母を憎み子供の頃から自殺未遂を繰り返す鬱病の私が赦しの機会を得、一生モノと思った鬱病を克服。母を愛し尊敬できるようになるまでの話

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もしあなたの中に誰かを憎む心があるなら

多分に一生本物の幸せを得ることは無理かもしれない

そう思ったりします。


これは半世紀近く母親を憎み続けて

孤独感の中で生きてきた私が

奇跡的に幸福感に満たされる人生を取り戻した話です。


目次:

自殺を繰り返した子供時代

突然に起こった赦し

まずは私の一歩から

幸せは猫が運んできてくれた

一生に一度の手紙

不幸は一生続くわけではない



自殺を繰り返した子供時代


20代も初めの頃、どう思い出そうとしても

自分の人生で楽しい事なんて思い出すことができませんでした。


多分に小学校2年生のクリスマスが最後の幸せの思い出。


転向し、いじめに遭い、わずか10歳で自殺を企てました。


幼い子供のトライでは死に切れず

再度15歳でリストカットをしますが

これは1ヶ月もの入院という結果で終わります。


学校に戻ればクラスメイトが私を怖がって離れていきましたので

さらに孤立。それからの方がもっと辛かったです。


親と絶縁をした20歳でも絶望で睡眠薬を飲み干したのに

それでも死に切れない私はもう自殺は無理なのだと悟りました。


親から、日本社会から逃げるように海外に出て

結婚して生活のサバイバルがなくなって安心した途端

今までの人生の母親に対する恨みつらみが爆発

そのぶつけようのない怒りは鬱という形でまた私を支配しました。


逃げても逃げても母親の言葉に支配されている自分。


「自分が本当の意味で幸せになれるのは

母親が死んだその時でしかない」


と、当時は本気で思っていたし

鬱時代にそれを本人に電話で告げてしまったこともあります。


私は海外で結婚したことも母に黙っていましたし

7年間、日本の実家に戻ることもありませんでした。


母は物事の良し悪しを教えてくれるより

『人からどう思われるかを気にして生きる』

ということを繰り返し私に植え付けました。


ですから、日本社会も怖かったのです。



突然に起こった赦し


母と日本社会から逃げて癒えるまでに

7年という月日が必要でした。


それで手始めに実家ではない場所を訪れる帰国旅行をし

大丈夫だという感覚を得てから翌年実家を訪れたのです。


相変わらず自分のことしか考えていない母に腹が立ちましたが

私以上に実家で母親の面倒を見ている姉やその子供達の方が辛く

逃げられた自分はまだ恵まれているのだということを知ります。


もういい加減母を許してやってもいいかな、とさえ思えました。


一体あれは何がキッカケだったのでしょう?


友達に勧められた興味半分で受けたお寺での

ディクシャというセッションの効果でしょうか

次回の冬の帰省で、母が昼間干しておいてくれた

ふっくらとした布団の中で


「許してやる、じゃない。

許されるべきなのは、私の方だったのだ!」


というひらめきとともに号泣した私がいました。



まずは私の一歩から


後ほど姪が結婚式を挙げることになり

その時結婚10年目にして初めて夫を家族に引き合せました。


その機会に夫と私と母とで温泉旅行に出かけたのですが

母はずっと無口のままで日本語を話さない夫とは

全く交流を持ちませんでした。


後ほどアメリカに戻って電話で話した時、母は

なんだか、あの時はしゃべんなくてすみませんでしたね...

そう、いつもの暗い声で言っていましたが

え、あの旅行、楽しかったじゃない。
楽しかったよねぇ?

そう私があっけらかんと言うと

電話の向こうの母はハッとしたような雰囲気でした。


またいつだったか、電話で何気なく彼女のことを褒めた時

やだぁ! わたしばかだから
そんなこと言われたら信じてしまうよぉ!

と、母は少女のように声をあげて喜んでいました。


今でもその時のことを思うと喉の奥にこみ上げるものを覚えます。


誰だって、褒められたい。


私が母に褒められなくて悲しかったように

もしかして母もおばあちゃんから

褒められることはなかったかもしれない。


まずは相手を認めること

それが始まりだったように思えます。


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