母を憎み子供の頃から自殺未遂を繰り返す鬱病の私が赦しの機会を得、一生モノと思った鬱病を克服。母を愛し尊敬できるようになるまでの話

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でも、私は心から本心で、貴女のそう残り少ない人生に

優しさと温かさと笑顔を取り戻して

過ごしてもらいたいと思っています。


そしてお姉ちゃんに

貴女に猫をプレゼントするようお願いすることが

私たちにできる最高の親孝行なのではないかと

試みてみました。


お姉ちゃんのメールで、家に子猫が加わり

皆が笑顔でリビングに集まっているというニュースを聞いて

大変嬉しく思っています。


私もとても幸せな気分です。

お正月には帰ります。


家族と迎えるお正月なんて、本当に久しぶりなので

とても楽しみにしています。


貴女の余生が健康で楽しい日々に溢れることを

心からお祈りいたしております。


2009年10月

                  まこ』


大変に静かな気持ちでした。


このような手紙を書いている自分が

ちょっと信じられないようにも思えました。


5年前の私だったらまったくあり得ない行為でした。


母親の返事はありませんでしたが

暮れの帰省時には玄関先で満面の笑顔で向かい入れてくれた母と

照れなくしっかりと抱き合うことができたのです。


そして翌朝、なんと私は

家族の笑い声で目が覚めるという奇跡も経験しました。


みんなが子猫を見て笑っている!


私は辛い寒い朝にもかかわらず布団から飛び起きて

その笑いの輪に加わったのでした。



不幸は一生続くわけではない


人生のある時、夫の事でどんな辛いことがあっても

「私には帰る家はない」と絶望を感じ

死に切れないことは承知で死ねるなら死にたいと思った日もあります。


それが私がいつでも帰れる実家を持つことになった。


母親にとって「出来が悪い娘」だった私が離婚をしたら

きっと叱られるだろう、嘆かれるだろうと懸念したにもかかわらず

彼女は私が幸せであるかどうかを確認しただけでした。


私が変わることができたように

母も私が長い間信じていた彼女ではもうなかったのでした。


子宝に恵まれず不妊治療で神経を逆立てていた姪も

猫が家に来てからあっさりと妊娠

新しい家族を迎え実家は更に笑顔に満たされます。


互いに思いやり家族が一体になって平和に暮らしている。


海外に住む私が長い間滞在することも遠慮なくできる。


帰る家があるというその安堵は

私のそれまでずっと抱えていた孤独感と鬱々した気持ちを

拭い去ってくれました。


そして、母はいつの間にかすっかりポジティヴで明るい

聡明なチャレンジ精神の高い輝く老人になりました。


それはいちいち様子を伝えてくる姉の目から見てもそうなのです。


私も姉も母に似ています。


ということは、彼女のように死ぬその間際まで

しっかりと自立して明るく晩年を生きられるという

見本を見せてもらいその保証をしてもらっているようなものです。


人生はどこでどう展開するか

本当にわかったものではありませんね。


直感に従う勇気

それが大きな人生の分かれ目だったかもしれません。


長いストーリーを

最後まで読んでくださってありがとうございました。


親子関係で苦しんでいる方がこれを読んで

前向きになるきっかけを持ってくれたらと思い

このストーリーを掲載することにしました。





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