死の街バラナシ

インドから呼ばれる。

旅好きの間ではそんな話がよく語られる。旅好きにとってインドは聖地といってもいいくらい必ず皆一度は訪れる場所であり、そしてどうやらそれにはタイミングがあるらしい。それを称してインドから呼ばれると言うのかもしれない。僕が十代の後半、今から10年前くらいに一度インドブームというのが巷で起こった。

僕の周りの人間もインドを訪れ、旅人になってしまった人、仕事を変えた人、突然結婚してしまった人などその人々の何かを変えてしまった様子を目の当たりにした。そんな人々の話を聞いて魅了され今すぐにでも行きたいと思ったが、僕はまだインドには呼ばれていないという確信があった。インドには呼ばれる時が来るという言葉を信じており、またそれ以上にその頃はヨーロッパ文化へ強い憧れがあり、僕はその時はロンドン行きを選んだのであった。

そして、それから10年の時を経て僕はインドに呼ばれた。



具体的な動機があったわけではないが、突然、インドいう言葉が非常に耳に付くようになった。多くのインドの情報が入ってくるようになり、インドの美しい美術、装飾品、インドの多様性と自然、そして価値観、宗教に魅せられる日々が続いた。そして気がつくとインドのニューデリーまでのフライトのチケットの予約ボタンを押していた。インドに呼ばれる時が来る。その噂は僕にとって紛れもない事実であった。

そして僕は今回は3つの都市を訪れた。首都のデリー、ヒンドゥー教の聖地と呼ばれるバラナシ、そして仏教の釈迦が悟りを開き仏教が生まれた街ブッダガヤ。インドは広大であり、街ごとに特色、文化が全く異なる。それぞれの事を書いていると膨大な時間を要してしまうので、その中でも最もインドらしい街にバラナシについて今回は書きたいと思う。

Varanasi ,バラナシ、ワラーナシ、ベナレス。それぞれの国ごとで呼ばれ方は若干違うみたいだが、僕はバラナシと呼ばさせてもらう。このバラナシは聖地と呼ばれると同時に死の街と呼ばれる。なぜならこのバラナシへはインド各地から死体が運ばれる。その死体はここ火葬される為に。それどころか老いた老人達が何百キロという道程辿ってこの土地へ死ぬ為にやって来る者も多い。貧しい人々は杖を着き身体を引きずって物乞いをしながらでも。それも全てこの土地で人生のピリオドを打つ為に。

街にはただ来たる死を待つ人々が住む建物もあり、火葬場付近には自分を火葬して貰う為の薪(マキ)代を乞う人々も多く存在する。この街はの歴史は長く2000年以上もこの街は存在し、その火葬場の炎は700年間絶える事無く燃え続けているのだと言う。



聖地として多くの人々がこの場所で死にたいと願うのにはヒンドゥー教の輪廻転生という考え方がインドの人々の中、いや、言うならばヒンドゥー教を宗教とする人々の中で強く根付いているからだ。この輪廻転生という言葉は日本人にとっても馴染み深い言葉だが、ヒンドゥー教の人々はこれに重きを置いた生き方をしている。

輪廻転生というと、人が死んで、そしてまた生まれ変わるというの意味合いで受け取る方が殆どであると思うが、ヒンドゥー教では、その生まれ変わりのサイクル、輪廻のサイクルを止める事が何より重要なのである。現世の自分の身分や境遇は、前世の行い(業/カルマ)によって決められており、現世で良い行い(業/カルマ)を積む事によって来世の身分が決まる。それも人間にさえ生まれ変わる事は非常に難しく、人間として生まれた世代にその輪廻から抜け出す必要があるのだ。

そのサイクルは苦しみの繰り返しであり、その輪廻転生から抜け出す道(解脱)が何よりも望む事だとされている。そしてガンガー(ガンジス河)は過去に積んできたカルマ(業)を洗い流してくれるのだという。そして死後このガンガーに流される事でカルマが清められ輪廻から抜け出し、魂の根源であり宇宙の根源であるブラフマン(ヒンドゥー教の最高神)に帰する事ができるのだという。それはヒンドゥー教の人々にとって何よりも望む事なのだ。それを求めて多くの人が此処に集い、此処で死に、そして此処で火葬されガンガーの一部となる事を切望する。



そんな聖なる死の街バラナシに4日間滞在する事にした。基本的に僕は、世界遺産に興味がある訳でもなく、ショッピングも興味がない。強いて言うならば目的としては現地の人々、そして旅人達と触れ合う事だ。その為、旅行する時は基本的に1つの街に最低3日間は滞在するようにしている。どこの街でもそうだが、1日目は緊張、2日目は挑戦、そして3日目にしてその街のディープな部分、ちょっと危険な部分、ある種凄くリアルな部分に入り込める。

僕はこの街に着いた日は街に圧倒された。僕がインドに入って日が浅く、インド人の考え方や人間性を理解してない事もあり、旅行者から金をむしり取ってやろうとする輩や物乞いに対しても気を張っていた。それに加えて街の造り自体も細い路地が入り組んでおり、迷子にならないのは不可能であり、常に緊張を強いられる状態であった。夜になれば完全なる闇になり、懐中電灯がなければ前へも進めない。それにこの街は停電が非常に多いのだ。停電になると全く見えない。自分の勘を頼りに歩くしかないのだ。

それにそこら中に牛や犬の糞のトラップだらけであり、暗闇を前と足下を見ながら歩くのは至難の業である。僕も滞在期間中に2度も糞のトラップを踏みつけてしまった。後半からは夜道を懐中電灯なしで歩くのは自殺行為であると悟った僕は、夕方以降の外出は必ず懐中電灯を身に付けるようになったのだが。この街の路地は本当に入り組んでおり、年に数人旅行者が路地で迷子になり、姿を消すという事件が起きているくらいだ。治安も良いとは言えないので、事件に巻き込まれたか、それとも神隠しにでもあったのか。それに僕の滞在していたホテルのエリアは麻薬の売買がそこら中で行われているエリアでもあり、初日は非常に緊張していたのを覚えている。

そういった迷路のような街の造りになっている事もあり、常にガンジス河の位置を気にして行動する。細い路地の先にガンジス河が見えると安心する。まさにガンジス河を中心とした街である。



僕がインドを訪れたのが4月末の乾期、気温が日中40℃を超え厳しい日照りが続く。かろうじてガンジス河の水は保たれているが、多くの河が干上がってしまう時期である。その中では日中の太陽の中行動するのは非常に厳しくなる。そして日差しの弱い朝に皆活発に動き、そして日中は皆木陰で休んでいる人が多いのだ。朝の6、7時からやってる店も多い。僕自身も完全にインド人化し、朝4時起床、14時から昼寝。そして17時頃からまた動き出すという行動パターンになっていた。


それにはもう一つ理由があり、朝が美しいのだ。


朝の日差しとその日差しに反射するガンガーの輝きは街を包み、幻想的な空間を紡ぎだす。その光は誕生という言葉を想起させる。今日が生まれるというのを実感させてくれる光なのだ。その光に魅せられ多くの人が沐浴をし、祈りを捧げる。

ヒンドゥー教ではない僕らでさえもその光へ感謝をしたくなるほど美しさ。ガンジス河が聖なる河と呼ばれる意味が実感できたのもこの瞬間であった。それは生も死も全てを優しく包み込み、癒してくれる美しさなのだ。宗教とか言語とか人種とか関係なしに、自然に美しさに感動する心は万国共通である。



そんな光に包まれながら沐浴している人々の姿を見ていた。とても気持ち良さそうなのだ。当たり前だ。自分のカルマが清められる聖なる河で美しい朝の光に包まれて沐浴をする。それは彼らにとって至福の時間でしかない。ヒンドゥー教の解脱を実感する事はできないけれどこの光に中で沐浴するだけでも価値はある。

そんな衝動に駆られてしまう日本人も少なくないだろう。僕もそんな日本人の一人だった。



ガンジス河は聖なる河であると同時に生活の中心にある河である。河で洗濯や歯磨きもするし排水も流す。それに火葬場の遺灰やそれに死体だって河に流す。人々はガンジス河と共に生きている。しかし僕らの考え方からすると河の水質はカオスそのもの。そんな事はとっくに分かっているけれど、それでもガンジス河は美しいのだ。

いや。僕も美しいなんて絶対に思っていなかった。ゴミが浮き、ヘドロにまみれ、それこそ死体まで流れているあの河を。そう。ガンジス河に包まれるまでは。

"ガンジス河は全てのカルマを洗い流してくれる"

神々しい朝日を浴び、火葬場で人が焼かれているのを横目で見ながら、ガンガーの揺るやかな河の流れに身を任せていると本当にそんな気になってしまうのだ。朝日の中での沐浴は生と死の境界線するら曖昧にする幻想的な時間であった。

ヒンドゥー教の歴史や価値観はとても複雑で日本人の僕には理解できそうにもないけれど、ガンジス河で沐浴してから少しだけ彼らの生き方や考え方に理解できるようになった気がする。



そして後日、僕はまんまと高熱を出した。

これもインドの洗礼なり。




※ ガンジス河に包まれ浮かぶ僕


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