母を憎み子供の頃から自殺未遂を繰り返す鬱病の私が赦しの機会を得、一生モノと思った鬱病を克服。母を愛し尊敬できるようになるまでの話

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それから、母に優しい言葉をかけ

彼女のさりげないことを褒めたりすることが

自然とできるようになりました。


我が家族は優しい言葉をかける習慣がないので

最初はそうすることにかなりの勇気がいったのですが

一度してしまうと、あとはつかえが取れたように

スムースに言える自分であったのにも驚かされました。



幸せは猫が運んできてくれた


私と母の確執はそれで終わったのですが

今度は同居している母と仲の悪い姉の問題が残りました。


彼女は本当に長い間更年期鬱で

母に対するドロドロとした思いを

メールで垂れ流しで送ってきていました。


それに対して上から目線でもっともなことを言い

彼女や甥と姪を諭してきた私でしたが

やっと気づくことができたのです。


まずは相手を認めること。ねぎらうこと。褒めること。


その効果が少しずつ出てきたかの頃

私に直感の声が降りました。


〜〜〜 母に猫を買い与えよ 〜〜〜


姉は機嫌が悪くいつもしかめっ面をしている母を

『鬼瓦』と陰で呼んでいました。


その母に笑顔をもたらすものは残念ながら私でも姉でもなく

多分に無垢な子猫ではないかとそう伝えたのです。


自分がアメリカに来て夫と結婚し

大きなイエローラブと寝起きを共にすることで

私たち夫婦が次第に癒されてきたことからのヒントでした。


動物嫌いな姉は最初は躊躇していましたが、やがて意を決し

母を除いた家族が一団となって猫探しが始まりました。


そして姉が恋に落ちた運命の子猫をゲット

次の母の誕生日に子猫をプレゼントしたのです。


ところが奇跡は母にだけではなく姉にも義兄にも

しらけた家族全員に起きました。


なんと各自がそれぞれの部屋に閉じこもっていた仲の悪い家族が

猫がいるおかげでみんなリビングに集まったのです。


全てのメンバーが皆笑顔で猫を見守ったのです。


猫が実家に現れたその日から

姉のタールのようにドロドロとしたメールは

嘘のように明るい猫メールに変化したのでした。



一生に一度の手紙


姉に母へ猫を飼い与えるよう頼んだ頃

年老いた母親が突然死した時に

海外にいる自分が彼女に会えないことがあるかもしれないことを

ふと思いました。


それで母の誕生日に合わせて手紙を書くことにしました。


年老いた母が読みやすいように

大きな文字で書いた方がよいだろう、と

日本町の文房具店で太い縦線のついた和紙の便せんと封筒

そして細書きの筆ペンを購入しました。


母親に対しての手紙を

大きな文字で一字一字ゆっくり丁寧に書いているとき

年明けからなんとなく気休めでやっていた

『鉛筆習字』の時間は

今このときの為に準備されていたものだったのだ

ということに気づきさえしました。


もちろん、始めたときには

まさか母親にこのような手紙を書くことなど

予定していませんでしたが。


『Kさん、お婆ちゃん、お母さん、

このような歳になりますと、貴女をどうお呼びしようか

少々戸惑いを思えますね。


お誕生日おめでとうございます。


元気に81歳をお迎えしたことを、大変喜ばしく思います。

貴女の末娘も、今年48歳になりました。


48歳ともなりますと、さすがに50の数字が見えて

人生いろいろと振り返ってしまいます。


確かに辛いことや悲しいことが沢山あったのだけれど

今が幸せならいいかな、とやっと思えるようになりました。


お母さん


私たち家族の在り方は、決して自分が望み憧れた形では

ありませんでしたけれど

もう過ぎてしまったことなのだな、と腹で理解しました。


貴女のすべてを許します


ですから、貴方もどうぞ至らない娘の存在を

今まで淋しい悲しい思いをさせ続けてきましたこと


ごめんなさい


本当に、本当にごめんなさい。


そして、私たち、娘達を一生懸命育ててくれてありがとう


いつの間にか家からは温かいものが消え去って

笑顔のない寒々しい家族になってしまいましたけれど

もう私たちが貴女に笑顔を作ってもらうようなことは

できなくなってしまったけれど

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