ、父親が獣医のところに向かった。父親の帰りを待つ間間、僕は部屋の中にいた。ああ、またうちの犬が死ぬんだ、殺されるんだ、と思ってた。
庭の犬小屋にいるバロンが「うぉうんうぉうん」と鳴くのが聞こえた。
お前のそんな声聞いたこと無かったよ。バロン、お前は白くて大きくて、毛だって立派でライオンみたいなのに、そんな情けない声出すんだな。知ってるよ、お前は頭がいいからわかるんだよな。母親が死ぬことを。多分俺だって、母親が死ぬときにはそんな声を出すよ。
死んだチャチャはバロン1世の隣に穴を掘って埋めた。雨の中で、穴を掘った。穴を掘る僕と父親を見ながら、バロンがまた鳴いた。
うぉうんうぉうん。
バロン、お前が悲しいのはわかるけど、俺たちだって悲しいんだ。そんなに責めるなよ。ごめんな。悪いのは俺たちだってことはわかってる。
バロンは長生きした。我々家族にとって初めて、病気や事故ではなくて、ちゃんと最後を看取ってやった犬だった。これで、バロン1世とチャチャから始まった系譜はひとまず終わった。他のところに引き取られた子供たちはまだ居るだろうけど、とりあえず僕の家族にはもう彼らの血統は残ってない。
その後、しばらく犬は飼わなかった。一番犬を飼いたがる僕がもう悲しいのは嫌だったから。
僕が家を出て大学に行って、初めての夏に帰省をしたら、小さくて毛並みのいい仔犬がいた。うちの家族にとっては初めての、血統書つきでゴールデンレトリバー。真ん中の妹が「モナ」と名づけたらしい。ちょうど真ん中の妹が登校拒否だとかなんだかんだ難しい年頃だったので気分を晴らさせるために飼ったらしい。
あのな、モナ。俺は犬を「買う」ってのが好きじゃないんだよ。お前の親がどんなもんか知らないが犬は買うもんじゃないと思ってるんだよ。俺にとっての愛犬はバリであり、バロン親子であり、チャチャなんだよ。
そういう気持ちでモナを見たけどモナは「この人誰だろ?でもま、家にいるんだから家族なんだろ」という瞳でただただ尻尾を振ってた。ま、いいや、モナ。俺はあんまり家にいないけどお前は可愛いよ、よろしくな。
モナはうちで飼った犬では一番長生きした。母親は朝起きるとまずモナを呼んだ。父親は家族の誰も話を聞いてくれなくなると(ずっとしゃべってるからね)モナと話してた。
手先の器用な真ん中の妹が書いたイラストがある。父親が「ごはんまだ?」母親がアイスを食べながら「また太っちゃう」下の妹が「お餅はキナコ」僕が「飯は?」、そしてモナが目を輝かせ尻尾を振り「ご飯!?」と言ってる端っこで真ん中の妹(僕の家族の中では突然変異的にやせている。そして食べ物に執着しない。いまの旦那とのデートの時の晩御飯の定番はサイゼリヤのドリアを二人で一皿だったらしい)が「うちの家族はどうしてこう食うことばっかり…」とあきれているイラスト。我が妹ながら面白いこと思いつくもんだと思う。
晩年のモナは足腰が弱くなり、立てなくなった。
その頃、僕ら兄妹は就職だなんだかんだでみんな家を出ていた。両親は台所にシートを敷き、そこにモナを寝かせていた。夜中にモナに何があってもいいように、両親は台所の隣の居間に布団を敷いて寝ていた。
もう最後、という時には父と母が手を握っていたそうだ。そうやってモナは死んだ。
モナが死んだとき母親からメールが来た。
「モナが今日死にました。最後は大変だったけど、それでもモナはみんなに愛されて幸せな犬だったと思います」
バリ、バロン親子、チャチャ、モナ。君らは幸せだったか?ごめんな、もっと愛してやれなくて。もっと愛してやればよかったよ。君らはどんな時でも最高に、それこそ振り切れんばかりに、尻尾を振ってたのにな。いつだって名前を呼べばすぐに駆け寄ってくれたのにな。でも君らのおかげで僕は犬が好きだよ。
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